春は桜色に染まるその山は、その名を色野山という。礼陣の町をぐるりと囲む山の一つで、公園や展望台を備えると同時に、民家もちらほらと見える、人々の生活圏である。
四月の初めからは花見客で賑わっており、今日も大盛況だ。
「今年もいい景色ね! 町が一望できて、桜がきれいで、もう最高!」
「頼子さん、毎年同じこと言ってる。でも、本当にそうだね」
思いきり伸びをする頼子と、その隣でにこにこしている愛。彼女らを横目に、ビニールシートや荷物を準備する恵と大助。毎年恒例の、一力家の花見が始まった。
恵が車を運転するようになってから始まったこの行事は、その年によって人数が増えたり減ったりする。今年は兄弟三人と、恵の婚約者である頼子の四人だ。去年はさらに大助の幼馴染である亜子がいたり、その前は兄弟の叔父である利一も来ていたりして、随分賑やかだった年もあった。人員はその時の都合や天候による。
「亜子ちゃんも来られたら良かったのにね、大助」
「向こうも家族で出かけてんだから良いだろ」
姉にからかわれながら、大助は花見の準備を終える。真っ先に座った恵の隣に腰かけると、やっと落ち着いて周囲を眺めることができた。
ここにいるのは人間だけではない。隣町との境目なので少なくはあるが、鬼たちの姿もちらほらと見える。誰もがこの時期の色野山を楽しんでいた。
はしゃいでいた愛と頼子もシートに座り、持ってきた飲み物をコップに注ぎ始める。頼子は恵に、愛は大助に、「お疲れさま」と言いながらそれを手渡してくれた。
そこへひらりと、桜の花弁が落ちてくる。頼子が「風流ね」と息を吐いた。
「ねえ、大助君。色野山の名前の由来、ちゃんと覚えてる?」
「頼子さんから何遍も聞いたからな。季節によって色を変えるからとか、春夏秋冬の四季が元だとか」
「偉い偉い。授業も普段からそうやって覚えてくれればいいんだけどね」
頼子は大助の通う高校の社会科教師でもある。学校でもこうして大助を弄っては面白がっている上に、それを恵や愛に報告するので、時々質が悪い。高校には叔父も勤めているので、何をしてもいずれは家族の知るところとなるのだが。
たとえ彼らの目をかいくぐったとしても、この町には鬼がいる。どんなことも、必ず誰かの目に留まるのだった。
「山の名の由来はまだまだあるわよ。四柱の鬼で『四鬼の山』って説とか。かつてこの地に実りをもたらした、大鬼様の眷属四柱がいる山だって話。礼陣の街の中は大鬼様が、外側からは眷属たちが守っているの。愛ちゃんと大助君には、その鬼たちも見える?」
「俺には見えねえな」
「私は、なんとなくだけど、気配を感じる。たぶんその眷属たちはもうこちら側にはいないんだろうけれど、たしかにこの土地を助け、守ってくれたんだと思うよ」
礼陣の町にいる限り、鬼たちの加護がある。この町に住む鬼たちと接することが可能な「鬼の子」である大助と愛には、それを目で見て、肌で感じることができる。
鬼が見えない恵や頼子も、五感で捉えることこそできなくとも、鬼の存在を信じている。自分たちを見守る者がたしかにここにはいるのだと、この町にいる人々は「わかっている」。
こうして桜の彩りに包まれている今も、自分たちは鬼とともにあるのだと、無意識に感じ取っているのだ。
暖かな風に、揺れる花に、広がる町の景色に現在触れることができるのは、自然と人間と鬼の営みが、永く続いているからなのだと。
「大助、展望台に行こうか。お兄ちゃんが景色を見せてあげよう」
「兄ちゃん、俺いくつだと思ってんだよ。昔みたいに抱き上げられるような年じゃねえし、背も伸びてんだぞ」
「わかってるよ。だから、望遠鏡を覗くためのお金くらいは出してあげようってことだ」
大助の返しに、恵が笑いながら言う。年の離れた兄弟であるとはいえ、いつまでも弟を幼児扱いしているわけではない。まだ子供に見られていると感じているのは、どうやら大助の側だったらしい。
いや、小銭を出してやると言われている時点で、子供扱いはされているのかもしれない。恵や愛、頼子にとっては、大助は何年経とうと「弟」なのだ。
この町が「故郷」であることと同じだ。
「展望台に行く前に、写真撮っておこうよ。この桜の木をバックに」
立ち上がろうとした大助と恵を、愛が引き留める。片手で鞄をあさり、「ちょっと待って」とデジタルカメラを取り出した。
「今年の家族写真ね。じゃあ、私が撮るよ。愛ちゃん、カメラ貸して」
頼子が愛に手を差し出すと、愛は首を横に振る。
「頼子さんも一緒に。家族写真なんだから」
……そ。それじゃあ、誰か捕まえて頼もうか」
満開の桜の下に、四人が仲良く並ぶ。鬼たちも混じっているのは、大助と愛にしか見えない。今年も賑やかな花見の記録ができた。
写真ができたら、亜子や後輩たち、それから先輩にも見せてやろう。礼陣に花の咲く季節がやってきたことを教えよう。大助はそう思いながら、カメラの確認画面を頬を緩ませて見ていた。