隣県の大学に在籍している和人が、年末年始に帰ってきていた。
やっぱり故郷の空気が一番だよ、なんて言いながら、実家の店を手伝っていた。しばらくやっていないのに、接客は慣れたものだ。立ち寄る奥さま方も、「あらまあ、和君久しぶりねえ」なんて嬉しそうに言う。
流はその光景を、同じく店を手伝いながら見ていた。水無月呉服店の手伝いは、和人が店先に立つようになってからずっとやっているので、こちらも慣れている。
和人たちがこの店を手伝えるのも、時代の流れのおかげだ。かつてはここも、着物やそれに合わせた小物といった、和装専門の店だった。近隣の学校の学生服も扱っているが、出るのは主に春。夏には祭りのはっぴを売るが、それも新調する人がだんだんと減ってきた。そこで洋服も積極的に扱うようになり、繕いものも請け負うようにすると、店はなんとか続けていけるようになった。商店街の呉服屋としては、まあまあの売り上げを出している。
そういうわけで、和服にそれほど詳しくない流でも、アルバイトができるのだった。

「せっかく帰ってきたのに、店の手伝いばっかりでいいのか? 海とか黒哉とかが会いたがってたぞ」
「会いたがってるなら来るでしょう、たぶん。それに今の時期は成人式の準備をぎりぎりになって始める人とか、年始に着飾りたい人とかがいて、忙しいんだよ」
流がさりげなく言っても、和人はちゃきちゃきと働いている。後輩たちのことが気にならないわけではなく、本当に忙しいのだ。
これはまずいな、と流は思う。このままでは、こっそり計画していた、二人でどこかへ出かけるという話もできない。和人は働いて、年を越し、また働いて、隣県へ戻っていくのだろう。それではだめなのだ。少しでも二人でいられる時間がほしい。
悩みながらも自分も手伝いを続け、話を切り出そうと試みるのだが、店には常に客が出入りしている。そうして和人や流に声をかけていくものだから、ずっとその相手をしなくてはならない。
店としては良いことなのだが、流としては困っている。
「流君、休憩入っていいわよ。和人もちょっと休んだら?」
そこで和人の母がチャンスを作ってくれた。これはいけるか、と流は期待を持つ。
しかし、
「流は休んでいいよ。僕はもうちょっとしてから行くから」
訳すと「僕は休まなくても大丈夫だよ」という意味にとれる言葉が返ってくる。流は苦笑いしながら、一旦店を離れた。

