「髪、切っちゃおうかなあ……」
姉がぼやいているのを聞いた私は、慌てて彼女に飛びついた。
「な、なんで?! お姉ちゃん、長い髪好きでしょ? なんで切ろうなんて……」
そう、姉の莉那は幼いころからサラサラのロングヘアに憧れていて、実際にそれを手に入れた人なのだ。きれいな髪と美少女と形容される顔、モデル体型。姉は私にとっても、堂々と自慢できる人だ。
その姉が、憂鬱そうに「髪を切ろうか」だなんて。何かがあったとしか思えない。たとえば、失恋とか。
……ないない。姉ほど完璧な女の子が失恋なんて、するはずがない。どんな男の子も振り向く、礼陣きっての美少女なのだから。
だから私は冗談で、言ったのだ。
「失恋でもしたの?」
「うん。だから切ろうかと思って」
ええー?!
ただの冗談のつもりだったのに、本当に? 誰からも愛される姉のような人でも、失恋なんてするものなのか。私は「開いた口が塞がらない」という状況を初めて体験した。
「ええと、詳しく聞いても大丈夫?」
「聞きたいの? 面白くない話だよ」
そう言いながらも、たぶん誰かに聞いてほしかったのだろう。姉はぽつぽつと話し始めた。
姉には、高校入学当時から気になる人がいたのだという。
口数は少なく、いつも物思いにふけっているような人だけれど、笑顔がそれは優しげなのだそうだ。
そんな彼への思いを募らせた姉は、先日、ついに告白したのだという。
「……でもね、ふられちゃった。彼、私のことはそんなふうに見れないんだって。もともと女子は苦手で、付き合うとか考えたこともなかったんだって」
そんな奇特な人が存在していたのか。そして姉は、そんな人を好きになってしまったのか。なんともおかしな話である。
「お姉ちゃん、変な人好きになっちゃったねえ……」
「変だなんて失礼ね。素敵な人なのよ。弓道がすごく上手でね、中学生のときから雑誌に載ってたの」
うん? 私、その人知ってるかも。隣町から通ってきてるっていう人じゃない? 私も近くで見たことがあるけど、姉より身長が低かったような。
姉にぴったりな人って、背が高くて、かっこよくて、誰からも人気があるような人だと思っていたけれど。そう、たとえば、あの野下先輩とか。あの人なら文句なしに姉に似合うと思う。
でも、姉の好きになった人は違ったようだ。背はそれほど高くなく、ただひたすらに真面目で真っ直ぐで、ときどき優しい人。それが彼女の理想だったようだ。
姉妹なのに、わからないことってあるんだな。同じ環境で生活しているはずなのに、好みや考え方は違ってくる。不思議なものだ。
私はやっぱり、背が高くて、紳士的な人がいいな。外国人でもいいかもしれない。この町には大学があって、留学生もときどき来るから、出会える確率は高いはず。
……まあ、私の好みはともかくとして、姉が落ち込んでいる姿は、妹としてはあまり見たくない。やっぱり自慢の姉は、素敵な笑顔でなくっちゃ。
「ね、お姉ちゃん。また新しい恋が見つかるよ。お姉ちゃんなら、きっといい人がたくさん見つかるって」
「そうかなあ……あの人以上に素敵な人って、いるかなあ……」
ああ、余計に落ち込ませてしまった。それほど好きだったんだな。
そんな恋をした姉が、失恋したというのに、少しだけ羨ましい。
それから一年後、姉はうきうきした表情で同じセリフを呟いた。
「髪、切っちゃおうかな」
私は姉に飛びついて一年前と同じ質問をした。
「な、なんで?! お姉ちゃん、長い髪好きでしょ? なんで切ろうなんて……」
「切るっていっても、そんなにばっさり切るわけじゃないのよ。伸びすぎたから、毛先をそろえなきゃなって思っただけ」
なあんだ、びっくりした。また失恋したのかと思った。
そんなはずないよね。だって、こんなに機嫌が良さそうなんだもの。
「お姉ちゃん、なにかあった?」
「聞きたい?」
私の自慢の、きれいな微笑み。心底幸せそうな姉を見ていると、こっちまで嬉しくなる。
「お父さんには内緒よ。……彼氏ができたの」
「!」
なんてこと! ついに姉の心を射止めた人物が現れたのだ!
私は興味津々に話の続きを待った。
「彼氏って、どんな人? かっこいい?」
「ふふ、……すっごく真面目な人よ」
かっこいいかどうかはわからないけれど、とにかく姉が選んだ人なのだ。祝福するべきだろう。
だが後日、その彼氏とやらと引き合わされた私は、彼があまりに地味な人であることに驚いたのだった。
どうやら姉は、真面目で真っ直ぐで、堅実な人が好きらしい。町の不動産屋さんの息子だから、このまま続けば、姉の未来は安泰だろう。
うーん、でも、やっぱり私とは好みが違うなあ。まったく、不思議なものである。
「玲那は? 好きな人、いないの?」
「うーん、私は……素敵な留学生が来たら、恋に落ちるかもね」
まだ運命の相手に出会えていない私は、そんな答えを返しておいた。