自分の誕生日が好きではないといったそいつは、八月生まれだという。だが、いつなのかを明確に知らされてはいなかった。

「進道の誕生日?」

「ああ、八月だと聞いたんだが、いつなのかわからないんだ。本人はその日が好きではないらしいから、改めて訊くのも憚られてな」

一年生の学校での夏季講習は、七月いっぱいで終わる。その最終日、俺は講習を終えて部活に向かおうとしていた、クラスメイトの里を呼び止めた。彼なら間違いなく知っているだろうと思ったら、やはりその通りだった。

「十日。八月十日だよ。でもなあ……その日が近づくと進道の機嫌が悪くなるというか、ピリピリしてるから、祝うなら十日を過ぎてからがおすすめだな」

里は声をひそめ、苦笑しながらそう言った。それから俺が怪訝な表情をしているのを見て、こう続けた。

「祝ってもらうのは嬉しいみたいなんだけど、十日当日は家庭の事情でなんだかごたごたするらしいんだ。オレも詳しくは知らないんだけどさ。森谷君なら進道の機嫌を損ねることはないと思うけど、何かするなら十日の後だ。そのほうがぎくしゃくしないで済む」

そういえば、以前に誕生日が好きではないと話していたときに、家庭の事情があってということも聞いた気がする。そしてそれは、あいつと小学生の頃からの付き合いだという里も知らないようなことらしい。だとすれば、俺にもその詳細は話さないだろう。こちらも、込み入ったことにまで踏み込む気はない。誰だって話したくないことの一つや二つはある。

とにかく、俺は友人、進道海の誕生日が八月十日であることと、祝うならその日を過ぎてからがいいということを知れたのだ。あとは何をすればいいか、考えるのはそれだけだ。

「里は毎年、海の誕生日を祝ってるのか?」

「いや。オレも進道の誕生日知ったの、中学入ってからだったし。当日には祝ってやれないから、忘れてた年もある。でももし森谷君があいつのために何かしたいと思うなら、一番自然なのは夏祭りを一緒に楽しむことかな」

「夏祭り……」

八月に礼陣で大規模な夏祭りが行なわれることは、隣町に住む俺でも知っていた。なんでも、この祭りのために山を越えてわざわざやってくる人までいるらしい。一年で最も礼陣の人口が多い日なのだと、いつか聞いた。

祭りの日程は二日間。今まで見にきたことはなかったが、今年は来てみようか。せっかく礼陣の学校に通うようになったのだから、礼陣の行事に参加するのもいいだろう。

なにより、それが海のためになるのなら。

「進道に、今年の夏祭りに参加したいことを伝えてみるといいよ。今時期はあんまり機嫌よくないけど、森谷君が来てくれるなら喜ぶだろうし」

「わかった。ありがとう、里」

里の助言通り、俺はすぐに海に連絡を取った。とはいえ、これから互いに部活があるので、メールを送っておいただけだが。

返信があったのは、夕方になってからだった。[今年の夏祭りに参加したいと思っているんだが、何か必要なものはあるだろうか]という俺からのメールに、海は少なからず喜んでくれたようだった。

[夏祭りに来てくれるなら大歓迎です。うちで法被や浴衣なんかも貸し出しますから、当日の朝に礼陣に来てくれれば、駅まで迎えに行きます。うちに泊まって、二日間を楽しむのもありですよ。]

文面はいつもの、俺に接してくれる時の海だ。そのことに安心しながら、俺は再びメールを送信した。海の家の都合が良ければ、そうさせてもらおうと思ったのだ。

 

それから祭りの日までは間があったが、十日までの海は里のいう通り、いつもより神経質になっているようだった。部活動のために学校に来たときに、ときどき顔を合わせていたが、笑顔がどことなくぎこちない。何を考えているのか、眉を顰めている表情もよく見かけた。