流に用意された休憩場所は、水無月家の居間だ。和人と知り合ってから、というのは小学一年生のときからだが、それから何度も出入りしている。勝手知ったる人の家という言葉そのままに、流はこの家のことをよくわかっていた。
戸棚の一番下にはこれまでに水無月呉服店が出したチラシやパンフレットの類が、きちんと整理されて置いてあるということも、もちろん知っている。
そっとパンフレットの一つを取り出してみる。保存状態はいいが、もう十年以上前のものだ。七五三の記念に着物はいかがですか、という内容のものだった。
そこには七歳の女の子にという文字と共に、少女の写真がある。いや、正確には少女ではない。これは小学生のときの和人なのだ。昔は女の子の着物や浴衣を着せられて、こうして店のチラシなどに使われていたのだ。顔立ちが整っていて、華奢に見える和人は、女の子の格好をしていても違和感がまるでなかったのだった。
化粧もしていたので、周囲もこれが和人であると知らない人が多い。和人自身も恥ずかしかったのか、「従姉妹だ」と言ってごまかしていた。おそらく、これが本人であると即座に見抜いたのは、流くらいなものだっただろう。
それを懐かしみながら見る。当時、「これ和人だろ」と指摘すると、言われたほうは真っ赤になってチラシを奪い取り、「誰にも言うなよ!」と珍しく声を荒げていた。よほど自分だとばれたくなかったのだろうが、流に嘘をつくのも嫌だったのだろう。
そんな彼が、どうして流の告白を受け入れてくれたのか。どうして恋愛の相手をしてくれているのか。いまだに謎のままだ。謎のままにしておきたかった。本当のことを聞くのは、なんだか怖い気もしていたから。
「流、何やってるの?」
「え」
あれこれ考えているうちに、いつの間にか和人が来ていたらしい。休みはとらないんじゃなかったのか。いや、勝手にそう解釈していただけで、本当にあとから来るつもりだったのか。
流は慌てて見ていたパンフレットを隠そうとしたが、時すでに遅し。和人はそれを見つけ、口を「あ」の形にしたまま素早く手を伸ばしてきた。
そしてパンフレットを奪い取り、真っ赤な顔で叫んだ。
「なんでこんなの見てるんだよ?! ああもう、こんな昔の……
小学生のときと同じ反応だな、と思った。和人は、やっぱり和人なのだ。
「前もこうやって、チラシ奪ったよな」
「当たり前だろ! モデルがいないからって女の子の格好させられて、僕がどれだけ恥ずかしかったか、流にはわかんないだろ!」
「うん、わかんないな。ごめん。……でも、それでも何年もモデルやってたってことは、よっぽどこの店のために何かしたかったんだろ。和人はすごいよ。偉い」
働けない頃は店のモデルを。働けるようになってからは接客を。和人はいつだって、水無月家が代々受け継いできたこの店のために行動してきた。
忙しい時期もきちんと把握して、スムーズに応対ができるようにアルバイト用のマニュアルまで作っていた。おかげで和人が家を出た後も、アルバイトに来た人たちはそれをもとにして、水無月呉服店における最上のもてなしができるようになっていった。
「俺なんか、家のために何かしようなんて思わなかったから。ただ公務員になれば親の気が済むかな、なんて思ってるだけだもんな。だから和人は、自分の家のことをちゃんと考えて、偉いなって思う」
流は和人を、自分の思うとおりに褒めたつもりだった。だが、和人は困ったような顔をして首を横に振った。
……それは、違うよ」
「違うって?」
「店のために何かしたかったわけじゃない。僕は、妹だったらこうするだろうなって、思ってきただけだから」
和人は壁へ目を向ける。壁の向こうは、仏間だ。
昔から和人は言っていた。自分には双子の妹がいたのだと。生まれることなく死んでしまった女の子が、この家にはいるのだと。
「彼女が人間として生きていたなら、きっとモデルをやっただろうし、店の手伝いもしっかりしていたと思う。僕はそれをなぞっているだけ。家のためとか、考えたことないよ」
切ない告白だった。本心ではないにしても、そう言わせるだけのものが、和人にはあるのだ。
そのとき、もしかして、という言葉が流の頭をよぎった。それはそのまま口から出てきた。
……俺と付き合ってるのも、そのせい?」
妹だったら、きっと流と付き合っていたから。だから、気持ちを受け入れてくれたのか。
それからすぐに、言うんじゃなかったと思った。和人が泣きそうな顔でこちらを見ていて、それをもっと歪んだ表情で受け止めているであろう流自身がいて、その場が静寂に包まれた。
それから、何秒経っただろうか。
和人がようやく、口を開いた。
「違う」
はっきりと、そう言った。
「流のことは、そうじゃない。そりゃ、最初はちょっと興味本位で、付き合ってみてもいいかなくらいにしか考えてなかったけど。それでもだんだん、君を、そういう意味で好きになって……たぶん、妹が人間として生きていたとしても、渡したくないと思ってただろうし……
最後のほうは消え入りそうな声だったけれど、聞き逃しはしなかった。それが本心だと確信したから、流は和人を真っ直ぐに見て言った。
「あのさ、和人。今年の年越しは、二人きりでしないか?」

新しい一年が始まったその瞬間、流と和人は山の中にいた。礼陣の町をぐるりと取り囲む山の一つである色野山に、車で来ていたのだ。
「車内でお茶飲みながら年越しって、なかなか新鮮だね」
魔法瓶に入れてきた温かい紅茶を飲みながら、まだ点々と光のともる町を眺める。さっきまでは、寺の鐘がごおんと響いていた。今は、神社に人が集まってきている。ここからはその様子を一望できた。
「あの人たちのうち、水無月呉服店で振袖買ったり借りたりした人はどのくらいいるんだろうな」
「修繕も加えたら、振袖や羽織袴はほとんど全部うちが関わってるね。……そのうち僕も、修繕方法とか教わらなくちゃな」
「家継ぐのか?」
「どうしようか迷ってる。両親は好きにしていいって言ってるし、だから大学は全く関係ないところにいったわけだけど……
ふう、と紅茶を吹いて冷ます和人の横顔を見ながら、流は考えていた。
あと何回、こうして二人でいられるだろう。ずっと一緒にいられる方法はないものか。家のことを考えると、それはなかなか難しい問題だった。
「流、何難しい顔してるの」
「してた?」
「してた。……何考えてたのかわからないけど、今年もよろしく」
でも、まあ、今はそれは置いておくとして。ふわりと微笑む愛しい笑顔が見られれば、これから一年は安泰だろうと思える。
「ああ、今年もよろしく」
また新しい日々が始まろうとしている。ときどきしか考えないだけで、誰にだって制限時間はある。それをめいっぱい使って、有意義に過ごせるかどうかが問題なのだ。
「ねえ、そろそろ町に戻ろうよ。初詣行こう」
「よし、行くか。たぶん他の奴らも来てるだろ」

初詣にと向かった神社には、案の定後輩たちが揃っていて。
「和人さん! あけましておめでとうございます!」
「あ、流さんだ。今年もよろしくー」
気軽に声を掛け合って、新年を祝った。
「海たちは今年、受験生だね。勉強は順調?」
「大丈夫だと思いますよ。黒哉には負けたくないですし」
「オレだってお前に負ける気はねーよ」
「そもそも進路違うんだから、比べようがないでしょうに……
今年もどうか、良い年でありますように。
そう願って、顔を見合わせ、笑った。