「君を殺さなければならない」
私がそう切り出すと、君はその微笑を崩すことなく頷いた。
「あと、7日でだ」
具体的な数字を挙げても、表情は変わらなかった。それどころか、君は椅子から自然に立ち上がり、こう言った。
「トースト、もう一枚いる?」
この生活を始めてから変わらぬ朝が、今日もそこにあった。


私は俗に言う「殺し屋」というやつだ。金を受け取り、相手の出す条件に沿って、仕事をする。
表向きはただの掃除屋だ。時々自分が殺した人間の、残したものの後始末をすることになり、こっそり乾いた笑いが漏れることもある。
そうした暮しを何年も続けていたある日、今現在の状況に繋がる依頼を受けた。
「7月末日に彼を殺してください」
指定されたのは命日だけ。明日から一ヶ月後だ。
前金を受け取り、私は依頼を了承した。もちろんそのときは、このあと起こることについては想像もしなかった。
いや、少しは気をつけておくべきだったのかもしれない。なにしろこの依頼人からして、おかしかったのだ。
私にたらふく酒を飲ませ、酔っ払って動けなくなったところを道路脇に放置していくようなやつだ。万が一私が警察の世話になれば、自分も危なかったろうに。
とにかく私はその翌朝、最低に硬いコンクリートベッドで目覚め、その場で嘔吐した。幸い記憶ははっきりしていて、依頼を忘れることはなかった。
だが、いっそ忘れていたら良かったと、今は思う。
「大丈夫ですか?」
通りかかった人物が、酷い有様の私に声をかけた。奇特なやつだと思って振り返ると、見覚えのある顔をしていた。
目鼻立ちの良い、美人だ。ただし、肩も手も頑丈そうな、れっきとした男だ。
この男は、昨夜見た。依頼人から受け取った写真で、微笑んでいた。
そう、君こそが私のターゲットだったんだ。

君は本当に奇特な人間だった。
私のような汚い二日酔い男を自分のアパートへ運び、水とオートミールを用意した。それからコンクリートとは比べ物にならないやわらかなベッドを提供し、温かい毛布をかけた。
「薬も飲みますか?」
「……いや、いい」
それが君と初めて交わした会話だった。
君はかいがいしく私を介抱し、私がまともに動けるようになってから、きれいに洗濯された衣服と温かく食べごたえのある食事を与えてくれた。
「家はどこですか? 家族は?」
君は私と向かい合って食事をしながら、そう尋ねた。私はきっと無愛想な顔で答えただろう。
「そんなものはない」
実際、一仕事終われば部屋を解約するような、不定の生活をしていた。家族なんてものは、こんな生き方をしている人間にはなかった。
普通ならここで、警察や施設にでも連絡するだろう。だけど君は普通じゃなかった。
「じゃあ、僕とここで暮らしませんか。一人では寂しくて」
危うく、口に含んでいたものを噴くところだった。そんなことできるものかと断ろうとした。
しかしよく考えてみると、君、つまりターゲットの動向をおさえておくには都合のいい話だった。一ヵ月後には、私は君を殺さなければならないのだから。
「いいのか?」
「えぇ、是非」
君は嬉しそうに笑った。その顔が、本当にきれいだと思った。こんなにきれいな人間が、汚れた世界に存在していいのかというくらいに。

そうして、君との共同生活が始まった。私の不摂生を、君は僅かな期間で正してくれた。清潔で規則正しい毎日を送ることができた。
でも、君は私の無精ひげだけは剃らせようとしなかった。私が「浮浪者のようで格好が悪いだろう」と言っても、「似合っているんだからそのままにしておこう」と、しまいには髭剃りを隠した。
君の作る食事は美味かったのに、君は私の作る見た目が悪いスクランブルエッグのほうが美味しいと言った。それから朝食の玉子は私の担当になった。
君はいつだって笑顔だった。私を見ては微笑んだ。本当におかしな男だと思ったが、こちらもつられて表情が緩んだ。


そんな生活も、あと7日で終わる。
私は君を、できることなら殺したくないと思うようになっていた。
だから打ち明けたのに、君はそれでも笑顔だった。
それどころか、
「観覧車に乗りにいこう」
という唐突な提案をしてきた。
「何故、観覧車に?」
「一緒に景色を見たい。僕があと7日の命なら、今のうちに町を一望しておきたい」
そんな言い方をされると参ってしまう。私は君の願いを聞き入れることにした。

この町には小高い丘があって、そこには古い観覧車があった。
整備はきちんとされているようで、大人二人でも問題なく狭いゴンドラに乗り込むことができた。
「あの路地だね、僕らが出会ったのは」
ゆっくりと高度を上げるゴンドラから、君はあの汚い路地を見つけた。
「あの時は世話になったな」
「僕も世話になったんだよ」
「どうして」
「あなたがあまりにも、兄に似ていた」
君はそこでようやく、これまで私にしてきたことの理由を明かした。
あの日、君は年の離れた兄を亡くしたばかりだった。思い出を整理しきれないまま早朝の路地を歩いていたところで、私と出会った。
嘔吐物にまみれた汚い私でも、君には愛する兄に見えた。
「そう、本当に愛していたんだ。実の兄だけれど、他の誰にも渡したくないと思っていた」
君はそう言って、初めて表情を曇らせた。
「死神にとられてしまったけれどね」
ここで私は、ようやく君がおかしい理由に気付いたんだ。出会った時から、いやそれ以前から、君はとっくに壊れていた。
「兄を愛したように、あなたを愛したかった。あなたに愛して欲しかった。けれども、神がそれを赦さないとわかっていた」
だから君は、私に依頼したんだ。殺してくれと。
ひと月の幸せを感じたあとに、悔いのない状態で殺されたかったんだ。
そのためにわざわざ人を雇って、私に殺しの依頼をさせて、そして7日後、死んでいく。
「僕を幸せなまま殺してください。必ず7日後に、安息を」
頂上へ達したゴンドラに、光が降り注ぐ。あとは下へと降りていくだけだ。
私は微笑む彼に手を伸ばし、その頬に触れた。
彼を哀れむのでもなく、しかし愛しているとは言いがたく、でもきっと、多分、そう。
感謝していたから、唇を重ねた。


神はかつて7日で世界を創造したという。人間が生まれたのは、その第六日だった。
しかし私と君という人間は、徐々に形作られていき、君の世界が終わってしまう前日に完成したように思う。
安息の日、君は私の手に絞められながら、いつもの微笑を浮かべていた。浮かべていたつもりなのだろう。
もっときれいに死なせてやればよかったと思ったが、どうしても私の手で殺してやりたかった。
そうして私は君と過ごした部屋を後にし、それから私自身の死に場所を探す7日間の旅に出た。