高校生までの水無月和人という人間は、文武両道、品行方正、容姿端麗と揃った「理想の人物」だった。
しかしこれもあくまで「他人から見た理想」である。地元にいるあいだは、外面は周囲の期待通りにそうであろうとしてきた彼。しかしその反動は大学に進学して、他所の土地に行ってから大いに発揮されてしまった。
地元の友人や後輩たちは、理想像であった彼しか知らない。
大学での知り合いは、彼の少々我侭で強引、かつ心情の読みにくい不可思議な人物という印象を持っている。
本性を知っている人間は、幼馴染であり、親友であった、野下流ただ一人かもしれない。
だから、流は訪れた部屋が見事に散らかっていても驚かなかった。ただ「片付けることができなかったんだな」と捉え、床に散乱した本やノートを拾い、まとめはじめた。
部屋の主は布団で丸くなっている。酷く頭痛がするらしく、起きていられないのだと、先ほどメールを受け取った。
「和人、本とかノートは棚の横に積んでおいたからな」
……うん」
うなるような返事は、本当に具合が悪いときだけのものだ。流はもちろんそれをわかっているので、それ以上は話しかけずに、黙って台所に立った。
床を片付けたら、今度はこっちだ。何を作って食べていたのかわからないが、数少ない調理器具や食器がほとんど全て出され、使った後のまま放置されている。こんな光景を和人を慕う後輩が見たらショックを受けるだろう。
流はそれを思って苦笑し、それから気合を入れなおして洗い物にとりかかった。
頭の中ではすでにスケジュールができている。
片付けが終わったら何か消化が良く食べやすいものを用意して、無理やりにでも和人に食べさせる。この惨状を見るに、しばらくまともなものは食べていないだろう。ちなみに和人が自分で作った料理は、何故かどう作っても味があまりせず、「まともなもの」とは言いがたい。
食べたあとは汗をかくだろうから体を拭いてやって、着替えさせて、また布団に寝かせる。このときシーツは換えておく。
全てが終われば、それからは彼の頭痛が止むのを待つばかりだ。どうせ連休だ、時間ならたっぷりある。

流と和人の地元である礼陣から、隣県のこのマンションまで片道三時間ほどだ。バスや列車を乗り継いで、流は和人に会いに来る。
高校卒業後、流は地元の公立大に、和人は隣県にある国立大に進学した。小学一年生のときからずっと一緒だった二人は、ここで初めて進路を別たれたのだった。
それがわかっていたから、高校三年の冬、流は和人に一世一代の告白をした。というよりは、当の本人にさせられた。同性でありながらも、ずっと恋愛感情を抱いてきたことを打ち明けた。返ってきた答えは「付き合ってもいいよ」だった。
以来、遠距離にはなってしまったがそういう関係を続けている。友人や後輩たちの一部はそれを知っていて、それでも「そういうものか」と受け止めてくれている。今回ここへ来るときも、少々のひやかしと、「お土産よろしく」の言葉に見送られた。
そんな親しく寛容な人々でも、和人がこうして人に片付けをまかせ、自分で料理ができずにろくなものを食べていないことなど、想像もしていない。彼らの中では、和人は完璧なのだ。
本当は、見栄っ張りで、強がりで、泣き虫で甘えたがり。そんな和人を知っているのは、自分だけで良いと流は思っている。
ここまで会いに来るのは、自分一人でいいのだ。

「和人、ちょっと何か食べたほうがいいぞ」
少し柔らかめに茹でたうどんをテーブルに置き、丸くなった掛け布団を軽く叩く。すると中に入っていた人物が、眉を顰めたままこちらを向いた。
「出汁の匂い……
「ああ、うどん茹でた。起きられるか?」
「起きる……お腹空いた……
顔はちっとも嬉しそうに見えないのだが、声の調子から機嫌が良くなったことはわかる。和人は布団から這い出して、テーブルの上の丼を見ると、「わあ」と声をあげた。
「流、腕上げたねえ」
「食べてから改めて言ってもらおうか。箸持てるか?」
「それくらいは大丈夫。いただきます」
具はネギと、地元から持ってきた山菜が少々。それを麺と一緒に少しずつ口に入れ、よく噛んでから飲み込む。そうして和人は、ようやく誰もが知るふわりとした笑顔を取り戻した。
「美味しい。やっぱり腕上げたんだね」
「和人に美味いもの食わせるために修行したからな。いろんな人に聞きまくったんだぞ。うちの母親と桜、和人の母さん、それから井藤ちゃんにも」
「井藤先生にまで? たしかに料理上手だけどね、あの人」
たわいもない話で盛り上がり、いつのまにか頭痛も和らいだようだ。幸せそうにうどんを啜る和人を、流はこれまた幸せそうに眺める。
そうしてお腹も心も満福になったあと、二人で改めて部屋を見渡す。
流が来たときよりはいくらか片付いたが、物を隅に寄せただけなので、またすぐに元通りになってしまう可能性が高い。
……今のうちに、ちゃんと片付けようかな」
「頭痛は?」
「もうだいぶいいよ。流のおかげだね」
空になった食器を台所に下げて、よし、と気合を入れる。和人は本気で掃除を始める気らしい。それなら手伝わないわけにはいかない。
積んだ本やノートを、和人の決めた所定の位置に戻して。電子機器の類も、棚に収納して。掃除機をかければ「和人らしいきちんとした部屋」のできあがりだ。
「久しぶりに片付けたよ。ここ最近、ずっと体が重くて、やる気がでなかったんだ」
「だろうな。台所とか酷かったし」
「ああ、あれはやる気とは別。何か食べなきゃ死ぬなと思って料理の真似事してみたけれど、結局できたのは味のしない何かだったからうんざりしちゃって」
「やる気下げる原因の一つにはなってるだろ」
「そうだね、あとは……
和人はじっと流を見つめ、それからにこっと笑った。扇情的で挑発的な笑みだった。
最後まで言えよ、と思いつつも、流は続きをちゃんとわかっていた。こうして連休でもなければ会えなくなったことを、二人とも物足りなく思っていたのだ。
「部屋も片付いたことだし、遠慮なく俺の胸に飛び込んでくるがよい」
「飛び込みはしないけど、遠慮もしないよ。まだ少し頭がだるいんだ」
流にだけ見せる、甘えたがりな本性。それを受け止めることで、流も自分の欲求を満たす。
そんな流の独占欲の強さを知っているのもまた、和人だけだ。誰にでも分け隔てなく接し、その明るさと頼り甲斐で人望を集めている彼が、和人だけに見せる表情がある。
表も裏も、全部知り尽くして、まとめて愛して。