病院の窓から見える空は灰色をしていて、雪を地上へ降らせていた。
私は雪が嫌いだった。冷たくて、触れればすぐに溶けてしまう。とても儚いもの。見ていると悲しい気持ちになるもの。
そして私は、私の名前も嫌いだった。私の名前は、雪という。両親がしんしんと雪の降る日に生まれた私につけてくれた名前だけれど、私は好きになれなかった。
冬が来るたび、気が滅入った。日が沈むのが早くて、外はすぐに真っ暗になってしまう。窓の外が闇に染まって、景色が見えなくなってしまう。この町を囲む山々が真っ黒な影になって、まるで大きな怪物のように見える。
冷たい雪に覆われた地面は、歩くことの邪魔になって、うまく前に進むことができない。
特に体が弱いせいでもともとうまく歩くことのできない私には、過酷な季節だった。
一年のうち、合計して半年分は家か病院に引きこもっている私は、冬になるとより外に出ることを拒むようになっていた。
そんなふうに過ごしてきたものだから、私は冬を楽しみにしたことなんて、これまでに一度もなかった。
相変わらず空は灰色で、地面は冷たい雪に隠れてしまう、どことなく陰鬱な季節だ。雪は春になれば溶けてしまう。温かさに触れれば消えてしまう。その事実を覆すことは、誰にだって無理なことだ。
でも、冬を少しだけ好きになれるような出来事が、生まれて十七年経って、初めてあったのだ。
病室の戸を開ける、すうっという静かで、けれどもよく響く音。それと同時に、入口に近いところにいる患者さんが、嬉しそうに「あらあら」と言う。
それだけで、私は誰が来たのかわかるのだ。
「こんにちは」
「こんにちはぁ。今日もお見舞いに来たの? マメねぇ」
彼と挨拶を交わしながら、入口に一番近いベッドを使っているおばさんが、にやにやしながらこちらを見る。このおばさんは結構重い病気を患っているはずなのに、彼が来ると途端に元気になるのだ。
けれども、私は人のことを言える立場じゃない。だって、彼が来て一番嬉しくて元気になるのは、私なのだから。
「黒哉君、こんにちは」
「よう。調子はどうだ?」
「今日はいいみたい。薬がよく効いてるの」
これまでは暗い気持ちになっていた冬が、今年は黒哉君のおかげでほんの少し楽になっていた。嫌なことを考えずに済むくらい、彼とのやりとりが幸せなのだ。
彼は毎日、学校の勉強に部活動、アルバイトと忙しいはずなのに、足繁く私のところへ来てくれるのだった。今年の春に出会ってから、晴れの日も、雨の日も、今日みたいに雪が降っている寒いはずの日も。おかげでどんなに病気がつらいときでも、頑張ることができた。彼にまた会いたい一心で、毎日を生き延びてきた。
黒哉君はここに来ると、毎回、外の様子を教えてくれる。携帯電話を取り出して、カメラ機能で撮った画像を私に見せながら、丁寧に語ってくれるのだ。
「駅前と商店街のイルミネーションを撮ってきた。あんまりきれいには撮れていないけど……」
今日のは、毎年冬に行われている、町のイルミネーションの画像だった。いつもは見かけても、きれいだとか可愛いだとか、そんな感想は持たない。それどころか、「みんな何を浮かれているんだろう」「私はこんなに苦しいのに」なんて、恨めしく思っていた。
それが今年は、どうだろう。あまり画質の良いとはいえない携帯電話のカメラを通して見た景色は、黒いビロードの布にさまざまな色の宝石を並べたようで、とてもとてもきれいだった。思わず「わあ」と声をあげて、ほかの患者さんをびっくりさせてしまったくらい。すみません、と一言謝ってから、私は黒哉君に言った。
「十分きれいだよ。街路樹がおしゃれしてて、とっても可愛い」
見に行きたいな、と思った。実物を黒哉君と一緒に見ることができたら、と。もうすぐ年末の仮退院なので、そのときにでも外を歩きたい。
あんなに冬の外出を億劫だと思っていたのに、黒哉君がそれを払拭した。冬が嫌いな私に、冬限定のこの町を見せて、素敵だと思わせた。これって、とってもすごいことだ。
「これなんて、雪に光が映ってるんだ。たぶん一番上手く撮れた」
「あ、本当だ。木の影のおかげではっきり見えるんだね」
黒々とした影が雪に落ちて、その上にきらきらとした電灯の明かりが映っている。こんなにきれいな雪を、私は今まで見たことがなかった。見ようとしなかった。
「……今度、お医者さんと家族の人がいいって言ったら、見に行こう。実際は雪そのものも光ってて、本当にきれいなんだ」
「うん、行きたい。黒哉君と一緒に、イルミネーションと雪を見に行きたいな」
彼と一緒じゃないと、だめなのだ。そうじゃないと、雪がきれいに見える魔法は解けてしまうから。私の暗い気持ちで、儚く散ってしまうから。
「ああ、一緒に行こうな。きれいな雪を見に」
黒哉君がそう言って微笑む。私は一瞬、どきりとする。その雪は、空から降ってくる白い雪? それとも、私の名前の雪? ついつい自惚れてしまう。
一通りイルミネーションと雪の画像を見た後、黒哉君はそれを私の携帯電話に送ってくれた。私の携帯電話のディスプレイが、黒哉君が見せてくれる景色を映し出す。嬉しくて、思わず頬が緩んだ。
今年の冬は、特別だ。彼がいるだけで、世界が変わった。ううん、世界が変わったんじゃなくて、私の世界の見方が変わったんだ。
「ちょっと、雪、好きになれるかも」
そう呟いた私の手を、彼はそっと握ってくれた。
「実物を見たら、もっと好きになる」
私は確信をもって頷いた。