小中学校の春の運動会シーズンに大忙しなのは、子供を持つ親や、子供たち当人だけではない。この礼陣という町では、鬼たちも大いに悩むのだ。
『今年はどの学校を見に行こうか』
『子供達をみんな見られればいいんだけれどねえ……
どの学校の運動会を観覧しに行こうか、神社の境内で相談が始まる。彼らの姿は普通の人間からは見えないが、彼らが人間たちを見ることはできるので、このようなイベント事のときにはどの子の活躍を見ようかと思案するのだった。
今週の週末は小学校の運動会だ。その次が中学校である。どれも子供たちの頑張る姿が大好きな鬼たちにとっては、外しがたいものなのだ。
『私は中央小学校に行こうかね。なんといってもお祭男、流の応援団長っぷりを見逃せない』
鬼の一人が言うと、また別の鬼が長くとがった指を振りながら返す。
『いやいや、それなら社台小もなかなかだよ。低学年選抜リレーのアンカーが、あの三橋さんの娘の詩絵ちゃんなんだ。このあいだここに来た時、大鬼様に誇らしげに言っていただろう』
どこか嬉しげに語る鬼を、隣にいた他の鬼がからかうようにつつく。
『お前は三橋さんに会いたいだけじゃないのか? 俺は遠川小だな。海に春に、今年はやっこもいるし、鬼の子が多いから是非とも応援したい』
自分の姿が見える者たち「鬼の子」が多いと、こちらへの反応があって良い。それを期待する鬼もいるのだ。
『鬼の子の活躍といえば、西小はどうだ。運動会は大助が一番輝ける行事だぞ』
特定の子供を応援する声は多い。彼らがみな、鬼たちの間で話題に上りやすいということもある。けれども礼陣の鬼たちの役割は、特別な一人を支えるものではない。たくさんの子供たちみんなを慈しみ、守るものだ。
だから、こんな声も当然出てくる。
『私はたまには南小学校に行ってみようかなあ。少し遠いし、行く鬼は少ないけれど、あそこも礼陣の一部だ。子供たちの健やかな成長を見守るのは一緒だろう』
鬼は礼陣の子供みんなの親であり、守護者だ。体は一つずつしかないから、全てを把握することは難しいけれど、それでも精一杯頑張る子供たちを見ていたい。
だからこそ、どこに行こうか悩むのだ。悩んだ末に決めたところへ行き、終わってから子供たちの様子を語り合う。それも鬼たちの、礼陣の運動会の楽しみ方だ。
『なんだ、まだ話し合っていたのか』
鬼たちがわいのわいのと相談を続けていたところへ、おかっぱ頭の子鬼がやってくる。なりは小さいが、彼女は多くの鬼たちの姉役でもあった。当然、彼女が来れば鬼たちはそこへ次々と言葉を投げかける。
『なあ、おぬしはどこの運動会を見に行くのだ? どの子の活躍を見たいと思う?』
子鬼は少し考えてから、『そうだな』と答えを紡ぐ。
『私は、今年は遠川小を多めに覗いてから、他のところもまわろうかと思っていた。根代のやっこが鬼の子になって初めての運動会だろう。父の姿のない場で、寂しい思いをしていないかが心配だ』
それから、多分大丈夫だろうがな、と付け足した。鬼の子になったばかりの、つまりは親を亡くしてまもない子供のことは心配だ。けれども欠けたものを補うように、その子は友達をつくり、毎日を楽しく過ごそうとしている。様子は見に行くが、干渉はしない。子鬼も、他の鬼も、そのつもりだ。
『なるほどな、お前らしい考えだ』
『だとすると、君と仲の良い美和もそこに行くのか?』
『美和は家族のところへ行くよ。中央小の観覧だ』
礼陣の全ての子供の親であり、鬼の子の親であり、特異ながらも人であることにはかわりのない彼ら。思惑は様々、選ぶ行動は各々違う。
責務も楽しみも合わせて、「子供たちを見守る」。それが礼陣の鬼なのだ。
『全ての人間に姿を見せることができたなら、種目に鬼対抗リレーなんてのも付け加えてもらえるかもしれんな』
できることなら参加もしてみたいが、それは難しいので、元気な子供たちの目を通して行事を堪能する。そうして泥まみれになった子供たちには、たとえ聞こえなくとも、『よく頑張ったな』と声をかけてやるのだ。