商店街に、紙で作られた飾りが揺れる。近隣の幼稚園や小学校の児童たちが願いを込めた短冊が、風に踊る。それに喜ぶのは、人間たちだけではない。礼陣では鬼たちの楽しみでもある。
いつの頃からか、七夕は人間の願いを知る絶好の機会となっていた。この日になれば、たくさんの子供達の「願い事」を掬うことができる。そうして、叶える手伝いができそうなものには、鬼たちがこっそり手を貸してやるのだ。
けれども、商店街を彩る短冊は小学生の、それも低学年の子の分まで。それより上の子供達の願いは、なかなか拾い上げることができない。長い時を生きる鬼たちにとっては、大抵の人間は自分の子供のようなものだ。どうにかして、みんなの願いや希望の助けになりたい。そんな鬼たちの「願い事」を叶えるために、礼陣神社の神主であり鬼の長である大鬼様は、毎年ささやかな仕掛けをする。
神社へ続く石段の下に、大きな笹と、小さな机を用意する。机には、長方形に切って糸をつけた紙とサインペン。そこに「ご自由にお書きください。そして、吊るしてください」と書いておけば、通りかかった誰もが参加する。
大鬼様の願い釣りに、今年はどんな思いがかかるだろう。人間にとっては遊びのような、けれども鬼たちみんなが注目する、小さな行事のはじまりだ。
一番最初はいつだって、準備の手伝いをする者に譲られる。ここ何年かは愛が一枚目の短冊を吊るしている。一枚あれば、見かけた誰かがそれに続いていく。ある意味、お手本のようなものでもある。
「愛さんは、いつもの、ですね」
「もちろんです。私にとって、これ以上の願いはありませんから」
思いが込められた丁寧な字で、『家族が元気に過ごせますように』。彼女にとっては何よりも大切なことだ。神主と鬼たちは深く頷き、手伝うことを約束してくれる。
愛の家族には、たくさんの人が含まれる。兄と弟、叔父、近い将来兄と弟の嫁になるであろう人たち。それから、愛を育んでくれた町の人々と鬼たち全て。礼陣の町が丸ごと、愛にとっての家族なのだった。
二枚目以降は、学校帰りの子供達。帰りの早い小学生から順に、わいわいと願いを書いては笹に飾りつけていく。どの校区にいる子でも、神社でこの小さなイベントをしていると知っていれば、集まってきて願い事を記す。少し離れた遠川小学校に通うやつことその友達も、連れ立ってやってきた。
「やっぱり大会優勝だよな」
雄人が真っ先にサインペンをとって、短冊に大きく『剣道の大会で優勝!』と書く。やつこは「今年も雄人に先越されたー」と文句を言いながら、ちゃんと別の願い事を考えていた。けれども、それを書くのはもう少し後だ。サインペンは、結衣香の手に渡った。
「じゃあ、わたしも好きなことの上達にしようっと」
転がりそうな丸い文字で『手芸がもっと上手になりますように』。結衣香が布で小物を作ったり、刺繍をするのが大好きなのを、そしてすでにかなりの腕前であることを、この場にいる全員が知っている。それでも彼女はさらに上を目指すらしい。
「……それなら、わたしは絵を描くことにする。せめてお姉ちゃんくらいには上手になりたい」
続いた紗智は、『絵がきれいに描けますように』と書いた。一緒に星を二つ描いて、笹に吊るす。
「みんな、願いってより目標みたいになってるな。俺は何にしよう……」
悩みながらも透が書いたのは、『平穏無事』。けれどもすぐに雄人から、「平穏は多分ないぞ」と言われる。それでもいい。今の仲間と一緒にいる限りは、騒がしく動き回るのが「平穏」だ。
そうしてやっと、やつこにサインペンがまわってくる。鬼の子であるやつこには、周りにいる鬼たちの視線がこちらに向いているのもわかる。このイベントが、鬼たちのためのものであることも知っている。だからこれからもそうして見守っていてくれさえすればいいという思いを込めて、『礼陣のみんなが幸せな気持ちになれますように』と書いた。
「やっこらしいな」
「やっこちゃんがそう思ってくれるだけで、わたしは幸せ!」
「そう? それじゃ、早速叶ったね!」
やつこは鬼たちに少しだけ目配せしてから、友達と一緒に駆けていった。短冊はまだまだある。
中学生もこのてのイベントは好きだ。集団で、時には一人でやってきては、勉強や部活、日常のちょっとしたことや、将来の夢を書き連ねていく。
春、千花、詩絵の女の子三人組も、きゃっきゃとはしゃぎながら願い事を書いた。
「詩絵ちゃん、『商売繁盛』ってちゃっかりしてるねえ」
「商店街の子としては、書かないわけにいかないからね。千花は……『お父さんがたまには休めますように』って、それ本人に言ったら?」
「本人に言いたいのに言えないから書いてるの。春ちゃんは?」
「努力だけじゃどうにもできないこと……」
春が短冊に、少し恥ずかしそうに書いたのは『背が伸びますように』だった。それを見て、千花と詩絵は同時にふきだした。予想通りの反応とはいえ、やっぱりちょっと悔しい。
