響き渡る「春よ来い」の声。ぱらぱらという豆が撒かれる音。
そして神社境内の、鬼たちの宴会の賑わい。
春を迎えるための日が、明るい雰囲気で締めくくられようとしていた。
人間と、鬼とで、迎える春。みんなで幸せな一年を過ごそうと、食べて飲んで、笑いあう。
邪気が祓われたあとの礼陣には、温かな空気が漂っていた。
「こんな日にお供えも食べられないのは、やっぱり損だなあ」
鬼たちの宴会を眺めながら、美和はいつものセリフを言った。人鬼である美和には、食べ物を口にすることができない。他の鬼たちと同じように、豆をつまみに酒を飲むなどはできなかった。
人鬼は、この世への未練を強く遺した人間の霊魂が、鬼になろうとする過程の姿だ。鬼を見ることのできるはずの鬼の子にすらその存在を認識されない、半端な鬼。それが美和だった。
鬼との交流はできるので、一緒に宴会を楽しむことはできる。ただ、食べ物を掴もうとしても、それらが手をすり抜けてしまう。その場の雰囲気とお喋りだけが、美和の楽しみだった。
「まあ、しょぼくれるな。美和よ。せっかくのめでたい日だ。明日から春なのだぞ」
おかっぱ頭の子鬼が言う。子供のなりをしてはいるが、百五十年を生きているベテランの鬼だ。
美和はこの子鬼と特に仲が良く、「牡丹」という名前をつけて呼んでいる。この牡丹は花の名前ではなく、牡丹餅の牡丹だ。巡り巡って花の名前ともいえなくはないが。
牡丹は町の人が神社へ置いていったお供え物のまんじゅうを頬張っていた。鬼は本来、人間のものを食べる必要はないのだが、牡丹は娯楽と称してよく食べる。だからこそ、牡丹餅の「牡丹」なのだ。
「春っていったって、暦の上でしょう。旧暦の新年のことじゃないの? まだこんなに寒いしさ」
「一番寒い時期を越えるんだ、春が来るといっても良かろう」
まんじゅうの残りを口に放り込み、牡丹は幸せそうな顔をしていた。なるほど、彼女の気分はしっかり春のうららかなそれらしい。
「美和にだって春は来るぞ。必ずな」
「そうだねえ……そうだといいけど」
夜の空を見上げると、ふわりと白いものが落ちてくる。雪だ。春を迎えるとはいえ、まだまだ天候は冬のものだ。
それでも鬼たちは陽気なもので、「雪見酒だ」とはしゃいでいた。娯楽を満喫できるのなら、何でもいいのだ。
春は来ている。確実にこの町へやってきている。雪が降ろうが、風が冷たかろうが、この町の人々の心は温かさに溢れている。美和だってそれをわかっている。だからこそ、この町が、ここの人々が、好きだ。
「牡丹。鬼の力で、このあたりに花を咲かせるくらいできないの?」
「できないことはないが、一瞬で終わるだろうな。そんな芸当が確実にできるのは、我らが大鬼様くらいなものだろうよ。だいたい、本来は自然のものを捻じ曲げてはいかんのだ」
「人間は随分と捻じ曲げているようだけど? まあいいか。じっくり花が咲くのを待つのも、また一興か」
美和は雪の中に躍り出る。牡丹をはじめとする鬼たちが、一斉に美和に注目する。彼らにしか見えない舞を踊りながら、美和は彼らにしか聞こえない歌をうたった。
はーるよ、こい。はーやく、こい。
人間が歌っていたそのメロディーを、美和は美しい声で口ずさむ。その歌声は、春を呼ぶにふさわしい、温かな思いが込められていた。
他の鬼たちもそれに合わせて歌いだし、手拍子を入れる。すると、雪の積もった山々が、仄かに梅の花の色に染まったような気がした。
ほんの一瞬のことだったので、誰も知らない、わからない。それでも美和は、その奇跡に目を細めた。