和人が実家である水無月呉服店の手伝いをするようになったのは、三歳のときからだった。もちろん店に立って仕事をしていたわけではない。七五三用の衣装のカタログを作るために、衣装モデルとなったのだ。男女両方の衣装を着せられ、写真を撮られ、その姿を町中に配られた。
当時はただ「可愛いねえ」で済んだが、成長するにしたがって、この状況に疑問を感じるようになる。
小学生の時分には、もう女児用の着物を着て写真を撮ることを恥ずかしいと思っていた。ただ、きっと双子の片割れなら二つ返事で引き受けて、立派にその役割をこなすのだろうと思って、可愛らしい花模様の浴衣などに袖を通した。
その様子を見ていた当の片割れは、どんな表情をしていただろうか。女の子の格好をさせられる和人を見て笑っていたのか、それともそれは自分がやるはずだったのにと唇を噛んでいたのか、その内心はわからない。なにしろ、片割れである彼女の姿は和人にしか見えず、おまけに非常に曖昧な表情だったという記憶しか残っていないのだ。

礼陣の駅裏商店街にある水無月呉服店には、双子の子供がいる。片方は和人という人間の男の子で、片方は美和という人鬼の女の子だった。人鬼は本来ならば人間に全く視認されることはないはずなのだが、同じ胎から出た縁のためか、片割れである和人にだけはその姿が見える。「美和」という名前も、和人がつけた。
実の親にすら見えない美和の話し相手は、和人と、この町に住む鬼たちである。高校生になった和人が店番を手伝うようになると、美和はそれをこっそり助けるようになった。例えば、客に合う着物を選んだり、より良い小物を勧めたり。それらを和人に告げることで、和人にも適切で丁寧な接客を可能にさせていた。
さらに美和の活躍は、陰の店番だけに留まらない。現在の和人があるのは、ほとんど美和の存在のおかげといっても過言ではないと、和人は思っている。

幼少期の和人は、おとなしく本を読んでいるのが好きな子供だった。けれども、独りでいることは寂しいとも思っていた。
好きな本があって、その話をしたいのに、周りの子供達は外で元気いっぱいに遊んでいる。ならば彼らの仲間に入って遊んでからそうすればいいのに、「仲間に入れて」の一言をなかなか言えずにいた。
小学校に上がる前の和人は、とても引っ込み思案な子供だったのだ。
他の子供に声をかけられず、絵本の世界に埋もれてゆく和人には、同年代の子よりも想像力があった。「もののかたち」を思い描くことに関しては、優れていたといってもいい。
そんな和人が想像したのが、「妹」の存在だった。いや、彼女はただの想像ではなく、たしかにこの世界で生きるはずだったのだ。
「妹」のことを知ったのは、仏間に飾られた小さなぬいぐるみを見ていたときのことだった。母に「これはだれの?」と尋ねて、返ってきた答えがこうだったのだ。
「和人はね、双子だったの。一緒に生まれてくるはずの女の子が、うちにはいたのよ。でもね、その子は和人みたいに大きくなれなかったの。生まれてくるときに、死んでしまったの」
遠くを見つめるように語る母の表情を見ながら、和人は「死んでしまった女の子」のことを思った。もしもその子が生きて、ここにいたのならば、好きな本の話ができただろうか。独りで遊ぶことはなかったのだろうか。双子というからには、きっと自分によく似ていて、けれども女の子だというから、もう少し可愛くて、明るい子になっただろう。
空想はみるみるうちに広がっていった。和人の頭の中にはいつしか、自分とよく似た顔をした女の子の姿が描き出されていた。
まさかその行為が、まだ水無月家をさまよっていた幼子の霊を、鬼にするとは思わなかった。
ある日、和人がいつものように一人で本を読みながら「こんなに面白いことを、だれかに話せたらいいのにな」と思っていたときだった。
『それ、そんなに面白い?』
頭の上から、和人によく似た、でもほんの少し高い声が降ってきた。驚いて見上げた和人の目に映ったのは、「妹」として想像していた通りの女の子の姿だった。ただし、その頭にはつのがはえていて、瞳は赤く、着衣は白く短い小袖のようなものだった。
和人も礼陣の子供だから、この辺りにいるという鬼のことは見えずとも知っていた。おそるおそる声を出して、「君は鬼なの?」と尋ねると、女の子は『多分ね』と返してきた。
それを聞いた和人は、読んでいた本を放り出して、両親がいる店へと走った。礼陣で有名な言い伝えによると、鬼が見えるのは、親を亡くした子供なのだ。しかし、和人の不安はあたらず、両親は元気に店で仕事をしていた。
「どうして、僕は君が見えるの?」
和人が女の子に尋ねると彼女は首をかしげながら言った。
『私にもわからないわ』
その後、様々な方法で確かめてみた結果、女の子の姿は和人にしか見えないらしいということがわかった。名前を持たないというその子に、和人は双子につけられるはずだったという「美和」という名前を与えた。
以来、和人と美和は離れることなく、ずっと一緒だった。大好きな本の話もたくさんしたし、他の子たちの遊びに入れてほしいときには、美和がついてきてくれた。和人以外の誰にも見えない彼女は、「どんなふうに言葉を紡げば遊びに加われるか」をそっと和人に教えてくれたのだった。美和の存在が、和人に楽しみと行動力を与えた。
和人が他の子供達とよく遊ぶようになったのは、それからのことである。美和がいなければ、少なくとももう一年は独りぼっちだったかもしれない。

甚平を数着買っていった客を見送ったあと、和人は店の隅へと振り返った。先ほどまでその客に似合うものを見繕っていた美和は、満足気な笑みを浮かべていた。美和が『これがいい』と選んだ商品を和人に伝え、和人がそれを客に薦めたところ、大層喜ばれたのだった。
「さすがは美和の見立てだね。ちょっと変わった柄だったけど、遠藤さんにはよく似合ってたし、すごく気に入ったみたい」
『遠藤のおじさまは変わり種好きなの。クールビズだからって派手なシャツ着ていっちゃうような人だから、甚平も明るい柄ものが良いんじゃないかと思ってね。ちょうどお父さんが変な柄の夏物を仕入れてたし、あれしかないと思ってたのよ』
商品のことも、それを買う人のことも、美和はよく知っている。どうやらそこは鬼という特別な人たちの間のネットワークを有効に活用しているらしい。和人にはとても難しいことでも、美和にならできる。
『でもね、和人にだってこれくらいはできるのよ。よく人を見て、話を聞いて、お父さんやお母さんの働きぶりをチェックしていれば簡単なことなんだから』
「そうだね。僕もその域に達せるよう、頑張るよ」
いつだって、和人は美和に助けられてきた。その恩返しをしなければならないと思いながら、美和にはできない接客や、チラシやパンフレットに載せる写真のモデルをしたりしている。美和ならきっとしたであろうことを、人間として生きている自分の仕事だと思ってやっている。
そんな和人を、美和はもどかしく思っているのだが、おそらくは和人が独り立ちすることを決めた時点で、美和の役割は終わってしまうのだろう。だから和人に、「自分で考えて、好きなようにやりなさい」と言えずにいるのだ。
和人は美和に支えてもらい、美和は和人から離れられない。そんな二人の関係が、水無月呉服店を作っている。
「和人。隅でぼうっとしていないで、お客様のお相手をしなさい」
父の声がした。和人は「はい」と返事をして早足に次の客のもとへ行き、美和はそれについていった。
「いらっしゃいませ」
和人と美和には重なって聞こえるその声は他の人には一人分しか伝わらない。