「え、亜子先輩と大助先輩って付き合ってたんじゃないんですか?」
春ちゃんが、よほどびっくりしたのか、少し大きな声で言った。それから「あっ」と口を押さえたけれど、もう出てしまったものは仕方がない。御仁屋のお客さんみんなに聞こえてしまったであろうことは、気にしないことにした。
時はバレンタイン直前。わたしたち三年生にとっては卒業式まで残り二十日をきったところであり、後輩たちにとっては学年末テストに向けて勉強を始めようかという頃だ。
現にこの御仁屋に集まっているのだって、無事に大学入試を終えた私が、後輩たちに頼まれて勉強を見るという目的だった。けれどもそこは女子の集団。時期も時期で、ついつい恋愛などの話になってしまった。
さっきのは、莉那ちゃんの「今年こそ大助先輩に告白するんですよね?」というわたしへの質問に対して、春ちゃんが驚いた、という流れだ。
「いつも一緒にいるので、てっきり付き合ってるものと思ってました」
小声に切り替えて、春ちゃんが改めて言う。わたしは苦笑いしながら頷いた。
「よく言われるんだけど、付き合ってないよ。幼馴染としてゆるーくやってきちゃったから、今更告白してもなって思って。振られたらどんな顔して会えばいいかわからないし……
「あ、じゃあ好きなのは好きなんですね」
千花ちゃんが追いうちをかけてくる。うう、わたしの後輩たちは割と容赦ないな。
「振られるのはありえないんじゃないですか。ていうか、亜子先輩に告白されて振るような男はまずいないと思うなあ」
「詩絵ちゃん、それは買いかぶりすぎ。わたしたちってただの幼馴染でここまで来ちゃったから、そのままの方が楽だなってのがあってさ……
「先輩、だめですよ! 楽な方に逃げてたら、絶対後悔しますからね!」
二年生の莉那ちゃんに、一年生の春ちゃん、千花ちゃん、詩絵ちゃん。みんな普段はとても可愛い後輩たちなんだけれど、今日はなんだか妙に押しが強い。わたしが卒業直前だからなんだろうか。たぶん、今まで言いたくても言えなかったことを、こうしてぶつけてきてるんだろうな。
それくらい、わたしたちの関係が曖昧だったってことだ。はっきりさせたほうが良いのはわかってるんだけれど、でも。
……いや、ちょっと待って。付き合うとかよくわかんないし、今まで通りじゃだめなのかな」
「今まで通りで良いんですよ。ただ、気持ちだけはっきりさせておかないと、あとで大変ですよって話です」
恋愛に関しては先輩である莉那ちゃんが、もっともなことを言う。もっともなんだけど、怖いんだよね。だって、大助にはそんな気ないかもしれないし。わたしがくっついてても、顔色一つ変えないんだよ? その気なさそうだと思わない?
そんなことを愚痴っても、仕方ないんだけれどね。
「この三連休で、チョコ用意するんですよね。受験も終わったことですし、今年はいつもより気合い入れていってみたらどうでしょう」
「気合いっていってもね……毎年大助の家で作るからなあ。愛さんと一緒に。今年はよりちゃん先生も来るって言ってたかな」
「賑やかで楽しそうですね。でも、サプライズは絶対にできない状況ですよね……
いらないけれどね、サプライズ。何かしようと意気込みすぎると、余計に緊張してしまうので、いつも通りにいきたい。
愛さんの主導で大きなチョコレートケーキや、大量の生チョコを作って、大助や恵さんがつまみ食いに来る。そんないつも通りのバレンタインを、今年もできればいいと思っていた。
告白なんて、そんな。……そんなこと、そりゃ、うまくいく保証があるならしたいけれど。
「一応、参考までに。莉那ちゃんと春ちゃんは、どうなってうまくいったんだっけ」
「私は在先輩に勇気出して告白しましたよ」
「私の場合は新から言ってくれたので……
「でもそこに至るまで紆余曲折あったよね。中三の丸一年使ったし」
だよね。「うまくいく保証」だなんて、わがままだ。わかってるよ。

