礼陣には鬼がいる。人間とともに、町中を闊歩している。
ほとんどの人間にはその姿は見えないが、「鬼の子」と呼ばれる子供には彼らを視認することができる。そういった子供たちは、大抵親を片方、あるいは両方とも亡くしている。
それがこの町の常識であり、ごく自然に語られていることだった。
そして例に漏れず、一力家の子供たちも、両親を事故で喪ってから「鬼の子」となった。ただ一人、長男を除いては。
一力恵は、両親を亡くしたときには既に高校三年生になっていた。大学への進学も確実だといわれており、本人もそのつもりで勉学に励んでいたところだった。
それが突然、状況が変わってしまった。もともとほとんど家に戻らないような仕事をしていた両親だったが、恵は彼らと最も長い時間を過ごしていた。まだ五歳だった末の弟と違い、親との思い出も多く、死というものを年相応に理解していた。
そんな恵だから、両親の死から立ち直るまでに時間がかかった。勉強する気力がなくなり、進学も諦めようと思った。
それだけではない。さらに恵を追い詰めたのは、自分だけが妹や弟と違うということだった。彼らは礼陣の「常識」どおりに鬼の子となり、人間とは違う人々と触れ合えるようになった。だが恵だけは、そうならなかった。彼には鬼が見えなかったのだ。
鬼の子とは、親がいない子供のために、鬼が親代わりをするということからきている言葉だという。だとしたら、自分にはもう親は必要ないと判断されたのだろうか。恵はそう考えた。それしか思い当たることがなかった。年齢も「大人」に分類されるものに近く、周囲からも落ち着いていて大人びていると評価されていた恵には、もう親の保護など必要なかったのかもしれない。あるいは、妹や弟の親役として認識されたのかもしれない。真相は定かではないが、とにかく恵は鬼を視認することができなかった。
妹と弟は「鬼」という共通の話題を持ち、互いを支えるようになった。彼らは鬼と触れ合うことによっても、実の両親を失うという悲しみを癒していた。けれども、恵には何もない。長男だからしっかりしなくてはという思いと、癒えない心の痛みに、押しつぶされてしまいそうだった。
その恵に大学へ行くように言ったのは、礼陣に長く住んでいる母方の叔父だった。この町で教師をしている彼は、恵たちと同じ境遇の子供たちを知っていた。
「恵、お前には勉強がある。どんな時でも、それがお前の力になる。大学には行きなさい、私も援助しよう」
叔父は、恵に夢を捨てさせなかった。それが彼の支えになると信じて、彼を隣県の大学に進学させた。彼のたっての希望で自宅から朝早く出かけ、帰りが真夜中になることもあった。しかし好きな勉強に打ち込むことのできた恵は、次第に心に受けた傷を、自分でコントロールできるようになっていた。
恵はそのうち、上へ上へと目標を高めるようになった。学士課程を終え、大学院へと進んでいった。論文が認められ、いつしか大学で教えることができるようになった。
それはまだ学生生活を何年も残している弟を助けることにもつながり、恵はやっと自分の役割を持つことができたのだった。
妹と弟の「鬼」に関する話題についていくことはできないが、町の歴史や文化を学ぶことによって、知識を補完した。おかげで彼らの話している内容が、少しは理解できるようになってきた。
恵の視野は、学ぶということによって、確実に広がっていた。のめり込むほどに楽しくなり、いつしか辛いことも乗り越えられるようになった。
現在の恵は、過去の苦しみを感じさせないほど元気だ。妹や弟とも、うまくやっている。
恵は礼陣の住人として、妹弟を、そして見えない「鬼」を信じながら、日々を過ごしている。