「頼む、はじめ。一生のお願いだ!」
両手を合わせ、頭を下げて頼み込む幼馴染に、はじめは驚き、それから戸惑って、慌てて周囲を見回した。自分たちの様子は明らかに注目を集めている。
「わかったよ、智貴。わかったから、顔をあげてくれ。目立ってるよ」
そう言って肩に手をかけると、幼馴染は顔を上げた。その表情は、にんまりと笑っていた。こうすればはじめは断らないだろうとわかっていて、わざと大袈裟な頼み方をしていたのだ。はじめもそれを知っていて、溜息を吐いてから、苦笑いを返した。
「じゃあ、ついてきてくれるんだな。北市女学院にさ」
「ついていくだけだ。僕に話しかけさせようとするなよ」
「しないって。それじゃ、早速行こう!」
さっきまでの低姿勢はどこへやら、智貴ははじめの手を引っぱって駆け出した。はじめはその速さに任せるように、足を動かしていた。

進道はじめと須藤智貴は、なるべくしてなった幼馴染同士であり、親友だ。互いの家が世代を越えて長い付き合いであったために、ちょうど同じ年に生まれた二人も引き合わせられた。以来、二人はいつでも行動を共にしている。
はじめの母がこの世を去ったときも、智貴は黙って傍にいてくれた。片親を喪い、この町で「鬼の子」と呼ばれる立場になったはじめを、智貴は何の抵抗もなく受け入れてくれた。「鬼」たちと交流を持つようになったことを、「いいこと」として受け止めてくれた。はじめにとって、智貴はかけがえのない存在だった。
その彼がはじめの力を必要としているのであれば、「一生のお願い」なんかではなくても協力するつもりだった。
それがたとえ、「女子校へ気になる女の子を見に行く」というものであっても。
北市女学院は、この田舎にはあまり似つかわしくない、女子教育の名門ともいわれる学校だ。この大きくはない礼陣の町の男子学生にとっては、不可侵の、しかし憧れの詰まった場所である。それは智貴にとっても例外ではなかったようで、北市女の制服を着た女の子が通り過ぎるたびに振り返っていた。
先日、その中にとても可愛い子を見つけたらしい。
「髪が長くて、背は低めなんだ。まさに北市女の生徒って感じに、すごく上品に笑うんだよ。オレの理想の女の子を、神様がうまくあつらえてくれたのかと思った」
「智貴はいつも表現が大袈裟だな。そんなに可愛い子なら、礼高の男子なんか相手にしてくれないんじゃないか?」
……少しは望みのあることを言ってくれてもいいんじゃないの、はじめはさぁ……
智貴は口を尖らせて文句を言うが、町で最も多くの学生を持っている礼陣高校の生徒は、この町では中の中、究極の標準だ。北市女に通うようなお嬢さんたちに相手にされるのはごく一部で、名誉なことだった。それにあやかれるかは、智貴の目当ての女子がどんな子なのかによる。
けれどもわざわざ北市女学院の門前で待つようなことは、智貴の頼みでなければ、はじめにはとても恥ずかしくて、断っているところだ。だいたい、待ち伏せていたところでうまく会えるかどうかもわからないのに。智貴はそこのところを考えているのだろうかと思ったが、とうとうはじめがそのことを口にすることはなかった。
それが運命だったのか、智貴の計算だったのかは、後になってもわからなかった。とにかく彼女は、あっさりと二人の前に姿を現してくれたのだ。
北市女学院の門へ向かう途中、友人と談笑しながら歩いてくる少女がいた。少し低めの身長だが、背筋はすっと伸びている。長い髪が風に揺れて、そこから覗く笑顔からは品の良さが窺えた。さほど期待していなかったはじめも、思わず息を呑む。そしてすぐに、彼女こそ智貴が一目惚れしたという人物なのだとわかってしまった。
頭の中に響く、鬼たちの声も囁きあっている。『あの子だよ』『あの子が智貴の見初めた子だ』と。噂話が大好きなこの町に住む鬼たちは、智貴の恋についても当然のように知っていた。
その中からいくつか重要な情報を拾ってから、はじめは智貴に耳打ちした。
