その飛行機の便が、消息不明になったという速報が先だったか。
それとも、幼い孫娘がこう呟いたのが先だったか。
「おじいちゃん、おにがいる」
人間のようであっても、異形でも、二本のつのを持った者は鬼だというのがこの礼陣という土地の定説で、人間たちは物心つく前からそれを聞かされて育つ。そしてそれが見える子供は、親を喪った子だということも、この町で生まれ育った人間なら誰でも知っている。
孫娘――春の一言で、須藤翁は息子とその嫁のどちらかが、あるいは両方が、飛行機に乗ったまま命を落としたのだということを理解した。
……春」
お父さんかお母さんが、もしかすると両方とも、死んでしまったよ。そんな言葉を、たった四歳の少女にすぐに告げられるはずもなく、須藤翁はただ孫娘を抱きしめた。
結局、その後の捜索で、両方ともの体の一部と遺品が見つかった。海に投げ出された彼らの全てを発見することはできなかった。一部が掬われ、身元がわかっただけでも、幸運なことだった。
もちろん切れ端のような遺体を春に見せることなどできない。その事故のしばらく後に、春が目にしたのは、小さな箱になってしまった両親と、拾い上げられた揃いの腕時計だけだった。
それでも春が両親は生きていないということを理解できたのは、礼陣の人間が「鬼を見る」からだった。「おにがいる」と言ったときから、春はすでに自分が親を喪った子――「鬼の子」になったのだということを、幼いながらにわかってしまっていた。
須藤翁と春。祖父と孫娘の二人暮らしは、それから始まったのだ。

「おじいちゃん、今日は春がごはん作るね」
小学生になったばかりの春がそう言って台所に立ったときのことを、須藤翁はよく憶えている。まだ夕食には随分早い、昼過ぎだった。春は何か見えないものと話しながら、たどたどしく夕飯の支度を始めたのだ。
「大丈夫か、春。包丁や火は危ないぞ」
「だいじょうぶ。作るのはね、ハム入りの卵焼きと、レタスとのりのサラダと、おとうふのおみそ汁。お米はといで、炊飯器のスイッチ押すだけでしょ。材料はちぎったりスプーンですくったりすればいいから、包丁は使わないし、火は鬼さんたちが一緒だから平気だよ。海にいにも教えてもらってきたんだ」
はらはらする祖父の目の前で、春は時間をかけて夕飯を作りあげた。傍らには、ずっと鬼がついていてくれたのだろう。須藤翁にはその姿を見ることができなかったが、鬼の子である春にははっきりと、指南してくれる鬼が見えていて、声が聴こえていたらしい。
孫娘が一所懸命に完成させた夕食は、不思議なことに、死んだ嫁の料理とよく似た味がした。
「春、お前、よくやったなあ」
須藤翁が思いきり抱きしめて頭をなでてやると、春は照れくさそうに笑った。きっと鬼にも褒められたのだろう。「えらいって、いっぱい言われちゃった」と呟いていた。
日常生活を、春は順調にこなしていた。祖父が教えたこともきちんと頭に入れ、同時に鬼たちや、年上の人間たちの助けを借りて、どんどん成長していった。つる草が上へ上へと伸びていくようだと、須藤翁はしみじみと思ったものだった。

