歓楽街に集まるのは、仕事終わりのサラリーマンに、学校帰りの大学生。安い居酒屋に屯して、とりとめのない話に興じる。
俺たちもよそから見れば、その一員にすぎないのだろう。だが、揃って馬鹿騒ぎをしているわけではない。五人で卓を囲んではいるが、主に談笑しているのはそのうち二人だけだ。
「ええー? ちゃっきー、それはやばいって」
廿日が手を叩きながら笑う。彼女はいつでも楽しそうだ。傍目には、悩みなどなさそうに映るだろう。
「いや、オレはわりと真面目に思ってるんだよ。彼女ができることによって、日々が充実する。充実はいい考えを生む。従って、卒論をいいものに仕上げる為には彼女が必要だ! タケもそう思わないか?」
茶木は相変わらず理解に苦しむ言葉を並べている。しかもそれを、今度はこちらに向かって投げてくる。
「思わない。恋人の有無とお前の研究は関係がないだろう」
だからそれを振り払ってやった。だいたい、彼の卒業研究がなかなか進まないのは、彼自身が遊び呆けているからだ。恋人なんかいたら、余計に悪化するに違いない。
だが水無月と宮澤は、とても意外だったが、俺とは異なる見解を述べた。
「案外、全く関係ないとは言い切れないかもしれないよ」
「茶木君は単純だもの。冗談で応援しても、やる気を出してくれそうだわ」
なるほど、そういう考え方もあるか。茶木は「宮澤の言い方が酷い」と言っているが、確かに彼はそういう奴だ。こんなチェーンの居酒屋でも大いに盛り上がることができるほど、簡単に気持ちを操作される。廿日もそう思っていたようで、「ちゃっきーだもんね」などと言って追い討ちをかけていた。
「ええ……そんなにオレは単純に見えるのか? オレだって色々考えてるのにさ……
とてもそうは見えないことをこぼしながら、茶木は目の前においてあったジョッキを持ち、中身をぐっと飲み干した。そういえば、これはいったい何杯目だっただろう。
「僕が言いたかったことは、茶木君が単純だとか、そういうことじゃないんだ」
飲み放題の時間はあとどのくらい残っていただろうかと、時計を確認したときだった。水無月がぽつりと呟いた。目の前のグラスは空だ。
「カズはオレが単純じゃないってわかってくれるのか?」
「そういうわけでもないよ」
一瞬目を輝かせた茶木をばっさりと切り捨てて、水無月は続けた。手にはドリンクメニュー表を持っている。まだ飲む気らしい。
「研究そのものとの関係じゃなく、モチベーションの問題なら、恋人の存在は有効なんじゃないかって思ったんだ。気分転換は必要だよ」
「そう、それ! オレが言いたかったのはそういうこと!」
茶木は卒論に気分転換するべきだと俺は思うが、水無月の発言は興味深い。だから黙って話を聞いていることにした。
「カズはやっぱ、気分転換できてんの? その……そういうのでさ」
質問は茶木や廿日が勝手にしてくれる。俺はそれを聞いているだけだ。宮澤も同じことを考えたようで、水無月に視線をやりながら、梅酒をちびちびと飲んでいた。
「僕? できてるといえばできてるのかな。ただ、あっちも卒研真っ最中だから、必然的にそういう話題にはなるけれど」
「だよねえ。ていうか、りゅーちゃんって卒研真面目にやってんの?」
「やってるよ。じゃないと卒業できないから」
俺たちは皆、水無月の「事情」を知っている。一年次のプレゼミで知り合って以来、何度目かの飲み会で、彼はそれをカミングアウトした。驚きはしたが、聞いてどうなるというわけでもなく、俺たちは「へえ、そうなんだ」といった感じで彼を受け入れている。ただ、俺にとって珍しいものであることには変わりないので、彼の話はいつも興味を持って聞くようにしているのだった。
だから水無月から何らかの話を引き出せそうなときだけは、茶木の下衆な問いも許せる。
「会話だけじゃなくてさ、いちゃいちゃして気分転換ってできんの?」
彼は何のためらいもなく、ずばりと言い放った。やはり茶木は単純だ。単純と書いてばかと読む。彼の言動に廿日は苦笑し、宮澤は眉を顰めていた。これだから彼には恋人ができないのだろうなと、ここにいる全員が思っているはずだ。
だが水無月は、その言葉もきちんと受け取って返すのだった。
「できるんじゃないの? 義務も恋愛も、余計なことを考えていたらうまくいかなくなるだろう」
ただし、どこか他人事のように。
もしもここが居酒屋じゃなくて、女子がいなかったのなら、こんな言い方はしなかったのだろうか。いや、変わらないか。きっと俺がいるから、水無月は話さないのだ。観察されていることを知っているから、本心はごまかして、曖昧にしているのだ。
どれだけ酔っても同じこと。水無月にとって、俺たちとの付き合いは義務に近いものなのかもしれない。
「もう、ちゃっきーってば変なこと言うんだから。宮澤さん、今度は女の子だけで飲もうね」
……そうね」
宮澤は俺を一瞥してそう言った。俺と同様、水無月に興味がある彼女にとっては、俺こそが邪魔なのだろう。
いつの間に呼んだのか、注文をとりに来た店員に追加の酒を頼んだあとは、別の話題へと移っていった。