「彼女、礼陣の子じゃないよ。北市女に通うために、隣県から来たみたいだ。女子寮で生活しているらしい」
「さすが鬼の子。鬼たちからの情報収集能力は本当に助かるな。……女子寮住みとなると、チャンスは今しかない!」
智貴ははじめから言葉を受け取ると、すぐに少女のところへ走っていった。行動力は人一倍あるのだが、そこに至るまでに時間がかかるのが、智貴の性分だった。
「すみません。あなた、この辺の人じゃないですね」
……はい?」
しかもその行動は、いつもはじめの予想の斜め上をいく。こんなふうに突然声をかけるなんて、しかも普段の智貴にはとても似合わない言葉を吐くなんて、思っていなかった。
声をかけられた女学生は目をぱちくりさせて智貴を見ていた。周りの女の子たちも唖然としている。はじめは思わずその場にいた大きな体躯の鬼の陰に隠れたが、そもそも鬼は普通の人間に見えないので、意味がない。ただはじめ自身が少し安心するのだ。
そんなことなど知らない智貴は、相手に話しかけ続けている。
「この田舎に住んでいるにしては、可愛らしくて上品だと思いまして。よろしければ、お名前などお聞かせ願いたいのですが」
「は、はあ……
それにしても、よくも言葉が出てくるものだ。舌を噛みそうなくらいまどろっこしい台詞を、淀みなくすらすらと言える智貴が、いっそ羨ましいとはじめは思う。はじめにも好きな女の子がいるが、こんなふうには口説けない。いつだって当たり障りのない言葉と態度で終わってしまい、少しだけ後悔するのだった。
「ねえ、千秋。この人、礼陣高校の人だよ」
「いきなり声かけてくるとか、怖いって」
けれどもやはり胡散臭かったようで、周りの女の子たちが囁きあう。これはだめだなと、はじめも智貴を慰めるための言葉を探し始めた。
だが、そのあとの展開はさらに斜め上をいくものだった。
「私、神崎千秋と申します。あなたは地元の方?」
彼女だけは、智貴に応えたのだ。これには女の子たちも、はじめも、ただただ驚くしかなかった。
『あの子、よそから来た子にしては変わってるんだよねえ。私たちのことにも興味を示しているし、神社にも時折来てくれるんだ』
はじめの傍に立っていた鬼が言う。なるほど、大胆な智貴が惚れた彼女もまた、ほんの少しずれた感覚の持ち主だったらしい。そういう子に惹かれたのは、智貴の持つ本能のようなものだったのだろうか。
「オレは地元の人間で、須藤智貴といいます。突然声をかけてしまって、驚かれたかもしれませんが……
「須藤君。たしかに驚いたけれど、地元の人と知り合えるのは嬉しいわ。どうして私がこの辺りの人間じゃないってわかったの?」
「ここは田舎なんで、大抵の人が顔見知りなんです。突然美少女が現れたら気になりますよ」
「ご冗談を」
呆れて何も言えなくなっている周囲をよそに、智貴と千秋は笑顔で会話をしていた。その様子を眺めながら、はじめは慰めの言葉を考えるのをやめ、「智貴が戻ってきたら、良かったなと言ってやろう」と思った。

「それで、須藤君と神崎さんが仲良くなったのね。この町を好きになってくれる人がいて、嬉しいわ」
数日後の礼陣神社で、はじめは「礼陣神社の三橋さん」こと三橋初音に事の次第を話した。神社に毎日通っていることで有名な彼女は、千秋のようによそから来て、神社や町に興味を持ってくれる人がいるということをとても喜んでいた。
拝殿の傍で会話をしている智貴と千秋を、目を細めて眺めている初音は、まるで子供を愛しむ母のようだ。そんな初音をはじめは好きで、けれども想いを告げられずにいる。
「智貴と千秋さん、うまくいくといいんですが」
「そうね。神崎さんがこの町の人になってくれたらいいわねえ」
今日も当たり障りのない会話で、一緒にいられる時間を埋める。境内に屯する鬼たちに見張られていて、とても行動を起こせる状態ではない。
もどかしい思いと、友人が増えた嬉しさが、はじめの心の中を占めていた。