地面には、大小さまざまな石がごろごろと転がっていました。いいえ、石で埋め尽くされているようでした。
少しだけ足が痛むのを我慢しながら、私は進みます。往く手には、大きな建物がありました。きっとあれが今回の目的なのでしょうと思い、ただひたすらに歩んでいました。
大きな建物は、厳かな雰囲気を持っていました。誰かのために、大切に建てられたものなのだろうと、私にもわかりました。扉の前に立ちましたが、そこに触れるのは憚られて、私はしばらく手も足も出せずにいました。
どれくらいの時間、立ち竦んでいたでしょうか。私はようやく、その扉に手をかける決意をしました。
手のひらをぴたりとつけ、ほんの少しの力を込めて押すと、扉は軋んだ音をたてて開きました。耳に、頭に、ずしりと響く音でした。私は思わず眉を寄せ、しかしその向こうへと足を踏み入れたのです。薄暗い建物の中に、私が開いた扉から光が差しました。
扉を開け放したまま中に入り、まっすぐに進みます。真正面にある、大きな絵に、目と足が吸い寄せられたのでした。
腕を広げて空を見つめる、美しい女性が描かれていました。長い髪は日が昇り始めたの空のような色をして、瞳は炎が尽きた後の灰のようでしたが、けっして濁ってはいませんでした。まるで生きてそこにいるかのような彼女に、私の心は一瞬にしてとらわれてしまったのです。
絵を眺めていると、頭の中に、こちらを向いて微笑む彼女の姿が浮かんできました。優しげなその表情に、私は救われるような心地がしていました。何が、というわけではないのですが、そんな気持ちだったのです。
自然と涙があふれ、頬を滑り落ちました。それを拭おうと下を向いたとき、私はようやく、絵の下にあった、歪な形の石板に気が付いたのです。
そこには文字が書かれていました。私の知っている文字ではないはずなのですが、これも時渡の力なのでしょうか、不思議なことに言葉の意味は解りました。すうっと胸に入り込んでくるようでした。
そこには、この絵の女性についての物語が記されていたのです。

女性は、魔法使いでした。魔女だったのです。その大きな力で、彼女はこの地にたくさんの星を降らせていました。
ここは宙を巡った彗星たちが、最後に行き着く場所でした。星はここで、燃え尽きる最期の時を迎えていたのです。魔女は星たちを、その魔法を使って受け入れていたのでした。
それは宇宙を操る、とても大きな魔法でした。それを操り続けることは、自分の命を摩り減らすことだと、魔女自身もよくわかっていました。
それでも、あてどなく旅をしていた星たちに安らぎを与えようと、彼女は魔法を使ったのです。帰り着く場所もなく消えてしまうその前に、静かな最期を迎えさせたいと願ったのです。
そうしているうちに、この地は星の骸で埋め尽くされました。そしてちょうどその頃、魔女の命にも終焉が訪れたのでした。
この美しい魔女は、もうどこにもいないのです。
最期にこの地に辿り着いた彗星が、残った力を振り絞って、魔女の住処に石板として残りました。魔女の全てをその身に記して。

私は石板をそっと撫で、もう一度絵を見上げました。絵の中の魔女は微笑みを浮かべ、空から降るたくさんの彗星に「いらっしゃい」と「おやすみ」を言っているようでした。夜明けの髪は優しさの色、灰の瞳はここへ辿り着いた星たちの色でした。
この美しい人は、自らの命を削ってまで、何故彗星をここへ降らせていたのでしょうか。それを語れるものは、もうこの世界にはいないようでした。
ここにも永遠はありません。文字の刻まれた石板すらも、強い力を加えれば崩れてしまいそうなほどに脆く見えます。そのうち朽ち果て、外に転がっていたたくさんの星の骸と同じようになってしまうのでしょう。
私は魔女の絵を瞼の裏にしっかりと焼き付けて、建物を出たのでした。基本的に同じ世界を二度訪れることのできない私は、もう二度と、あの絵を見ることはできないでしょうから。
それにしても、美しい絵でした。あれを描いたのは、いったい誰なのでしょう。その人も、すでに果てていなくなってしまったのでしょうか。
誰もいない世界を、私はあとにします。足元にはたくさんの、かつての漂流者たちが眠っていました。

*
 * *

彗星だと思っていたものは、どうやら異界の者だったようだ。彼は自らを「トキワタリ」だと名乗った。なんでも、たくさんの世界を旅しているのだという。
「ここに来たという印を刻ませてください」
彼はそう言って、星たちを迎える私の姿を描いた。
かつてはこの場所にもたくさんの作品があった。彫像も、絵も。それらは私が永く生きている間に、全て朽ち果ててしまった。
「これは長く残るようにしておきましょう。いつかあなたや、ここに来る星々が皆、物言わぬものになってしまっても、この絵が全てを物語ってくれるように」
そう言って、けれどもまた少し考えて、トキワタリは「やっぱり」と言葉を翻した。私が「そんなことができるものか」と思ったことを、見透かされたのかもしれない。
「彗星たちに語り継いでもらいましょう。ここに辿り着いた星々は、ほんの少しの間は生きていられる。その残りの生を、あなたの魔法を伝えることに使ってもらいましょう。あなたがどんなに慈悲深く偉大な魔女だったか、いつか知らない誰かがここを訪れたときに、すぐにわかるように」
そうして彼は、たった今到着したばかりの彗星に、私のことを語り始めた。その話は次にやってきた彗星にも伝わり、私の魔法はみるみるうちに星々の間に広がっていった。トキワタリがここを去った後も、私が自らの命の終わりを覚ったときも、ここに辿り着いた彗星は皆、私の仕業を知ることとなるのだった。
そして、私が最後に呼んだ彗星は、残りの命を使って、トキワタリが描いて飾っていった絵の下へ這っていった。私の命が尽きるときまで、その身に彼の言葉で私のことを刻んでいた。
それから先のことは知らないけれど、きっといつか、誰かが私の魔法をまた別の誰かへと伝えるのだろう。
魔女はいなくとも、物語は終わらない。私の魔法は、永遠になれるのだ。