御仁屋から家に帰る途中で、今年のバレンタインチョコに使う材料を見繕っていくことにした。いくら一力家でみんなでやるとはいえ、材料までは頼れないものね。ついでだからと、みんなでぞろぞろ連れ立って行くことになった。
この商店街にはちょっとマニアックな店もある。お菓子を作ろうと思ったら、東條製菓で材料を一式揃えることができる。この時期とクリスマスが一番忙しいはずなのだけれど、ここのおじさんとおばさんはにこにこしながら、お菓子作りのアドバイスをくれるのだ。
わたしも何度かアドバイスをもらって、愛さんと相談しながら形にしたな。いい思い出だ。
店に入ると、さすがバレンタイン直前。女の子たちでいっぱいだった。中には見知った顔もある。田舎町だから、ほとんどが顔見知りのようなものだけれど。
「あ、やっこちゃん。チョコ作るの?」
「亜子さん! えへへ、ゆいちゃんとさっちゃんと、一緒に作るんですよ」
知り合いの中学生の子に声をかけると、にっこり笑って手を振ってくれた。いつもはきりりとした剣道少女なのだけれど、こうしてみるとやっぱり可愛い女の子だ。今年は「もらう側」を返上できるかな? いとこのお兄ちゃんも同居してることだしね。
「あ、たくさん作ったら亜子さんにもあげます!」
「ありがとう。楽しみにしてるね」
この時期の女の子って、本当に可愛いなあ。大好きな人、大切な人のために、頑張ろうって思うその気持ち。それがすごく伝わってきて、きらきらしてる。
わたしも、その中の一人になれているだろうか。なれているといいんだけれど。
「いらっしゃいませー……って亜子かよ」
「黒哉、バイト? 商店街のお店いくつかけもちしてるの……
男子の後輩の姿も見つけた。こいつはいろいろなお店の手伝いをしているから、どこに行ってもいるときがある。だいたいは忙しい店に入っているみたいだから、今時期は東條製菓がメインの職場なんだろう。
「ちょうど良かった、試食品食ってみてくれ。うまくいけば明日の見本になる」
「黒哉が作ったの? 本当になんでもやるんだね」
この器用な後輩は、わたしが教えた料理のレシピなんかもしっかり覚えて再現してくる。試食の生チョコもいい出来だった。見本にしておくにはもったいない。
「雪ちゃんから貰う予定は?」
「やる予定ならある。本人がでかいチョコパフェが食いたいって言うから、病院の許可次第で作る」
……もうあんた、それ仕事にしたら?」
黒哉の彼女の雪ちゃんは、体が弱いのでよく入院する。差し入れをするのも、念のため病院で尋ねてからというのが基本らしい。それでもしょっちゅう何か作っては持って行ってるんだから、黒哉は大したものだ。
「亜子は? 大助にやるんだろ」
「あんたもそれを言うか。そうだよ、そのために材料買いに来たんだから」
まったく、みんなしてわたしたちのことを気にしすぎじゃないか。卒業したって、ものすごく離れるわけじゃない。ただ大助が、就職のために隣町に引っ越すだけだ。お向かいさんじゃなくなるってだけ。……それだけなのに。