十日当日は一度も姿を見かけなかった。十一日になると、疲れた顔をしてはいたが、俺のよく知る人懐っこい海に戻りつつあった。

それから盆を過ぎ、いよいよ祭りの当日がやってきた。その日が近付くにつれて礼陣駅構内の装飾が華やかになっていくのは見ていて面白いものだったが、当日はそこに人が増えて、今まで見たことのない混雑ぶりに戸惑った。

その中からすぐに、それほど背の高くない俺を見つけ出した海は、やはりすごいと思う。

「連さん、大変だったでしょう。祭りの日だけは他県からも人が来ますから、駅も駐車場も混むんですよね。ツアーバスまであるんですよ」

「そんなに有名な祭りだったのか」

「一部の人にとっては、礼陣に来る絶好の口実ですからね。ここってちょっと変わった土地柄なので、興味を持つ人も少なくないんです」

駅から進道家まで歩いている間に、海はそのことについて詳しく教えてくれた。礼陣の「変わった土地柄」というのは、鬼がいるという話が人々に深く浸透して信じられているということ。そして「一部の人」はある意味で怪奇ミステリーのようなその事実に興味を持ちやってきて、そのまま礼陣の土地の持つ不思議な魅力にとりつかれてリピーターになってしまうということ。海は「観光客はみんな社会科の平野先生みたいな人なんだと思います」と表現していた。つまり、駅で見かけた人の多くは礼陣マニアなのだ。それがライトなものにせよ、すでにどっぷりとはまってしまった人にせよ。

「連さんは、鬼がいるって言われたら信じますか?」

「……それは怖いものか?」

「怖くないですよ。礼陣では人々を、特に子供を守ってくれる神様という扱いですから。それに性格や考えは人間と大して変わらないんです」

海の言い方は、鬼がいると「信じている」というよりも「それこそが事実である」というように聞こえる。まるで親しくしている友人のことを話すように、鬼のことを語るのだ。俺は正直、ホラーや怪奇現象といった類のものは苦手だが、礼陣の鬼についてはそれとは少し違うらしい。人々に親しまれている、身近な神様なのだろう。

今日と明日で行なわれる祭りも、鬼を祀る礼陣神社の例大祭を兼ねたものだそうだ。だから礼陣の人々はこの日を大切にし、盛り上げる。外から来た人たちは、この行事に興味を持つ。俺は一人納得して、「なるほど」と呟いた。

「夏祭りの一日目の見どころは、神輿行列です。大神輿を先頭に、中学生神輿や小学生の子供神輿が連なって町中を練り歩くんですよ。すぐに始まりますから、急いで支度をしましょう」

八月上旬のピリピリした雰囲気はどこへやら、海は楽しそうに祭りのことを話してくれた。あれはいったい何だったのだろうとも思ったが、この笑顔を一瞬でも崩したくなかったので訊かなかった。俺は海を祝いに来たのだから。

進道家に到着すると、用意しておいてくれたらしい法被を渡された。神輿行列の間は、浴衣などよりもこちらのほうが風情があっていいのだという。

「中古で申し訳ないんですけれど」

「いや、貸してくれるだけでもありがたい。それに中古といっても、そんなに古くは見えないが」

「中学の時に着てたものです。俺には少しきつくなってしまったものですけど、連さんはどうですか?」

「悔しいが、ぴったりだな」

法被を羽織ってみると、体格がさほどよくはない俺にはちょうど良かった。海は一回り大きなサイズの法被を粋に着こなしている。

そうして外に出ると、同じように法被を来た子供たちが走っていくのが見えた。子供神輿を担ぎに行くのだと、海が目を細めて彼らを見送る。

「海も担いだことがあるのか?」

「もちろん。小、中と参加し続けましたよ。唄を大きな声で歌いながら歩くんです。説明するより、実物を見たほうがわかりますから、俺たちも行きましょう」

子供神輿のスタート地点は各町内会で設定されているが、大神輿は礼陣神社の神輿蔵から出され、町をまわったあとにまた神社へ戻ってくる。海が連れて行ってくれたのは、大神輿のスタート地点、つまりは礼陣神社の付近だった。沿道にはすでに人が大勢集まっている。

