礼陣高校はそれが目当てで進学してくる者もいるほどに、部活動が盛んだ。とくに運動部は毎年全国大会で成果をあげていて、片田舎の公立高校といえどもそこそこに名は知れていた。
文化部も、運動部ほど大きく目立つことは少ないが、吹奏楽部や合唱部、放送部や美術部などに良い定評がある。
一方で、日の当たらない小さな同好会なども存在する。生徒が趣味で始めることが多いのだが、その同好会だけは教師の趣味で始められたものだった。
「先生。平野先生」
そこに所属する唯一の生徒は、毎週金曜日の放課後、社会科準備室の戸を叩く。特別教室棟の隅に設けられたこの場所が、同好会の活動場所だ。
「平野先生、いますか」
戸を開けると、まず最初に資料棚が見える。書籍や教材がぎっしりと詰め込まれた棚のかげに机があって、教師はいつもそこにいる。
「先生、また本を出しっ放しにして。いちいち片付けるオレの身にもなってください」
生徒は呆れるが、教師は悪びれもしない。机の上に堆く詰まれた書籍やノート、それにプリント類。その中に埋まるように突っ伏している。
「片付けますよ。オレ、このあとバイトあるんで。そんなに長くはいられないんです」
生徒が資料に手をかけると、教師はやっと上体を起こした。そして生徒の手首を突然掴むと、「待った」と言った。
「これは今日の活動に使うの。だから片付けるのはちょっと待って」
「……それは、オレが入ってきた時点で言ってほしいです」
生徒が手を引っ込めると、教師はにんまりと笑った。それから本の塔の一番上をひょいと持ち上げ、付箋で印をつけたページを開いた。
「さあ、日暮君。放課後の特別授業を始めましょうか」
週に一度、金曜日の放課後。会員は社会科教諭平野頼子と、一年二組日暮黒哉の、たった二人だけ。
礼陣歴史愛好会――活動内容は、地元の歴史や伝承を調べること。
頼子が黒哉に見せたのは、礼陣の歴史が記された町史年鑑だった。これはしばしば活動に使われる資料で、社会科準備室には発刊初年度から最新のものまで全て揃っている。
「このページ、何回も見たじゃないですか。今日はどこをテーマにするんですか?」
黒哉は資料を受け取り、すっかり覚えてしまったそのページの記述を目で追う。
この町史年鑑は不思議なもので、その年の町議会の動きや人々の生活調査の結果などだけではなく、はるか昔からの伝承までもが掲載されている。頼子はむしろそちらに興味があるらしく、このページを何度も題材にしていた。
「今日のテーマは礼陣の鬼伝承、パート……あれ、いくつだっけ?」
「もう数え切れません。何回やったら気が済むんですか」
「何回やっても気が済まないわね。私はこれをライフワークにするって決めたんだから」
頼子は胸を張って言うが、黒哉は返す言葉もないほどに呆れ返っていた。同じことを何度もやっているからというのもあるが、彼はこの「伝承」がただの言い伝えではないことを知っているのだ。
頼子も知らないわけではないが、なにしろ黒哉とは見ているものが違う。彼女はひたすらに想像力を働かせて推論を組み立てることで、見えないものを補完しようとしている。だが黒哉はその逆で、見えてしまうものの存在理由を整理し、自分で理解しようとしている。
「では、鬼を見ることのできる日暮君に問うわ。鬼たちはなぜ礼陣にやってきて、なぜここに住み着いているのか?」
「偶然ここに来て、気に入ったそうですよ」
「それじゃ理由として足りないでしょう! 礼陣に鬼たちを惹きつけるような何かがあったと考えるべきだわ。そしてその何かが、礼陣神社のある場所か、はたまたそれを管理する人々がいる遠川か、そのあたりにあるんじゃないかと思うわけ。そもそもどうして神社と管理者の距離が離れているのかとか、ずっと聞き込んで考えてを繰り返してもわからないことだらけで……」
語りだすと長い頼子の話を聞き流しながら、黒哉は時計を見る。アルバイトの時間が迫っているが、こちらが頼子の疑問に対してなんらかの答えを返さなければ解放してもらえないだろう。
かといって、いい加減な理由をでっちあげることもできない。それをしてしまえば、多くの者に迷惑がかかってしまう。
黒哉は溜息をついて、今日はどんな回答をしようか、と思案を始めた。
礼陣には鬼がいる。と言っても、地元の人間以外には伝わりにくいだろう。
詳細を語ると頼子の話のように長くなってしまうので割愛するが、この土地には昔から人間の他に「鬼」と呼ばれる人々が住んでいるのだった。
彼らは共通して頭に二本のつのを持つこと以外は、さまざまな姿をしている。その上人間にはできないようなことをやってのける不思議な力を持っていた。明らかに人間とは一線を画す存在であるために、彼らは自ら人間の視界に入らないよう姿を消した。
しかし礼陣からいなくなったわけではないので、現在も一部の人間にはその姿を視認することができる。黒哉はその一人だった。
そして頼子はそんな黒哉と出会い、偶然にもこの土地の歴史に興味を持った彼を、礼陣歴史愛好会という趣味と嗜好まみれの場に引き込んだのだ。
この土地に住まう不思議な人々について、彼らと人間がともに歩んできた歴史について、二人は毎週話し合っている。
知れば知るほど疑問が生まれ、それを人間の視点と鬼の視点の両方から紐解いていく。それができるのは、見えなくも鬼を認める頼子と、鬼は見えるがなぜこうなったのかを突き詰めたい黒哉が組んでいるからだ。
「さて、黒哉君はこのことをどう考える? それとも鬼から答えを得た?」
「鬼からは得てませんが、彼らと話をしていて思うのは……」
まるでパズルを解くように。扉を開く鍵を探すように。二人は今日も、この土地の不可解な謎に取り組んでいる。
詳細を知りたければ、金曜日の放課後に、社会科準備室を訪れてみるといい。話に興じる彼らと、もしも「見える」人間だったなら、それを面白そうに眺める鬼たちの姿を見ることができるかもしれない。