冬は美しい雪景色、春には満開の桜、夏には鮮やかな緑、そし紅葉て秋には見事な紅葉。礼陣の町を囲む山々は、四季折々、住人や訪れる人々の目を楽しませてくれる。
特にその一つ、色野山は、毎年毎シーズン、学校行事の学生や観光客、そして地元の自然が好きな人々で賑わっている。休みになれば人がやってきて、季節の風景を堪能するのだ。そのため、山の名前の由来といわれているその一つには、元は「四季の山」だったのだという説もある。礼陣を含む周辺地域の人々に、季節の移り変わりを知らせてくれる山だという話だ。

「大助、どんぐり落ちてるよ、どんぐり!」
登山道に落ちている丸い木の実を拾い上げ、亜子ははしゃぐ。ほぼ毎年同じことで喜んでいるのだが、山の中なのだからどんぐりくらい落ちているだろう。
「はいはい、どんぐりな。この山来るとガキみたいになるよな、お前」
「遊びに来たときくらい、子供に戻ってもいいでしょう」
そうは言うが、亜子も大助ももう高校生だ。どんぐりごときで大喜びするような年齢ではない、と大助は思っている。幼少の頃は拾い集めて持ち帰ったものだが、今となっては興味の対象ですらない。すっかり冷めてしまった大助を恨みがましく睨みながら、亜子は拾ったどんぐりを道の脇に戻した。
「大助の意地悪。一人だけ大人になったふりして、ずるいんだ」
「ずるいとかそういう問題かよ。この歳でどんぐり拾ってるお前がガキなんだ。なあ、兄ちゃんもそう思うだろ」
大助が振り返って同意を求めると、兄の恵は穏やかな笑みで答えた。
「どうかなあ。僕には、亜子ちゃんはいくつになっても可愛い妹のようなものだから」
「ほら、恵さんが可愛いって」
「駄目だ、兄ちゃんじゃ話にならねえ。姉ちゃんと頼子さんは? 亜子のほうがガキだよな?」
恵から納得のいく回答が得られなかったので、今度は姉の愛と兄の婚約者である頼子に問う。だが、これがまずかった。
「そうやって賛成してもらいたがる大助のほうが子供みたい」
「諦めなさい、大助君。ていうか、素直に可愛すぎて直視できないって言えばいいのに」
逆にからかわれてしまい、大助は顔を赤くして舌打ちする。亜子のほうは勝ち誇ったようににんまり笑って、それを覗き込んでいた。
一力家の人々は、休日を揃って過ごすのが好きだ。家で映画を観るのも、こうして外に出るのも、家族みんなですることを楽しみにしている。早くに両親を亡くし、兄弟三人で肩を寄せ合って生きてきたせいもあるだろうが、全員がともに同じ時間を過ごすことを大切にしているのだ。
頼子や亜子は、それに積極的に巻き込まれに来ている。自分たちもずっと前から家族の一員であったかのように、楽しみを共有する。そうして「家族」が賑やかになることを、三人兄弟も望んでいるのだった。
家族で色野山に来るのも、もう何度目だろうか。長男の恵が自動車を運転するようになってからは、春には花見、秋には紅葉狩りと、結構な頻度で訪れている。都合により亜子や頼子がいなかったりもするが、兄弟は休みが合えば、いつも一緒に来ていた。
「秋はみんなで来られて良かったなあ。今年の春のお花見は、亜子ちゃんがいなかったから」
「わたしも来られて良かったです。愛さんたちと一緒にお休みを過ごすの、楽しいので」
「だからってガキみたいにはしゃぐなよ」
「あ、またガキって言った!」
最年少二人が軽口を叩きあうのを、年長組は微笑ましく見守る。そうして歩いているうちに、ひらけた場所に辿り着いた。ここがとりあえずの目的地であり、多くの人が集まるスポットだ。適当な場所を見つけてレジャーシートを敷き、一旦腰を落ち着ける。そこで愛が持ってきた大きめの魔法瓶から温かいお茶を注いで、一人一人に手渡してくれた。
「そういえば、ここで利一先生と合流するんじゃなかった?」
お茶を一口、美味しそうに飲んでから、亜子が大助に尋ねる。それに答えようとして周囲を見渡してみたが、捜す姿はないようだ。大方、もう少し奥に入って、写真でも撮っているんだろう。
「オヤジは待ってりゃ来るだろ。それまでのんびりしてようぜ」
「叔父さん、きっとお友達と一緒なのよ。お茶とお菓子、残しておいてあげようね」
そう言って愛が取り出したのは、ここに来る前に買っておいた礼陣銘菓、御仁屋のおにまんじゅうだった。茶菓子に迷ったときはこれを用意しておけば間違いない、というのが地元の常識だ。礼陣の人々に愛される山で、礼陣の人々に愛される菓子をいただく。このあたりではごく普通のことなのだが、菓子が妙に美味しく感じるのは、きっと景色のせいだろう。町を囲む他の山々と、その下に広がる人の営みの姿。いつも過ごしているはずの場所が、とても素敵なところであるように思えてくる。
「大助、あとで展望台行こうよ」
「あとでな。お前がうるさすぎて疲れてんだよ」