「私には切実な問題なのに……」
「気にすんなって。ちっちゃい春は可愛いよ」
「春ちゃん、成長期はこれからだよ」
笑いながら、女の子たちは短冊を笹にかけていく。その様子を、中学生男子二人が遠巻きに見ていた。幼馴染があまりに楽しそうだったので声をかけられなかった海と、単に可愛い女子を眺めていたサトだ。
「進道、オレたちも書きに行こうぜ」
「今更願い事なんかないから、俺はいい。あれに書くと鬼に見られるし」
「いいからいいから」
サトに引きずられるようにして、海は笹と机のあるところへ来てしまった。渋々ながらも、ちらりと春の書いた短冊が見えると、「まだ気にしてたのか」と笑ってしまう。その間にサトが『勝つぞ! 遠川中野球部!』と書いて吊るしていた。
「願い事じゃないだろ、それ……」
「だな。でもいいじゃん、お前の後輩たちだって目標みたいなのいっぱい書いてるぞ。進道も書けって」
サトに促されて、しかたなく海もサインペンを手にした。すでに吊るされている短冊を眺め、そこから心道館門下生のものを探す。ちょうど手頃なのがあったので、真似をした。
「ほら、書いた」
「『大会中学生の部で優勝』、ね。進道にしては無難だな」
「無難じゃないだろ。それにこんなこと、本当はこれに書くようなことじゃない」
海が本当に叶えたい願いは、人間にも鬼にも見られたくないことだ。自分の家で封じている呪い鬼のことなど、外には出せない。こうして曖昧にごまかしてはいるが、きっと鬼たちは本当の願いを知っている。知っていて何もできないのが腹立たしくなるので、こういう「願い事」のイベントは好きじゃない。
ただ、自分以外の誰かの望みが叶えばいいとは、思っている。
高校生がそこに来たのは、もう少し後のことだった。神社の傍にある和菓子屋「御仁屋」に寄り道をしようとして、夕方の風に揺れる笹と短冊を見つけた。
「今年もやってるんだな」
「ああ、今年も姉ちゃんが手伝うって言ってたっけ」
流がうきうきとそちらへ向かうのに、大助と亜子もついていく。和人は少し離れて、彼らの姿を見ていた。横には、彼にしか見えない人鬼の美和がいる。『遠慮しないで行きなさいよ』と彼女が言って、やっと流達に追いついた。
「なんて書く? 『学業成就』とか?」
「亜子、それ書いたところで鬼が『頑張れ』って応援してくれるだけだぞ」
「俺は『願いが叶いますように』で」
「小学生じゃないんだから、もっと具体的に書きなよ、流。……あ、小学生の方がまともなこと書いてるね」
いくつものおぼえのある名前を見て、和人は微笑んだ。彼らが自分の力で叶えられそうなものも、ただただ日々の幸せを願うものも、この小さな机で書かれたものだと思うと、自然と笑みがこぼれた。
「こうして見ると、礼陣は狭いよな。ほとんど知ってる名前ばっかりで、校区は違うのにみんなここに集まって。……狭いのに、子供だらけだ」
大助がしみじみと言うのが、印象的だった。そして自分たちもまだ子供なのだろう。行事の云われも気にせずに、ただその時を楽しむ。――いや、きっと、大人になっても変わらない。
「やっぱり『学業成就』にしとこ。わたしと大助のね」
「俺もかよ。俺は『家内安全』がいい」
「二人とも四字熟語か。ますます俺があほっぽいな。……和人は?」
差し出されたサインペンと短冊を受け取り、和人はちらりと美和を見た。そして、さらさらと「二人分の願い事」を書き、流に返した。
「『商売繁盛』? 商店街の子はこれが多いな」
「そりゃあ、自分の家がもたないと困るから」
和人の願いは、美和の願い。美和の願いは、和人の願い。美和が人間だったら守ろうとしていたはずのものを、和人が代わりに守ろうとするだけのこと。
「で、流の願いって何なの?」
「うーん……内緒」
今年もたくさんの願いがかけられた。神主は短冊をひとつひとつ見、そこに込められた思いを感じ取っていた。何が書かれていても、神主には人々の本当の願いがわかる。ごまかしたものも、秘めたものも、大鬼様にはお見通しだった。
鬼たちには、人間の願いをそのまま叶えてやることはできない。ただ、ほんの少し、背中を押してやることしかかなわない。
『これが今年の礼陣の願いか』
短冊を手にとる神主に、子鬼が話しかける。この小さな鬼もまた、礼陣の人々を我が子のように思っている。その願いを知り、ほんの少しの力を送ることで、応援にかえる。
『願いは早々に放さねばな。そうしてまた次の願いの時まで待とう。人間が心安らかにいられるよう、私たちはそれを支えよう』
「そうですね。この短冊を、みなさんにも見せてきてください」
『わかった。……ふむ、良い願いがたくさんあるようだな。私たちもきっと癒されよう』
短冊はほのかに光を放っている。愛しい子らからの言伝は、鬼の力にもなる。
願いは循環し、またもとへと還っていく。この地は人間と鬼の願いで、あり続ける。