バレンタインデーも、ホワイトデーも、黒哉君は美味しいお菓子を作って、持ってきてくれる。
「ちゃんと医者から許可もらってるから、全部食っても問題ねーぞ」
私が体が弱くて、状態によっては食事に制限がかかってしまうことをわかっていて、きちんと確認してから用意してくれるのだ。ちなみにバレンタインはリクエスト通りのチョコパフェだった。まさか本当に作ってくれるとは思わなかった。
今回は、白ココアを使ったクッキーだった。白くて甘い、私のためだけの、幸せのお菓子。
「うん、美味しい! 黒哉君、ありがとう!」
「本当に甘いもん好きなんだな。幸せそうな顔」
貰ってばかりで、いくらお礼を言っても足りない。そんな私に、黒哉君はちょっと呆れたように微笑んでくれる。私は彼のこの顔が好きだ。私を見て、「幸せそうだ」と言ってくれる彼の顔が。
私は生まれたときから病気がちで入退院を繰り返していて、そのせいで「可哀想に」とさんざん言われてきた。これは仕方のないことなのだけれど、みんな私を心配し、励ましてくれているのだけれど、あまり嬉しい言葉ではない。
「幸せそうだ」なんて言葉をくれる黒哉君は、本当に貴重な存在だ。しかも彼といるときの私が自然と笑顔になっているせいなのか、周りの人も私に「彼氏といると幸せそうな顔をしているね」と言ってくれるようになった。黒哉君は、私を、そして私の周囲の人々をも、幸せにしてくれる人なのだ。
私は黒哉君が好きで、大好きで、だから「幸せそうな顔」をする。お菓子が美味しいからというだけではないのである。そう、それだけではないのだ。
「黒哉君も食べる?」
「いや、オレはいい。それは雪の」
口の中でほろりとくずれる、食感の良いクッキーを、作った当人にも勧めてみる。けれども、彼はいつも自分で作ってきたお菓子を食べないのだ。正確には、私のために作ってきたものを口にしない。
私がものすごく甘党で、私のために作られた特別な日の食べ物はとても甘いからだ。砂糖もミルクも入れないコーヒーが一番好きだという、「苦党」の彼には、このお菓子は胃もたれしてしまうくらい甘く感じるのだろう。
彼に勧めても食べないことをわかっていて、私は「食べる?」と訊く。「それは雪の」という言葉が聞きたくて、わざと言う。この特別な甘さが、私のためだけに用意されたものであることを確かめたくて、彼が私のために作ってくれたものなのだということを改めて感じたくて、尋ねるのだ。
「じゃあ、ちょっとこれは置いといて。自販機で飲み物でも買ってこようよ。お菓子のお礼に、コーヒー奢ってあげる」
貰ってばかりでは申し訳ないので、私からも彼に贈り物をする。病院内の自販機――紙コップに液体が注がれるタイプのもの――で、私ではとても飲めないような、苦いコーヒーを買って渡すのだ。ついでに自分の、甘い甘いココアも買う。
彼がまた「お前は本当に甘いものが好きだな」と言って、呆れたように、けれども幸せそうに笑う顔が見たくて。
「自販機まで歩けるか?」
「平気、平気。さあ、レッツゴー!」
入院していても、私は彼の前では元気だ。元気でいたい。心が温かくなって、どこまででも行けそうなくらいに体が軽くなるのはたしかなのだ。黒哉君が傍にいるだけで、私は病気を忘れられる。おまけにあんなに美味しいお菓子を食べたのだ。あれで動けないはずがない。
点滴を連れて、黒哉君と並んで、私はゆっくりと部屋を、廊下を、ホールを歩く。私たちを見る人、声をかけてくれる人は、みんな笑顔だ。
「雪ちゃん、いいねえ。彼氏と一緒で。幸せそうな顔しちゃって」
私の幸せが他の人にもおすそわけされているみたいだな、と思う。そう、私は、幸せなのだ。
黒哉君と一緒なら、黒哉君の作ってくれる甘いものがあるなら、私はいつまでも幸せでいられる。つらいことだって乗り越えて、生きることをおもいきり楽しめる。
私の甘くて幸せな、大好きな人との時間。それを大切にして、永遠のものにしたい。春の陽気が窓からふりそそぐ日に、私はそんなことを考えた。