アタシの名前はトラ。トラ猫だ。大嫌いな病院なんかに行くと、「野下トラちゃん」だなんて呼ばれる。
野下という、ちょっと大きな家に飼われている、飼い猫だからだ。
アタシが好きなのは、この家のホットカーペットと陽だまりの縁側。それと美味しいごはんをくれるお母さん、おばあちゃん、可愛い女の子の桜ちゃん。
桜ちゃんは、アタシが生まれて間もない子猫だったころに、公園に置き去りにされていたところを助けてくれた。アタシを撫でてくれる手がとっても優しくて、膝の上はホットカーペットや縁側と同じくらい居心地がいい。トラなんて名前も、桜ちゃんに呼ばれると、なんだか嬉しくなっちゃうの。
トラ猫だからトラだなんて、単純な名前をつけたのは、桜ちゃんの兄である流ちゃん。動物が好きで、どうやらアタシのことも可愛がってくれているつもりらしい。
でもちょっと元気がよすぎて、アタシがひとりでのんびりしたいときや、桜ちゃんと一緒にいたいときにまでかまってくる。ちょっと困りものだわ。
でもこの流ちゃんがよく家に連れてくる、和人ちゃんはけっこう好きよ。ぽかぽかしたお日様みたいな、あったかい人間だから。聞くところによると頭もいいみたい。流ちゃんよりも桜ちゃんに似ているんじゃないかしら?
桜ちゃんに、流ちゃん、和人ちゃん。この三人が揃うと、おじいちゃんとおばあちゃんが目を細めて嬉しそうにしているの。子供たちが遊んでいるのを見るのが、大好きなんですって。
おじいちゃんなんて、この町のとっても偉い人だそうなのに、ちっとも偉ぶっていないの。猫であるアタシにも横柄にしないし、こっそりお高い猫缶を開けてくれるときだってあるのよ。
おばあちゃんは、きっとおじいちゃんのそんなところが好きなんだと思うわ。だって、いつもおじいちゃんに寄り添っているんだもの。よほど気に入っている相手じゃなければ、あんなにくっついたりはしないわ。
お母さんはアタシを行儀の良い飼い猫に育ててくれた人。アタシの健康も一番考えてくれていて、それを桜ちゃんにも教えてくれているの。桜ちゃんは物覚えがいいから、お母さんの言うことをよく聞いて、アタシのお世話をしてくれるのよ。
お父さん……は、この家ではちょっぴり怖い人。流ちゃんにも桜ちゃんにも厳しくて、怒っているところもよく見るの。
でもね、アタシは知っているんだから。お父さんだって子供たちのことが大好きで、家族を守るためにしっかり働いているんだってこと。それに、アタシにはそんなに厳しくなくて、むしろ撫でてくれる手は桜ちゃんと同じくらい優しいのよ。
野下家の人間は、みんないい人。でもね、ちょっと厄介なのがいるのよね。それがアタシより一週間あとにこの家に来た犬、オオカミ。
オオカミとはお互い子猫と子犬だったころからの付き合いで、アタシのほうが先輩なんだってことを十分に分からせてきたつもりなのだけれど。それなのに、この犬はアタシよりもどんどん大きくなっちゃって、アタシのことを見下ろしたりするんだから。腹が立つったらありゃしない!
でもね、一応アタシのことを敬ってはいるみたいなの。おじいちゃんがときどき見ている時代劇の、おかしな言葉遣いを真似して、アタシのことを「トラ殿」なんて呼ぶのよ。「殿」って、偉い人のことなんでしょう? それってアタシのほうが、やっぱりオオカミよりも上なんだってことよね。
……
なんて思っていたら、このあいだ桜ちゃんが
「なんとか殿って、別に目上の人に限定して使う言葉じゃないんだね」
なんて言っているのを聞いちゃったの! つまり、それってオオカミのやつ、アタシのことを十分に尊敬しているわけじゃないってことよね。
もっともっとわからせてやらないと。アタシのほうが、この家ではお姉さんなんだからね。だから、アタシの話や遊びには、付き合わなくちゃダメなのよ。
アタシは野下家の飼い猫、トラ。家族のことが大好きなこの家の人たちと、この家の人たちが大好きな犬と一緒に暮らしている。
アタシはこの家の人たちが、オオカミよりもずっとずっと大好きで、大切で、命の限り守っていけたらいいと思っている、立派な猫。いつか家族に危機が訪れたら、ううん、そんなの訪れないほうがいいに決まってるんだけど、もしものことがあったら必ず力を尽くすわ。
だってトラは、「強くて気高い」んだもの!
そのときのために、今は桜ちゃんの隣で、ホットカーペットの温かさに身を任せて、力を蓄えておくわ。あのデカ犬は流ちゃんと毎日寒い外を駆けまわっているみたいだけど、そんなんじゃ、いざというときに疲れて困っちゃうわよ。
……
そう、だから。もう少しだけ眠らせて。桜ちゃんが撫でてくれる手が気持ちよくて、目がとろんとしてきたの。
アタシ、この家にいられて幸せだわ。とっても幸せなのよ。