誕生日の話題は、いつもからかわれるネタだった。だから、ずっと嫌だった。
「なに、お前の誕生日バレンタインなの?」
「女子からチョコたかってんじゃねえぞ、森谷のくせに」
中学三年生まで、同じセリフを言われ続けた。そうやって殴られて、塾や習い事の月謝を奪われた。誕生日に限らず、そんな思い出ばっかりだ。
それが嫌だったから、俺は、隣町の高校に来たのだ。
「連さん、誕生日いつですか? 俺、全力で祝いますよ」
高校に入ってから、久しぶりに友だちというものができた。小学生のとき以来だ。この進道海という男は、初めから妙に懐っこかった。
それでも、誕生日を訊かれると緊張する。また馬鹿にされやしないかと怖くなって、声がうわずる。
「……二月、十四日」
「あ、早生まれだ。俺、八月なんですよー。自分の誕生日好きじゃないんですけどね」
しかし海は、俺のうわずった声をスルーした。まるでなんでもなかったように、話を進めている。おかしなやつだと思った。
「八月がどうして嫌なんだ」
「うーん、家の事情で? 毎年ちょっと厄介なんですよね」
本当に、おかしなやつだ。これでは誕生日なんか、聞いておいても忘れるんじゃないか。そう思った春の日だった。
それから、十か月になろうとしていた。
「連さん、もうすぐ誕生日ですよね。何か欲しいものあります?」
こいつは、ちゃんと俺の誕生日を覚えていた。
「よく覚えてたな」
「連さんの誕生日ですよ、忘れるわけないじゃないですか」
海は相変わらず懐っこく、俺に話しかけてきてくれていた。なぜかずっと敬語だが、これはどうやら俺のことを尊敬しているかららしい。中学のときに弓道の大会に出て、一度だけインタビューと写真が雑誌に載ったことがあるのを、見ていたのだという。
それ以外でも、たった一度のことを、こいつはよく憶えているのだった。
それはともかく、誕生日だ。欲しいものと言われても、何も思いつかない。友だちからそんなことを尋ねられるのは初めてなので、どう答えたらいいのかわからなかった。
俺が真剣に悩んでしまったのを見て、海は苦笑しながら言った。
「気軽に考えてくださいよ。連さんが好きな、御仁屋の和菓子でもいいですし。俺にできることならなんでもやりますよ」
「そのなんでもが困るんだ。その、こういうときはどうすればいいのか、わからなくて」
正直に話すと、海は「うーん」とうなって、何かを考え始めた。そして、突然明るい表情になると、こんなことを言いだした。
「連さん、今年の十四日は日曜日です。金曜から俺の家に二泊しませんか? 御仁屋で連さんが好きな和菓子を買って、雪でも見ながらこたつでのんびりしましょうよ。連さん、うちのこたつ好きでしょう?」
たしかに、和菓子もこたつも好きだ。この町の和菓子屋には美味しいものが揃っているし、こたつは家にはないので新鮮だ。だから海の家に行った時は、いつもそれらを堪能させてもらっていた。
その「いつも」を、二泊三日も過ごさせてくれるという。
「……迷惑じゃないのか? 金曜も土曜も、お前の家は剣道の稽古があるだろう」
「金曜はどうせ部活で帰りが遅いですし、土曜の稽古は午前中だけです。なんなら、見学していいんですよ。連さんが良ければ、ですけど」
俺は良いに決まっている。迷惑じゃないのなら、お邪魔させてもらおう。俺は海の提案を受け入れた。なぜか、ものすごく喜ばれた。
約束の金曜日、部活が終わってから、俺は進道家に向かった。海のお父さんであるはじめさんが、にこにこして出迎えてくれた。
「連君、いらっしゃい。海がすごく楽しみにしてたんだよ。あ、着替えとかは海のを使っていいからね」
一応泊まる準備はしてきた。着替えももちろん用意している。けれどもとりあえずは「ありがとうございます」といって、上がらせてもらった。
進道家は大きな日本家屋で、部屋は和室だ。母の実家がちょうど似たようなものなのだが、なぜか向こうよりも、こちらの方が落ち着いた。
「連さん、いらっしゃい! 弓道部、終わるの遅かったんですね」
海がひょっこりと顔を出した。台所で夕食の準備をしていたのか、おたまを持ったままだった。
「ああ、少し長引いた。今日から世話になる」
「どうぞ遠慮なくくつろいでください。晩ごはんももうすぐできますから」
父子家庭であるこの家では、はじめさんと海が協力して食事を作る。以前から何度かごちそうになっているが、いつも温かで美味しい。一度手伝おうとしたことがあったが、止められた。俺は不器用だから、うまく料理ができないのだ。
やがて運ばれてきた食事は、今日もきちんと一汁三菜揃えられていた。
誕生日当日の日曜は、海と御仁屋で冬の菓子とおにまんじゅうを買ってきてから、それをこたつで食べた。和菓子だけではなく、みかんも用意してある。外ははらはらと雪が降っていて、庭に薄く積もっていた。俺の理想の、日本の冬だった。
「連さん、誕生日おめでとうございます。……あー、いいですね、こういうのんびりした時間。連さんと一緒に過ごせて、本当に嬉しいです」
ふにゃりとした笑顔で、海は言う。いったい、俺と過ごすことの何がそんなに面白いのだろう。
「どうして、俺と一緒にいてくれるんだ? 誕生日を祝ったりとか……。その、自分で言うのもなんだが、今日はバレンタインだろう。女子とどこか行ったりしないのか」
おにまんじゅうをつつきながら、尋ねてみた。自分で自分の傷をえぐるようで気分は良くなかったが、それ以上に海の気持ちが気になっていた。
海はきょとんとした顔をして俺を見た。それから「ああ」と声をあげた。
「バレンタインでしたっけ、今日。連さんの誕生日って意識しかありませんでした。……女子とどこか行くことはないですよ。俺、莉那さんや顔見知りの先輩、それから剣道の後輩たち以外の女子は苦手なので」
「……そうか」
なんだ、最初からからかいの材料すら頭になかったのか。そして、それを意識してもなお、俺をからかう気はないのか。
進道海とは、本当におかしなやつだ。今まで周りにいなかったタイプの人間だ。こんなにふにゃふにゃしていても、喧嘩は強いし、乱暴な言葉遣いをすることだってある。どうにも掴みにくいやつだ。
「連さん、幸せですか?」
「何だいきなり」
「いや、和菓子食べてるときの連さんって、本当に幸せそうな顔するから」
たしかに和菓子は好きだが、それだけじゃないぞ。誰かと一緒に、何のしがらみもなく楽しめるのが、幸せなんだ。
けれどもそれを説明するのは照れるので、「ああ」とだけ返しておいた。
これが十六歳を迎えた、冬の日の話だ。
翌日、莉那や先輩などからバレンタインのチョコレートなどをもらうのだが、それはまた別の話だ。洋菓子が苦手な俺が困って、ほとんど自分では食べられなかったというだけのこと。