口ではそう言うが、大助もこのイベントを楽しんでいる。好きな景色を好きな女の子と見れるのだから、幸せなのだ。それをわかっている愛と頼子が、「素直になれば良いのに」という視線を送ってくる。だから余計に素直になれないのに。
しばらくまんじゅうを食べながら寛いでいると、展望台のあるほうから男性の二人連れがやってきた。それが待っていた人だとわかると、亜子は大きく手を振った。
「利一先生来た! せーんせー!」
その声に応じるように片手を挙げながらやってきた初老男性は、一緒にいたもう一人に会釈をしてから、レジャーシートの端に荷物を置いた。
「皆倉、学校でもそのくらい元気でいなさい。……遅くなってすまなかったな、村井さんと話が弾んでしまって」
「そうだろうと思って、ちゃんと叔父さんの分残しておいたのよ」
男性は一力兄弟の叔父であり、大助と亜子が通う礼陣高校の教師でもある、瀬川利一だ。同じ学校で教師をしている頼子とは同僚で、互いに「お疲れさまです」と挨拶を交わした。
一力兄弟が両親を亡くしてから、後見人にもなってくれているこの人もまた「家族」の一員だ。これでようやく全員が揃った。紅葉を眺めながら、穏やかな時間をともにする人々が。
「今日ここに来るのはいいとして、大助は課題をちゃんと終わらせてきたんだろうな? 皆倉や常田に見せてもらおうなんて甘い考えは駄目だぞ」
「一通りは見た。でも全然わかんねえ」
「つまりやってないんだな。恵、帰ったら教えてやりなさい」
こんな席でも、利一は兄弟の親代わりで、教師なのだった。この話が始まると、つられるようにして頼子も勉強の話題を出してくるので、大助にとっては面倒なことになる。
「大助君、ちゃんと授業聴いてる? 結構な頻度で寝てたって話を聞くんだけど」
「聴こうとしてんだけど、眠くなるんだよ」
「大助はだいたい寝てるよ。それで、授業終わってから在にノート借りてるの」
「余計なこと言うな、亜子」
面白くない話題なのに不快にはならない。家族での雑談は万事笑いが絶えないからだ。誰かが笑顔なら、それでいい。加えてこの絶景だ、嫌なことなど吹き飛んでしまう。
昔、一度は失われかけた幸せが、ちゃんと戻ってきたのだと実感できる。だから大助は、色野山に来るのが好きだ。それを口実に、賑やかな場ができるのが好きだ。自分がいじられることくらい、一向に構わない。……いや、度が過ぎれば多少は不機嫌になるが、ここに来た大助はいつもよりも寛容になっている。
ひとしきりいじられてやってから、カップに残ったお茶を飲みほして、立ち上がる。もう休憩は十分だ。
「亜子、展望台行くんだろ」
「行く。みんなは?」
「二人で行っておいで。僕らはもう少しここで休んでいるから」
気を利かせたつもりなのか、恵がひらひらと手を振る。兄にまでそんなことをされると、なんだか恥ずかしくなって、大助はさっさとその場から離れようとした。そのあとを亜子が追いかけ、「なんで置いてくかな」と文句を言う。
結局並んで展望台のほうへ歩いていく二人を見送りながら、頼子が「あれで本人たちは付き合ってないつもりなのよね」と呟いた。

色野山展望台は、広場よりも冷たい風が吹いていた。景色は良いが、今の季節はしっかりと防寒をしておかないと、震えることになる。そんな中でも人々は集まり、かわるがわる望遠鏡を覗いたり、景色をカメラに収めたりしている。
「大助、寒い」
「お前が来たいって言ったんだろうが。寒いの苦手なくせに」
呆れながら、大助は亜子を後ろから抱きすくめる。小柄な亜子は背の高い大助にすっぽりと収まって、「うん、あったかい」と満足げに頷いた。
「いい景色だよね。だからわたし、ここ好き」
「寒いのに?」
「今は寒くない」
眼下には、二人が出会ってから今まで過ごしてきた場所が広がっている。その場所を守るように囲む、山々がある。それをしばらく黙ったまま眺め、そのうち思いついたことをぽつりぽつりと口にする。
「また来たいな」
「来ればいいだろ」
「一緒にだからね」
「あー……またみんなで一緒にな」
……そうだね」
あの町の中に帰ったら、次に来るのはいつだろう。今度はいつ、こうしていられるだろう。いつまでこんなふうに、一緒に景色を眺めていられるだろう。
この景色も永遠ではない。色野山は、四季の移り変わりを告げる。じきにもっと寒くなって、山の色は変わる。
いつまでもここに留まり続けるわけにはいかない。離れ難くとも、帰らなければ。そうして今度はいつもの町の中から、この山を見るのだ。
「あとで利一先生に写真もらってよ。きっと展望台からの景色、撮ってるよね」
「だろうな。……そろそろ戻るか?」
「うん。戻らなきゃね」
風景は十分に堪能した。だから今度は、来年。山から雪が消えたら、今度は別の色を見に来よう。その次も、そのまた次も。
その頃には、本当に言いたいことが言えているといいなと思いながら、二人はそっと離れた。
そうしてまた、「家族」に戻っていく。