二月十三日、日曜日。わたしは一力家の台所で、愛さんとよりちゃん先生と一緒にチョコレートを湯煎にかけていた。
「よりちゃん先生、今日は丁寧にやるんだね」
わたしたちの社会科の先生でもある平野頼子先生、愛称よりちゃん先生は、自分の興味のあること以外はおおざっぱだ。その先生が、きちんと製菓用チョコレートを刻んで、溶かしている。珍しいこともあるものだ。
わたしはそう思っていたのだけれど、先生なりにちゃんと考えがあったらしい。
「だって、独身最後のバレンタインになるかもでしょう? 記念、っていうのかな」
もともと、大助が独立したら恵さんと結婚することになっていたのだ。今年、大助がこの家を出ていくということは、恵さんとよりちゃん先生にとって、今回が独身最後のバレンタインになる。来年の今頃はもう、二人は夫婦になっているはずなのだ。
「よりちゃん先生が結婚か。なんだか付き合いが長すぎて、とっくに恵さんと夫婦のような気がしてたよ」
「私も自分でそう思う。ま、こういうのはけじめでしょ。そうするって決めたんだから、きちんと手続きしないと」
けじめ、という言葉がわたしの胸にずしりと重くのしかかってくる。わたしもけじめをつけないと、やっぱりだめかな。だめなんだろうな。いつまでもこんなことじゃ、莉那ちゃんのいうように後悔する……
「どうしたの、亜子ちゃん。チョコレート、固まっちゃうよ」
「あ、やば……
愛さんに指摘されて、慌ててチョコレートを混ぜる。バターも入れなきゃいけなかったんだっけ。今年は先生の希望で、フォンダンショコラを作ろうということになっていた。つまみ食い用の粒チョコも一緒に。
そのつまみ食い用を狙って、大助が二階から下りてくる。
「まだできねえの? さっきから腹減る匂いするんだけど」
その声に、いつも以上にどきっとする。聞き慣れているのに意識してしまう。
「まだよ。ちょっと我慢しなさい」
「そうよ、我慢が肝心だからね。いい男になりたいなら、もっと頑張りなさい」
「頼子さんに言われると重いなー。今年までずっと我慢だもんな」
愛さんと先生が軽く返す。でも、わたしは大助を見ることすらできなかった。心臓がうるさくて、どうしたらいいのかわからない。今すぐここを離れたい。大助から、逃げたい。
「亜子、今年は何作ってんだよ」
それなのに、なんで話しかけてくるかな、こいつは! わたしは大助に背を向けたまま、忙しいふりをして答えた。
「あとでね。今、ちょっと失敗しそうで、焦ってるから」
「お前が失敗とかねえだろ。まあいいや、つまみ食い用できたら呼んで」
「こら、大助! 最初からつまみ食いするつもりなんだから……
いつものやりとりのはずなのに、わたしが、わたし一人が、ぎこちない。それに気づいたのか、先生がわたしの顔を覗き込んだ。
「亜子ちゃん、大助君のことすごく意識してない?」
「そんなこと……
「あるでしょ。顔真っ赤」
よりちゃん先生には敵わないな。にやにやしながらわたしを見ている。付き合いが長いということは、わたしたちの関係がまだ「幼馴染」で止まっていることも、わたしが大助を好きなのに煮え切らないことも、知っているのだ。
「明日告白しちゃえば? 今まで言わなかった方が不思議なくらいなんだもの」
「そうよ。早く亜子ちゃんが私の妹にならないかなって、ずっと待ってるんだからね」
愛さんまでそんなことを言う。いや、愛さんの場合はただの口癖だ。でも今は、その「ただの口癖」でさえわたしの顔を熱くする。
言うか、言うまいか。悩みながら作るお菓子は、はたして美味しいのだろうか。自分で味見をしても、きっとわからない。

小さい頃は、わたしがいじめられるたびに、よく言ってくれた。
「俺は亜子のこと好きだからな」
その言葉が、わたしの抱えている気持ちと同じだったら、どんなにいいか。
中学生になってからは、全然言ってくれなくなった。そりゃあ、そんなこと簡単に言えるような年じゃなくなったからなんだろうけれど。
今でも大助は、わたしを好きだと言ってくれるだろうか。
わたしと同じ「好き」を、思ってくれるだろうか。

結局、不安が募ってしまい、その晩は桜ちゃんにメールをした。
桜ちゃんはわたしたちの先輩である流さんの妹で、わたしと同い年。女子校に通っている才女で、わたしの相談にいろいろとのってくれる。今やわたしの大親友だった。
〔大助に、告白した方がいいのかな。みんなその方がいいって言うんだけど。〕
返事が来るまで、しばらくかかった。桜ちゃんはいつも、わたしの悩みをじっくりと考えて、もっともな答えを出してくれる。だからメールも、焦らず待つようにしていた。今日ばかりは、返事が待ち遠しかったけれど。
そうして届いたメッセージは、たったひとことだった。
〔がんばれ〕
長く待って、それだけ。でも、それだけで桜ちゃんの伝えたいことはわかった。わたしはきっと、そうしなくちゃならないんだ。
けじめはつけなくちゃ。大助と、お向かいさんではなくなる前に。

