礼陣の夏祭りは、二日間。二日目の夜には、夜空に大きな花が咲く。それで祭りは締めくくられ、礼陣の夏が終わっていくのだ。

花火大会は遠川の河川敷で行なわれるために、そちらへ移動する出店もある。人の波も河川敷方面へと流れていくので、神社付近はさぞや静かになるだろうと思えば、そうではない。高台である神社からは花火がよく見えるので、ここから絶景を楽しむ者も多いのだ。

特に鬼たちは、境内で酒盛りをしながら花火を楽しむことを好む。人間たちが供えていった酒や菓子を、花火を肴に味わうのだ。鬼が見える者がこの場所を訪れれば、さぞや賑やかな光景が見られることだろう。

実際、それを見ている人間はいる。鬼の子たちは、その愉快な眺めに表情をほころばせている。しかしそこは鬼の領分であるとして、入っていくことはしない。人間は人間として、祭りのフィナーレに心を寄せる。

だからこそ鬼たちは、祭りの余韻に浸れるのだ。

『今年は人間が多かったな。何年かぶりに帰ってきた顔もあったぞ』

『高校を卒業してから出ていった子が、子供を連れて帰ってきていたねえ。すっかり良いお母さんになっていて、なんだか感動しちゃったなあ』

鬼たちは礼陣に住む人間たちのことをよく憶えている。ずっとここにいる者はもちろんのこと、進学や就職などを機に出ていった者や、よそへ嫁いでいった者など、何かの都合で引っ越していった者たちのこともちゃんと心に刻み込んでいる。誰もみな、長い時を生きる礼陣の鬼たちにとっては我が子のようなものだ。

今年は不本意な理由もあってのことだったが、礼陣の土地を心配して、多くの者が祭りをきっかけに帰ってきてくれた。初めて礼陣を訪れた者も多かった。人でいっぱいの駅を、街を、神社を、鬼たちは目を細めて眺めていた。

恒例の行事も、何度見ても飽きない素晴らしいものだった。神輿行列は絢爛かつ雄々しく、人々の心を躍らせた。通りに並ぶ出店屋台は活気にあふれ、子供達の値切りの声が可愛らしかった。中央広場の特設ステージは数年前に設けられた新しい趣向だが、これから伝統になっていくのだろう。

『昼間の舞台は見に行ったかい? 礼陣高校の合唱部の発表が素晴らしかったね』

『社台高校の演劇も面白かった。若者たちは元気があっていいねえ』

『良い声の兄ちゃんが出ていたじゃないか。ギターの引き語りの。内田君だっけね?』

『ああ、いたいた。それと、流と和人の飛び込みライブ。相変わらず良い意味での無茶をしてくれるよ』

新しい試みも、鬼たちは人間の営みとして見守る。伝統とは人間たちが作りあげていくものであり、変化こそすれどその心の根は変わらないのだと知っている。長く生きていると、自然にそのことがわかるのだ。『最近の奴らは』などという鬼もいることにはいるが、結局最後には、『人間は面白い』という結論になる。

こんなに酒が美味いのも、人間たちの営みのおかげなのだ。彼らが日々を生き、鬼たちに親しんでくれるからこそ、現在がある。

その見返りというわけではないが、鬼たちは人間を好み、愛し、守ろうとしている。その願いを、希望を、応援している。時々はできる範囲での手助けもする。

互いにどんなに傷ついても、それをまた互いに癒しながら、今日までの歴史を紡いできた。礼陣という土地の、長く短い、短く長い、愛しき年月を歩んできた。その集大成が、この夏祭りにある。毎年この日が笑顔であふれることが、鬼たちの、人間たちの、生きている証になっている。

この目に映る空に咲く光の花も、胸を突くような音と歓声も、自分がここに生きていると実感できる要素となる。

『ああ、いいねえ、花火は。礼陣の空を彩るあの大輪の花が、酒を美味くするってもんだ』

『きっと人間たちも同じことを言っているよ。私たちと人間で、違うのは寿命と使える力だけだもの』

『見た目の違いなんか、人間同士でもあるしねえ』

礼陣の土地に住まう、住んでいなくとも今この瞬間にここにいる、たくさんの人々が同じ空を見ている。同じ音を聞いている。同じ匂いをかぎ、同じ空気に触れている。もしかしたら、同じ酒を飲んでいる者もいるかもしれない。

互いに互いの領分に踏み入りすぎないようにしているとはいえ、感じることに垣根はない。人間と鬼は、礼陣で、そうして生きてきた。生きている。同じ夏を、そして秋、冬、春を過ごしている。

花火とともに、今年の夏が終わっていく。新しい季節を迎える準備が始まる。人々は、人間も、鬼も、様々なかたちで成長していく。新しい命が生まれ、死んでいく者はこの町での日々を瞼の裏に見る。時は黙っていても流れていく。

鬼たちは人間よりも長くその時を見つめ、かたちを少しずつ変えていく祭りや日常の光景を、その心に刻みつけていくのだ。

『来年の祭りも楽しみだね』

『いやいや、まだ今年の楽しみがたくさん残っているじゃないか。それまで私たちは、礼陣を見守り続けていよう』

かたちの様々な鬼たちは、口々にそう言って、猪口や酒瓶を傾けた。

 

百五十年を生きる子鬼、牡丹は、他の鬼たちが繰り広げる宴会から少し離れた場所に立って空を見上げていた。

もう何度も見た花火だが、毎年新鮮に思えるのはなぜだろうか。いつも感想は「美しい」なのに。

多分に、牡丹が人間たちのそれまでの一年間を、その目で見て心に焼き付けてきたからなのだろう。どんなことがあっても、祭りの最後には大輪の花を咲かせる。そんな人間たちの、そして鬼たちの想いを感じるから、牡丹はこの花火が好きなのだ。

『今年は海が高校生に、やっこが中学生になった。黒哉がこの町に来て、鬼の子となった。……人間の成長とは、町の変化とは、目まぐるしいものだな』

だから愛しくて仕方がない。辛さや痛みを抱えていたら、そっと触れて癒してやりたいと思う。牡丹は礼陣の町が大好きだ。

だからこそ、こんな日にも町を呪い続ける存在がいることを、苦しく思う。

進道家に封じられている呪い鬼「葵鬼」は、八月十日に鬼封じを行なったばかりなので、毎年祭りのときには力を落としておとなしくしている。しかしその胸に抱いた礼陣への恨みは、消えずに堆積していくばかりだ。

彼女を人間だったうちに救えなかったことを、牡丹は深く後悔している。せめて一緒に祭りを楽しめるくらいには、彼女の心を癒したかった。その糸口だけでも掴みたかった。今でもそれが悔やまれる。

彼女を救えるものはあるのだろうか。自分はこれからでも彼女を救えるだろうか。牡丹は花火の明かりの下で、この町の全てを愛しく思うがゆえに、そんなことを考えるのだった。

隣に人鬼の美和でもいれば、少しでも悩みを忘れられたのかもしれないが、彼女は今、別の場所から花火を見ている。もう離れていこうと決めた人間の弟の傍で、渦巻く思いを抱えながら。

花火の美しさに、人々は様々な思いを託しながら、礼陣の夏の終わりを過ごす。最後の一花が、紺碧の空に大きく咲き誇り、散っていった。