ばあちゃんとは同居していなかったが、近所に住んでいた。
今の自分からは想像できないほど大人しい少年だった俺は、学校が終わると、本を持ってばあちゃんの家に行っていた。居間で読書をしながら、ばあちゃんと「学校は楽しかったか」だの「何をして遊んでいるの」だのといった話をしたものだ。
足繁くばあちゃんの家に通う理由は、静かに読書ができるからではない。ばあちゃんの作る食事が美味しかったからだ。
俺が遊びにいくと、ばあちゃんはまんじゅうをふかして待っていてくれた。もっちりした生地で、あっさりとした甘さのあんこをたっぷり包んである、ばあちゃん特製のまんじゅうだ。
夕方になると、晩御飯が出てくる。両親は仕事や付き合いで家をあけていることが多かったので、必然的にばあちゃんの家で晩御飯を食べることが多かった。
ひじきと鶏肉、にんじんにごぼう、それからきのこを炊き込んだご飯。少し焦げたところが、味が濃くて美味しかった。
畑でとれたきゅうりやかぶの漬物は、ちょうどよい塩分で、箸が進んだ。
魚の骨をきれいにとる方法も、ばあちゃんから教わった。
毎日、ばあちゃんの家で食べる晩御飯が楽しみだった。

あるとき、いつものようにばあちゃんの家に遊びに行ったら、畑で野菜を収穫していた。
「こう君もお手伝いしてくれる?」
ばあちゃんの頼みなら、きかないわけがない。俺はばあちゃんと一緒に実をもぎ、土を掘り、葉を摘んだ。ぴかぴかの野菜も、土まみれの野菜も、同じくらい美味しそうだった。
「これ、今晩の?」
「そうだよ。こう君がいっぱい食べられるように、いっぱい作るからね」
にこにこしながらばあちゃんは言う。けれども、こんなにたくさんの野菜をばあちゃん一人で料理できるものなのだろうか。これまでしてきたに違いないのだけれど、一部は分けて保存するということもあとで知るのだけれど、そのときは少しだけ不安になったのだ。
「ばあちゃん。俺、料理も手伝う」
それに、どうしたらこの野菜たちが素晴らしい夕食に変身するのか、その過程にも興味があった。もしかしたらばあちゃんは、何か魔法を使っているのかもしれないと、当時の俺は思っていた。
なにしろ本ばかり読んでいた、大人しい少年だったのだ。そのくらいの夢想はしていた。
「こう君が手伝ってくれるなら、とっても美味しいものがたくさんできるね。ばあちゃん、すごく嬉しいわあ」
あのときのばあちゃんの、驚いているようで嬉しそうな顔を、よく憶えている。
孫と並んで台所に立つばあちゃんは、いつもより背中がしゃっきりしていた。たぶん、俺が包丁を持ったりするのが危なっかしくて、緊張していたのだと思う。それでもなんとか、調理はできた。もちろん、俺が考えていたような魔法は使っていなかった。でも、あのできばえは本当に魔法のようだった。いつも美味しいばあちゃんの料理が、もっともっと美味しくなったのだから。
それからというもの、俺はばあちゃんが台所に立つたびに手伝いをするようになった。そうしてばあちゃんが知っている料理法を伝授され、すっかり料理が趣味になってしまった。高校生になった頃には、調理師を目指そうかとも思ったくらいだ。

懐かしい光景を思い出しながら、ことことと音をたてる鍋を見張る。ばあちゃん直伝の味は、今では一人で再現できるようになっている。
「こう君、上手になったねえ」
俺の作る料理を食べるたびに、ばあちゃんは言う。特に煮物なんて、ばあちゃんの味にそっくりに作ったはずなのに、「こう君のは美味しいね」なんて言うのだ。
「生徒さんにも、食べさせてあげればいいのに」
煮えたさといもを箸で丁寧に切りながら、ばあちゃんは言う。
「機会がないなあ。俺、数学の先生だから」
結局、俺は調理師にならなかった。同じ職業であった両親のすすめもあり、得意な数学の教師になった。
ばあちゃんのおかげで、俺は家庭科の調理実習があったときに、ヒーローになれた。誰よりも手際よく、材料や道具を扱えた。人に教えることだってできた。皆で作ったものをわいわいと賑やかに食べていると、本当に楽しかった。
大人しく本を読んでいた少年は、それからというもの、よく人と話すようになったのだ。
「こう君、機会は作るものだよ。今までだって、そうしてきたじゃないの」
「そうだな。……今度、企画してみるよ」
久しぶりにばあちゃんと食卓を囲んでいると、あの頃みたいに、なんでもできそうな気がしてきた。