「大神輿はどこにいても見えますから、安心してください。人が陰になって何も見えなかった、なんてことにはなりませんし、させません」

「案内ばかりさせて悪いな」

「悪いことなんかないです。連さんが楽しいと思ってくれれば、俺も嬉しいですから」

やがて神社のほうから威勢の良い声が上がり、こちらへ近づいてきた。そして俺は、海の言った意味を理解する。大神輿はその呼び名に恥じない大きさと迫力をもって、俺たちの眼前にその姿を現したのだ。加えて担ぎ手たちの朗々と唄う声が、お囃子とともに響く。礼陣を訪れ、この町にとりつかれる人々の気持ちがわかった気がした。この祭りの持つ力に、惹きつけられないわけがない。

通学し、友人ができ、礼陣の町の人々が誰もみな温かなことは感じていた。けれどもそれだけが、この町の持つ表情ではないのだ。――友人が、そうであるように。

「連さん、神輿を追いますよ。一緒に街を歩くための、法被にスニーカーなんですから」

子供のように人懐っこいかと思えば、時折寂しそうに笑ったり、場合によっては強行手段にでることもある。海はまさに、礼陣の町に育まれた子供なのだろう。

俺は海に導かれるように、大神輿の後を追う。この先には、俺がまだ見たことのない景色もあるはずだ。

海の誕生日祝いをしようと思って祭りに来たはずが、いつの間にか俺のほうが楽しませられていた。

 

神輿行列が無事に終わり、太鼓の音と歓声がまだ耳に残るうちに、海は俺を出店めぐりに連れ出した。出店は駅前の大通りと駅裏の商店街で展開されている。ちょうど昼時だったこともあって、食べ物の匂いに腹の虫が鳴いた。

「子供なら頑張れば、商店街に出てる屋台限定で値切れるんですけどね。俺もやったことあるんですけど、商店街の人たちは手強いんですよ」

海は商店街に並ぶ出店の方が好きなようだった。華やかな駅前は観光客向け、神社へ向かう人も行き交う商店街は地元の人たちを意識しているように思われる。食べ物以外にも、ヨーヨー釣りや射的などの店があり、子供達はどこにでもいて祭りを満喫している。もちろん俺たちのような高校生らしい姿もあった。

顔の広い海は、どこへ行っても声をかけられていた。そのおかげもあってか、出店で買った品にはおまけがついたものも多かった。どこかで海に何か奢って、その流れで「誕生日おめでとう」と言おうと思っていたのだが、そのタイミングはなかなか訪れない。

「連さん、かなりおまけしてもらったんで、一緒に食べましょう。それでもまだ余裕があったら、御仁屋の夏祭り限定おにまんじゅうをご馳走します」

もしかしたら、俺が考えていたような機会は訪れないかもしれない。どうやって祝いに来たことを伝えようか。通りを歩く人々の賑やかな声を聴きながら、俺は少し焦ってきた。

俺がもらってばかりでは駄目だ。海に何かを贈らなければ。

「海、その限定のおにまんじゅうは俺が買ってくる」

「え、ちょっと、連さん?!」

人混みの中を潜るように、俺は海から離れて商店街を駆けようとした。もちろん人がいっぱいで、走ることなんてできないのだが、とにかく急いで御仁屋に行かなければ間に合わない気がしたのだ。

けれども、焦りだけで行動するとろくなことはない。春から礼陣に来るようになり、商店街には通いなれたはずなのに、人が多いというだけで方向感覚がわからなくなる。海からはぐれた俺は、気がつけば自分の居場所がわからなくなっていた。

人のあいだから、小高い場所にある鳥居は見える。あそこが神社だ。ならば御仁屋はその下にあるはずなのに、そこまで辿り着けない。見知らぬ場所に突然放り込まれたような感覚が、怖かった。