二月十四日、月曜日。もう学校に行く必要のないはずのわたしと大助は、なぜか学校の屋上にいた。わたしが、伝えるならここがいいと思ったのだ。
二年生の春頃から、わたしたちはこの場所に来るようになった。同級生の在や、後輩の黒哉、先輩の流さんや和人さんと一緒に、昼休みを過ごした。秘密の話もここでした。本当は立ち入り禁止だったこの場所が、わたしたちの青春みたいなものだった。
それが、もうすぐ終わる。卒業したら、もうこの場所には来られない。
「はい、大助」
わたしがいつもの調子(だと思う)で包みを渡すと、大助は「おう」と受け取ってくれた。
「今年ケーキ?」
「フォンダンショコラ。家帰ってから、温めて食べると美味しいと思う」
「じゃあうちで渡せばよかったじゃねえか。なんでここ来たんだよ」
「来たかったから。……制服着てるうちに、言おうって思って」
子供のうちなら、まだ鬼たちも味方してくれるかなと思って。わたしには、この町にいる鬼は見えないけれど。高校生のうちが、わたしが何をしても許される、最後のチャンスなんじゃないかと思った。
「言おうって、何を」
ええい、急かすな。深呼吸をして、この屋上から町を見渡した。五歳のころに出会ってから、ずっと大助と一緒に過ごしてきたこの町。生まれてから今日まで、ずっとわたしを守ってくれた町。この町が見渡せる場所で、わたしは勇気を振り絞る。

「わたし、……大助のこと、ずっと好きだったんだ!」

大助の表情が、見られなかった。でも、頭を掻いているのはわかった。こいつが、考え事をしたり、困ったりしたときにする仕草だ。……ああ、だめだった、かな。やっぱり、大助にとってわたしは、ただの幼馴染なのか。
「亜子、『だった』って、過去形?」
……
はい?
絶望感でいっぱいだったわたしに降ってきた言葉は、予想外のものだった。わけのわからないまま、でも、とりあえずは、否定する。
「ううん、過去じゃない。今も」
「これからも?」
……うん」
「そっか。……うん、それなら」
いったい、なんなんだ。こんなにはっきりしない大助が気になって、わたしは思わず顔をあげた。
あれ、顔、赤い。寒いから? いや、そうじゃなくて、もしかして。
「俺から言おうと思ってたんだ」
「え?」
「卒業式の日に、俺から亜子に告白しようと思ってた。そしたら、今日お前からくるんだもんよ。びっくりした」
頭を掻きながら、耳まで真っ赤にして、大助が言う。卒業式? そんなこと考えてたの、あんた。そんなの……そんなのって……
「それじゃ遅い! それまでわたしを待たせる気だったの? そりゃないでしょうよ!」
「ばか、ちゃんと俺は計画立ててたんだよ! 何て言ったらいいかとか、お前がただの幼馴染続けたいって思ってたらどうしようとか、もう何年も悩んでたんだからな!」
「何年も?! どっちがばかよ、ばか大助! もっと早く言ってくれたら、わたし、……
わたしたちは、大ばかだ。お互い何年も、自分が片思いをしているものだと思い込んでいたんだ。たぶん、幼い頃から、ずっと。傍にいすぎて、相手の気持ちがわからなくなるくらい。
「ばか。大助のばか」
「ばかばかうるせえよ。……雰囲気とか台無しになったから、卒業式に仕切り直しだ」
「仕切り直し? ……いいよ、望むところだ。ちゃんとかっこいい台詞でわたしを口説き落としてみなさいよね!」
今にして思えば、これもばかなやり取りだったと思う。でもわたしたちには、これくらいおばかなやり取りが、きっとちょうどいいんだ。昔からずっとそうだったんだもの。
卒業式を境に、わたしたちは「仲のいい幼馴染」から「幼馴染の恋人同士」に変わる。バレンタインはその確認だ。変なことだとわかっているけれど、それがわたしたちのありかたなんだ。そういうことにしておこう。
卒業式、楽しみだな。どんな言葉を用意してくれているんだろう。わたしたちがこれまでにさよならして、新しい段階に踏み出すその時に、何て言ってくれるんだろう。
「フォンダンなんとかって、中のチョコ溶けてるんじゃなかったか?」
「だから、家帰って温めて食べてって言ったじゃん。まあ、いいけどさ。まだあるから」
たとえ大助が卒業式に告白してくれるとしても、わたしは先手をとって良かったと思う。悶々とその日を迎えるより、幸せな気分で待っていたほうが良いものね。
十三年越しの長い長い両片思いが、やっと終わりを告げるんだ。
それがわかっただけで、幸せだ。
……
みんなは、今頃、幸せかな。幸せだといいな。わたしみたいに、さ。