衣替えの季節がやってきた。学生たちはみんな半袖のシャツに、夏用のベストや薄手のスカート、スラックスで登校してくる。六月の初旬はすでに、夏の様相だった。
もちろんのこと、夏季略装期間といえども、ルールはある。シャツの裾は出さないだとか、集会などの行事ではネクタイを着用するだとか。年がら年中指定ネクタイを外しっぱなしの俺は、集会の日の朝、見事に違反を発見されて叱られる羽目になった。
「大助、今日は全校集会があるからネクタイ着用って聞かなかった?」
腕組みをして俺を見上げる、一年上の生徒会書記。この近辺の学校の制服も扱っている水無月呉服店の一人息子、水無月和人は、俺の制服の着方には相変わらず目敏い。
「だって、こんなに暑いんだぜ? 集会なんて、体育館に集まるから、もっと暑苦しくなるだろ。こんなときこそ略装でいねえと、ぶっ倒れるぜ」
「誰よりも丈夫そうなのに何言ってるの。あと、ワイシャツの裾。ちゃんとスラックスの中に入れて。先生方も君には目を光らせてるんだから、きちんとしなさい」
予備のネクタイを俺に差し出しながら、和人はぽんぽんとテンポよく文句を言う。この学校の生徒たちの規範となるべき生徒会役員であり、この制服を売っている呉服屋の息子だからこそ、こういうことには人一倍うるさい。特に、毎日のようにルール違反をしてくる俺には厳しい。
多分、亜子が「もっとちゃんとするように言ってやって」なんて余計なことを言ったせいもあるだろう。あの幼馴染は俺がいくら人に、特に長く付き合いすぎた人間からは注意されてもいうことをきかないことをわかっていて、和人に頼んでいるのだ。
男子にしては高く、しかしうちの姉ちゃんのように柔らかな声で注意されると、その場は逆らわない方がいいと思ってしまう。俺は渋々とネクタイを受け取り、ゆるく首に巻く。それからシャツの裾をしまって、和人を見下ろした。目線だけで、「これで良いかよ」と尋ねる。
「……ネクタイをもっとちゃんと締めてほしいけど、まあ、いいか。どうせ集会が終わったら返してもらうし」
ネクタイをするのは、一時限目の全校集会の間だけでいい。夏季略装が認められている間は、こんな窮屈で息苦しいものはしないでいいのだ。その点だけは、夏という季節に好評をつけてやって良い。
「大助、服装直してもらった?」
微妙な表情を浮かべる和人と向かい合っていたところへ、亜子がやってくる。こちらは夏用のベストを着、薄めの生地のスカートを少しだけ短く穿いている。女子用のネクタイもばっちり締めて、優等生の格好だ。
女子のスカートが薄く短くなるのも、夏の醍醐味だと俺は思う。亜子の白い膝がちらりと見えて、俺は唾を飲み込んだ。
「お、大助がネクタイしてる。珍しいな」
だが、亜子に見惚れていた俺の視線は、すぐに上へと移動させられた。背の高い生徒会副会長、野下流は、これまたネクタイをゆるゆるに巻いて、胸元へぶら下げていた。つまり今の俺と同じようなものだった。
「うわ、お前と同じとか気持ち悪い……やっぱネクタイ外してえ」
「集会が終わるまでは駄目だよ。流はちゃんと締めて、生徒会からのお知らせも一応あるんだから」
「えー、こんなに暑いのに。体育館なんてさらに蒸すのに……」
さっきの俺と似たようなことを言って、流はネクタイを締め直す。こいつも、和人のいうことは一応聞くのだった。
全校集会は、人口密度が高く実に蒸し暑い中で行なわれた。あまりの悪環境に、その場でしゃがみこむ者も出るほどだった。六月だというのに、いや梅雨入り宣言の出た六月だからか、この集会で体調を崩すというのは至極自然なことのようだった。
俺も汗でべとべとになりながら、一時限目の終了を待った。体育館から出て、風のよく通る廊下を歩いたときの解放感といったらない。俺はさっそくネクタイを外し、ポケットに乱暴に突っ込んだ。これは昼休みにでも生徒会室に返しに行けばいいだろう。
ついでにシャツの裾も外に出してしまう。いつもの俺の復活だ。教室に戻ってから亜子に咎められたが、気にしない。だいたいにして、今日は本当に暑いのだ。スラックスも捲り上げてしまいたい。裸足になって、氷水に足を浸したい。
「大助は本当に暑がりだよね。だからって、だらしのない恰好はいかがなものかと思うけど」
亜子の小言はまだしばらく続きそうだ。俺は適当に返事をしながら、肌に浮いた汗をタオル地のハンカチで拭った。
「だらしねえって言うけどよ、全裸にならねえだけマシだろ」
「そんなことしたら張り倒す」
このやり取りは、実は昨日のうちに和人ともしている。毎度おなじみのノーネクタイ裾出し姿でだらだらと登校したところを捕まったのだ。「全裸じゃねえだけいいだろ」と言ったら、和人は「できるものならやってみなよ」と返してきた。万に一つもありえないが、実行したとしたら、あいつは何も言わずに即しかるべきところへ通報するんだろう。
亜子は相手にしてくれるだけ良い奴なんだなと、改めて思う。
「シャツの前、全開にしたら、和人の奴は怒るかな」
「その前にわたしがぶん殴った上で、全部きっちり閉めてあげる」
夏は好きではない。暑いし、だるいし、日焼けするし。親が死んだ季節でもあるし。
だが、軽装が許されるのだけは気に入っている。それが過ぎて、和人や亜子の小言を聞くのも、実はそれほど嫌ではない。流が俺と似たような恰好をしているのは、少しだけ癪だが。
すでに黒くなり始めた、半袖から伸びる自分の腕を見て、俺は夏の到来をかみしめる。