大学一年目もひと月が終わったところで、連休が到来した。実家に帰るという選択肢はなく、寧ろまだよく知らないこの土地をまわってみたいと思って、こうして通りを歩いている。笑えないのは、こんなに暇な大学生が自分だけではないということだ。

「タケ、服とか見ていかない? お前いつも地味じゃん」

「余計なお世話だ」

茶木も同じことを考えていたのは、大きな誤算だった。突然連絡を寄越してきて、こちらに特に予定がないことを知るなり、俺を家から引っ張り出した。迷惑な話だ。

しかもさっき、廿日と宮澤、水無月にも連絡をとっていた。まだメールの返事はない。これ以上人が増えても仕方がないと思うのだが、茶木はどうも騒がしいのが好きらしい。

しばらくうんざりしながら駅前を歩いていると、見知った姿があった。

「あれ、カズじゃね?」

同級生の水無月和人。いつもメールの返事が早い彼からなかなか反応がなかったのは、外出していたからなのか。

「誰かと一緒だな」

「あ、ホントだ。……一緒にいる奴デカいな。うちの学校にあんなのいたっけ?」

水無月は見知らぬ男と親しげに話していた。茶木の言う通り身長は高く、華奢な水無月と並ぶとかなりがっしりしているように見える。少なくとも、俺はあんな学生は見たことがない。水無月と親しくしていれば、必ず目に入るはずだ。あれはいったい誰なのか。いつも意味ありげに微笑んでいるだけの水無月が、満面の笑みで楽しそうにしているなんて、よほど仲の良い相手なのだろう。可能性としてありうるのは、大学に入る以前からの友人であることだ。

などと考えているうちに、茶木は不躾にも水無月たちの方へと向かっていき、あろうことか大声で彼を呼んだ。

「おーい、カズ!」

実をいうと、茶木の行動は予測できていたし、期待もしていた。俺の知らない水無月を見られるのは面白そうだ。茶木の声に振り返った水無月は、はたして、どんな顔をしているのだろう。

「茶木君。……と、武池君」

なるほど、水無月は茶木はともかくとして、俺にはあまり会いたくなかったらしい。水無月にしては珍しく、表情が雄弁だった。気安い相手といたせいで、隠せなかったのだろう。

「和人の友達?」

背の高い人物が、水無月を見下ろすように言う。問われた方が答える前に、茶木が遠慮なく二人の間へ入っていった。

「カズとは大学で学科が一緒なんだ。オレは茶木基頼、あっちが武池直」

こういうとき、こいつの無遠慮さは利用できる。俺は遠巻きに見ているだけでいい。水無月はきっと、そんな俺のことをわかっていて、こちらを気にしながら不自然な笑顔を浮かべているんだろう。偶然とはいえ、愉快な状況だ。

「そっか、和人が世話になってるな。俺は野下流だ」

野下と名乗った男は、人好きのしそうな笑顔で茶木に手を差し出した。茶木と野下が握手を交わす横で、水無月はおとなしくしている。さっきまでの楽しそうな様子はどこへやらだ。

「そうだ。カズ、メール見てないだろ。一緒に遊びに行こうって、さっき送ったんだけど」

「あ、そうなの? ……本当だ、来てた。でも僕はこのとおりだから……」

「いいじゃないか。せっかくだし、一緒に見てまわろう。よろしくな、茶木君、武池君」

今の俺にとっては都合のいいことに、そして水無月にとっては悪いことに、野下は茶木と同種の人間らしい。すでに二人で盛り上がっている。会ってすぐに意気投合するとは、こういうことをいうのだろう。それに比べて水無月の、あの引き攣った笑み。ぜひとも、もっとそういう表情を見せてもらいたいものだ。

「水無月、野下。よろしく」

「……うん、よろしくね」

「ああ、よろしくな!」

いつもは当たり障りのない微笑みを浮かべている水無月の、本性を知りたい。野下なら、それをきっと知っている。

 