「連さん!」

そこに飛び込んできた声に、どれだけ俺は救われただろう。どうしてあいつは、海は、こんなにもすぐに俺を見つけることができるのだろう。

「突然走り出してどうしたんですか? びっくりしましたよ」

俺の腕を間違えずに掴んで、困ったように笑う。そんな顔をさせたかったんじゃない。海のために何かをしたかったのに、これじゃ本末転倒だ。自分のしでかしたことが恥ずかしくなって、俺は俯いた。足元には、色の濃い影が落ちている。俺たちの脇を、たくさんの人が流れていく。

「連さん? 何かありましたか?」

「……俺は、」

こんなに賑やかで楽しい祭りは初めてだった。友達と祭りに来るなんて、今まで経験したことがなかった。友達のために何かができるかもしれないと思えたのが、きっと、嬉しかった。色々な思いが混ざり合って、喉に詰まって、声が出ない。

八月のぬるい風が、肌を撫でた。

「御仁屋に行きましょうか、連さん。ここは暑いです」

 

今日の御仁屋は観光客が多かった。だが、なんとか二人分の席を確保することはできたようだ。というのも、俺は海の誘導に従い、海の「祭りのあいだは観光客がよく来るんです」という言葉を聞いていただけで、周りの様子なんて確かめもしていかなかったのだ。

冷やしたほうじ茶を一口飲んで、ようやく喉が通った気がした。

「連さん、何か食べます?」

「……海こそ、何か食べたいものはないのか」

「俺は、ほら、こんな状態ですし」

出店で買ったものが入った、大きめの袋を指さしながら、海は笑った。

「おにまんじゅう。さっき海が言ってた、限定の」

「わかりました。すみません、限定おにまんじゅう二つ」

海は何もなかったかのように振る舞ってくれるが、もう今更、格好つける必要なんかない。そもそも、海にはすでに、俺がとても格好悪いことを知られているのだから、最初から思ったことをそのまま伝えればよかったのだ。

運ばれてきたおにまんじゅうを前に、俺は小さな声で言った。

「今月の十日が、誕生日だったんだよな。その祝いを、祭りの場でしたかった」

「……あー、そういうことでしたか」

なんかそわそわしてるなと思ったんですよね。そう言って、海は息を吐いた。

「俺はてっきり、何かが連さんの気に障ったのかと思ってひやひやしてたんですよ」

「そんなことはない。誤解させてすまなかった」

「謝ることじゃないです。寧ろ、俺からお礼を言わなくちゃ。お祝いありがとうございます、連さん」

まだ何もできていない俺に、海はそう言う。それから、「三年前に」と切り出した。

「今と同じように、ここで、初めて家族以外の人から誕生日を祝ってもらいました。自分の誕生日は好きじゃないんですけど、祝ってもらうのは別で、誕生日を喜んでも良いんだなくらいには思えるようになりました。……今も、連さんにそう言ってもらえて、とても嬉しいんですよ」

どういう理由で八月十日が好きではないのか、それはとうとう話してはくれなかった。けれども、そんなことはどうでもいい。今年は変に遠回りをしてやっと伝わったけれど、来年からは素直に、気軽に、言おうと思った。

「誕生日、おめでとう。……かなり過ぎたけれど」

「ありがとうございます」

俺たちはおにまんじゅうを手に取り、同時に頬張った。中身はさらさらの白餡だった。

 

さすがに荷物が多くなったので、一度進道家に戻ることにした。買ってきた食べ物を広げて、二人で分けながら食べると、思いのほかあっというまになくなってしまった。

「夜に着替えて、また出店をまわりましょう。昼間とはまた違った風情があるんです」

「そうだろうな。夜は神社にも行ってみたい」

「俺も連れて行こうと思ってました」

今日はまだ一日目。まだ明日も祭りは続く。フィナーレには、花火が上がるそうだ。