ここにいる人たちは、常に百人でなければならないそうです。
百一人でも、九十九人でも、いけないそうなのです。
人が死ねば生み、生まれれば殺し、バランスを保っているそうです。
「殺す場合はね。若い者より年老いた者を。女よりも男を。そういう決まりがあるんだ」
そう語ってくれたこの人は、次に人が生まれたら死ぬのは自分だと言っていました。
若い人は新しい人を生むのに有利です。
女の人じゃないと生むことはできません。
必然的に、ここは女の人のほうが多くなります。
「男の人をとりあったりしないんですか?」
「どうして?道具は皆で協力して使ってこそでしょう」
男は百人を保つための道具。
けれども生めなければ意味がないということは、女もまた百人を保つための道具でしかない。
ここの人たちは皆、百人であるための道具なのです。
「どうして百人でなければならないのですか?」
「ここには全ての物が百人分しかないからだよ」
「人がそれより少なければ?」
「それでは少ない。余りが出るというのは、もったいない」
百人であることは幸せなのでしょうか。
それとも、ここの人たちにはそのような概念がないのでしょうか。
あったとしても、わたしの考える幸せとは程遠いものなのだと思います。
「あの」
「何か?」
「今わたしがここにいることで、ここには百一人いることになりませんか?」
それは何気ない言葉でした。
…いいえ、少しはわたしにも意地悪を言ってみようという気があったのかもしれません。
わたしにそう言われた人は途端に青ざめて、先ほど死の決まりを教えてくれた人のところに行きました。
このあと、わたしがここをすぐに立ち去ったら、ここはどうなってしまうのでしょう。
九十九人という、ここにとって不安定な数字に、彼らは耐えられるのでしょうか。
立ち去ってしまえば、それを見ることはできません。
わたしには想像しかできないのです。