せっかくだから親交を深めるためにゆっくり話そうと提案したら、茶木がすぐに近くの喫茶店を見つけてくれた。ボックス席で、俺は自分が水無月の正面になるように座る。俺から目を逸らそうとする水無月は、見ていて面白かった。

「流ちゃん、カズの幼馴染なんだ! 地元からわざわざここまで来たの?」

「連休は和人に会いに来ようって決めてたんだ。今日は泊めてもらうつもり」

俺が何も言わなくとも、茶木がどんどん野下のことを聞き出してくれる。野下の情報は、水無月の情報でもある。地元での水無月がどんな人物なのか、俺はそこに興味があった。

馴れ馴れしい茶木はもう野下と完全に打ち解けている。そうして、俺の知りたい情報を簡単に引き出してくれた。

「小さい頃のカズってどんなだった?」

「昔から頭良かったな。剣道も強くてさ、地元道場では最強だったんだ」

「流、あんまり勝手に人のことを話さないでよ」

不機嫌そうな水無月をよそに、野下は色々なことを教えてくれる。水無月が剣道をやっていたなんて話は初耳だったし、この見た目で最強というのも意外だ。本をよく読んでいただとか、生徒会に入っていただとか、いかにもなエピソードもあった。けれども意外性が高いほど、俺にとっては有益だ。

「後輩にも慕われて、良い先輩だぞ」

「それは流のことでしょう。彼、地元ではお祭男として有名なんだ。幼少期はいわゆるガキ大将ってやつで、いつも同級生や後輩を引き連れてた。先輩たちからも一目置かれてたし、流に任せておけば安心っていう空気があったよ」

ところが、水無月が口を開き始めたところから状況が変わってきた。野下が水無月のことを話そうとすると、それを遮るようにして言葉を発する。水無月は野下の人となりや彼にまつわる話を次々と披露し、茶木を感心させていた。

これが水無月の作戦だった。俺に自分の情報を知られないように、野下の話題を自分から出して楯にしているのだ。水無月の言葉が野下を貶めるということはなく、寧ろ持ち上げているので、野下もまんざらでもなさそうだ。

「小学生のときは児童会長、中学高校では生徒会長をしていて、先生たちを含む全校の信頼を集めてたんだよね。僕はそんな流を、ずっと誇らしく思っているよ」

その誇らしく思う相手を、自分が隠れるための道具にしているのだから、やはり水無月は侮れない。一筋縄ではいかないところが、さらに興味深い。

 

茶木と野下は連絡先を交換したらしく、別れてからも(というよりは水無月が、まだ予定があるからといって俺たちから別れていった)しばらくメールでなにやらやりとりをしていた。水無月と野下の地元からここまでは、乗り換えの待ち時間を含め三時間ほどかかるらしいが、さほど遠くない。三連休でもあれば、簡単に行き来できるのだという。その機会に今度は食事でもしようと、茶木が誘っていた。

まだ、チャンスはある。水無月のことをもっと詳しく知ることは、これからだってできる。茶木に頼るのは癪だが、それを利用して情報を得ることは可能だ。

「茶木、たまに野下との話の内容教えろ」

「んー……言えることなら教えられるけど」

「は? どういうことだよ」

「流ちゃん、タケのこと気にしてるんだよな。カズがタケの前だと緊張してるように見えるってさ」

野下は茶木と同種の人間だと思っていた。空気が読めなくて、明るく楽しければいいと思っているような、ばかな奴だと。けれども俺が考えていた以上に、彼は俺と水無月をちゃんと見ていたらしい。

さすがは、大多数の信頼を得ていただけある。それなりの資質があるからこそ、その立場にいられたのだ。

 

その時はそれで納得したが、俺たちはのちに野下が水無月にとって特別な人間であることを知る。そうしてようやく、水無月が不機嫌だった本当の理由を知ったのだった。