何か真っ黒なものが、頭の上を通っていきました。大きいのか小さいのかもわかりませんでしたが、不思議なことに、色と気配だけはしっかりと感じ取ることができたのです。
見上げてみましたが、何もありませんでした。それはもう、通り過ぎたあとだったのかもしれません。とてもゆっくりと動いていたような気がしたのに。
「今のは何でしょう?」
私は隣にいた、棒切れのような体をした人に尋ねました。この人は、私がこの世界に来てから、最初に出会った人でした。
「わからないもの、だよ」
「わからないんですか?」
この人も、さっき頭上を通過していったものの正体を知らないのだと、私は解釈しました。
けれども、棒切れのような人は、棒切れに枝が生えたような顔(短い枝はちょうど目や鼻、口、あるいは耳のようでした)を動かして言いました。
「わからないもの、さ。僕らはそういう名前をつけたんだ。あれを理解できないうちは、そういう名前で呼ぶことにしたんだ」
つまり、あれは「わからないもの」というものなのだそうです。ややこしいけれど、この人たちにとってはそういうものなのでした。
私はもう一度上を見ます。「わからないもの」は通りません。どうやらあれは、誰も見ていない間にやってきて、いなくなってしまうもののようでした。
だからまだ、誰にも「わからない」のです。
「いつかあれがなんなのかわかったら、別の名前をつけるんですか?」
私は棒切れの人に訊きました。
「わかったら、そうだね、わからないものじゃなくなるんだね。そのときは、それらしい名前をつけるだろう」
棒切れの人は、そう言って頷きました。
私と棒切れの人がしばらく見つめあっていると、また頭上を「わからないもの」が通っていきました。ぱっと上を見ましたが、やっぱり何もありませんでした。
一方、棒切れの人は、それを見ようともしませんでした。
「あれがなんなのか、気にならないんですか?」
私は首を傾げます。すると棒切れの人は、棒切れでできた腕を組んで、
「わからないもの、だからねえ」
と言いました。
私たちはそれ以上、何も言いませんでした。何も言わないまま、お別れの時間がやってきました。
「わからないことは、不安じゃないんですか?」
私はこの一言を、とうとう訊きそびれてしまったのでした。