須藤翁の仕事は、礼陣を取り囲む山々の木々や竹を使った細工物を作ることだ。だから基本的に家にいて、作業場としている部屋で道具を操っている。
春はよく作業場を覗きに来ては、その仕事ぶりを眺めていた。時折、「これはどうするの」「どうやったらこういうふうにできるの」などと問いを投げてきたので、しっかりと受け止めて答えを返した。このやりとりをするのは初めてではないので、すぐにわかりやすい言葉で伝えることができた。
須藤翁自身が幼かった頃、彼は春の立場だった。作業をしている祖父と父に、あれこれと尋ねては、仕事の理屈を覚えていった。実際に道具や材料を触らせてもらったときには、嬉しさでわくわくしたものだ。
その気持ちを思い出したのは、息子が幼かった頃のことだ。今度は自分が教える側になって、きらきらと瞳を輝かせる息子に、仕事を教えた。細工だけでは食べていけないので、ものの修繕やちょっとした大工仕事も請け負いながら、技術を息子に伝えていった。
成長した息子は工業系の進路にも強い礼陣高校に進学し、技術系の専門学校へと進んでいった。父の生業を受け継ぐつもりで道を選び、高校時代から付き合っていた品の良いお嬢さんを嫁にもらった。
そうして生まれたのが春という、小さく可愛らしい孫娘だ。須藤翁が細工物を作るその指先を、母に似ているはずの、しかしながらいつかの父と同じ真剣な眼差しで、じっと見ていた。祖父の語る言葉の一つ一つをしっかりととらえていた。
学校の宿題として工作をすれば、須藤の血が流れているのだということを証明するように、器用に上手な作品を完成させていた。そのうち祖父の道具を借りて大掛かりなものに挑戦するようにもなり、できたものを真剣に点検しては、「ここはもっとこうしたほうが良かった」などというようにもなった。
おまけに、女の子ながら力も強く、重いはずのものも軽々と運ぶ頼もしい一面も見せる。須藤翁が半分呆れたように「本当にお前は女の子か」と言えば、春は可憐な笑顔で「失礼な」と答えた。

祖父と孫娘の二人暮らしは、比較的穏やかに過ぎていった。少なくとも周囲からはそう見えていた。壮絶な喧嘩をするほどのことはなかったし、須藤翁は理解のある良い祖父で、春は祖父を支え労わる良い孫娘だった。
「おじいちゃん、これどう? ぶかぶかだよね?」
小学校の卒業式を近くに控えた春は、祖父とともに、商店街の水無月呉服店に来ていた。中学校で着る制服を合わせるためだ。背の低い春は丈を直さなければならず、ちょっぴり悔しげに鏡に向かっていた。
「一回りくらい大きいほうが、背が伸びたときに困らないだろう」
「でもこれは大きすぎだよ。あーあ、なんでこんなに育たないかな。五月生まれなのに、早生まれの子より小さいんだから。中学校に行っても、背の順に並んだら一番前になっちゃうんだろうなあ……
そんなやりとりを、呉服店の従業員と、その年高校生になるという呉服店の息子は微笑ましそうに見ていた。
「じゃあ、背が伸びたときに困らないように、スカートは裾を折って留めておきましょうか。それなら、短くなったときに直せますからね」
「春ちゃんなら器用だから、自分でも直せるかもしれないね。あ、でも袖はどうしようか。ちょっと長いけど……
「そうなの、手が隠れちゃう。和人さん、どうにかならないですか?」
「僕はどうすればいいのかわからないな。でもうちの校則に袖の長さの規定はないから、危なくないようにすればいいんじゃない?」
大きめといえど、制服に身を包んだ孫娘は、やはり成長しているのだと須藤翁は思う。低い身長も、もっと小さかった頃に比べれば確実に伸びている。
なにより、だんだんと母親にそっくりになってきた。あと数年もすれば、須藤翁が初めて会った頃の嫁に生き写しになるだろう。
「ねえ、おじいちゃん。聞いてた? 直さなくちゃいけないから、今日の受け取りは無理だって。卒業式には間に合わせてくれるみたいだけど」
「ああ、聞いていたさ。なに、水無月さんなら上手くやってくれるよ」
こんなふうに、孫の衣装合わせに付き合う機会は、あと何度巡ってくるだろう。次は高校生になるとき。それから、必要ならばスーツや、振袖に、袴。――自分がそれまで元気に生きていれば、花嫁姿も見ることになるのだろうか。
いや、全て見届けなくてはならない。たった一人の孫娘だ。息子たちの忘れ形見だ。この命が続く限り、彼女の人生を見ていなければ。鬼たちに負けないように。
そんなことを考えていたら、春がにっこり笑って、言った。
「この先もこうやって、私の成長を見ていてよね。今よりもずっと背が伸びて、お母さんみたいにきれいになって、お父さんみたいに強くなったとき、それを見て褒めてくれるおじいちゃんがいなきゃ、いやだからね」
須藤翁は目を丸くしたあと、相好を崩して、もちろんだとも、と頷いた。