濡露さんに連れられてやってきた場所は、皆が幸せそうな顔をした不思議なところでした。
あんまり笑顔が溢れていたので、その人の仏頂面はとても目立っていました。
「ここは夢の国なんだよ。現実のことなんか何にも考えなくていい、幸せの場所」
仏頂面の人は、そうつまらなそうに言いました。
「お金が欲しい人はお金持ちになれるし、ちやほやされたい人は皆に愛される。そういうところなんだ」
確かに皆、人に囲まれたりお金に埋もれたりしてとても嬉しそうな顔です。
ここはいいところなのでしょう。
でも本当にいいところなら、濡露さんが連れてきてくれるはずはありません。

あの人は少し意地悪だから、きっと何か裏があるに違いないのです。
そう仏頂面の人に言ったら、やっと笑ってくれました。
死神のお嬢さんは相変わらず面白いねぇ。ここに来る死神はあの人だけなんだよ」
「そうなんですか?」
「うん、死神の仕事は魂を連れてくるところまでで終わりだからね。後はそれが地獄にいこうがどうしようが、関係のないことなんだ」
その話しぶりだと、ここはまるで死者の国のようです。

そう言うと、仏頂面だった人は仏頂面に戻って言いました。
「確かに死んでるんだ。でも物理的な死じゃない。自分の欲望で周りが見えなくなって、心が死んでしまった人たちがここにいる」
それって、どういうことなんでしょう。私は首をかしげて、仏頂面の人の話を聞いていました。
「例えばね。人と沢山関わりたい人と、あまり人に構われたくない人がいるとする。

関わりたい人は沢山の友達が欲しいから、構われたくない人にも話しかけようとする。でも構われたくない人にはそれが苦痛だ。

そこで構われたくない人が関わりたい人を拒絶すると、関わりたい人は嫌な気分になる」
こういう場合は利害が一致しないから、どちらも幸せになれない。だからこの夢は破綻する。
でもここは夢の国だから、そんなことがあってはならない。じゃあどうするか。
「上手くいかないという現実に気付いてしまった人達は、食べられちゃうしかないだ」
「食べるですか?」
「そう。他の人も現実に気付いちゃうといけないから、気付いてしまった人から食べる。あんまり美味しくないけど、食べる。」
仏頂面の人は煙草をふかし始めました。煙がぷかぷか昇ります。
「煙草とどっちが美味しいですか?」
「煙草だね」
遠くの方で、人がわいわい騒ぎ始めました。喧嘩をしたい人と喧嘩をしたくない人が出会ってしまったようでした。
仏頂面の人はよいし、と立ち上がって、私に言いました。
「夢は勝手には叶わないだ。欲望は全て満たされるわけじゃないだ。でもここにいる人達はそれが解らない。

解ったら食べられちゃうから、解っちゃいけないだよ」
ここでは夢は勝手に叶い、欲望は全て満たされることになっているから。

現実はこうなんだ、ということを理解してしまったら、おしまいなのです。
夢の国が壊れないようにするには、そうするしかないのです。
仏頂面の人は大きく大きくなって、首を伸ばして、喧嘩したい人と喧嘩したくない人をぱくりと食べてしまいました。
顔をしかめたので、やっぱり美味しくないだな、と思いました。
「とわこちゃんは現実と夢の区別がついてるから食べないよ。安心してここで人を見ているといい」
仏頂面の人は口を拭きながら言いました。
「ごめんなさい、お食事は美味しいものを食べて美味しそうな顔をするから、見ているのが楽しくなるです。

あんまり楽しくないので、そろそろお暇させていただきます」
私が言うと、仏頂面の人はまた笑ってくれました。
「そうだね。そのとおりだ。じゃあね」
「はい。さようなら」
私は仏頂面の人の笑顔を心にしっかり焼き付けて、濡露さんの待っているところへ戻りました。