それは、休み時間のちょっとした会話。少し風邪気味もしれない、という一言から始まった、たわいもないやりとり。
「風邪ひいたときの特別なものってない?」
莉那の言葉に、男子三人は疑問符を浮かべる。
「特別なものって?」
「風邪のときの定番。食べ物とか、飲み物とか」
それで、ああ、と納得する。そう言われると、決まって用意するものがある。
「うちはね、風邪のときはゼリーなの。小さく切った果物が入ってて、喉が痛くても食べやすいんだ」
話題提供者の莉那が、まずは言う。彼女の家ではよくお菓子作りをするというから、そのゼリーもきっと手作りなのだろう。幼い頃から、具合の悪い人が出るごとに母親が用意してくれた、まさに特別な一品に違いない。
「連さんは?」
「俺は……桃だな。母が白桃を買ってくるんだ。缶詰のときもあれば、そうでないときもある」
話を振られた連が、どこか照れたように答える。すると海が頷きながら、「定番っぽいですね」と呟いた。
「桃は良いね、みかんみたいにしみないもの。黒哉君はどう?」
連に対してと同じように、莉那は黒哉にも尋ねた。それから、あ、と気づいたように声をあげ、改めて問う。
「訊いてよかったかな……?」
黒哉には親がいない。もしかすると、余計なことを話題にしてしまったかもしれない。
莉那はそう思ったのだが、黒哉は特に気にする様子もなくそれを受けた。
「訊いちゃいけないってことはねーよ。うちはすりおろしたりんごと、スポーツドリンクだった。今風邪ひいたら、飲み物だけでも自分で確保しないとな」
笑顔さえ浮かべて言うので、莉那はほっとした。そこへ海が軽口を叩く。
「じゃあ黒哉が風邪ひいたら、りんご持ってってやるよ。塩水混ぜてやるから、スポーツドリンクは用意しなくてもいいぞ」
「お前はいちいちうるせーな……そういう海は何なんだよ」
黒哉が眉を顰めたまま訊くと、海はさらりと答えた。
「うち? ハーゲンダッツだけど」
「……は?」
なんと、まさかの商品指定。さすがに莉那と連も言葉を返せない。ここで即座につっこめるのは、黒哉だけだ。
「ハーゲン……ってお前、贅沢すぎるだろうが! アイスクリームじゃねーのかよ?!」
「ハーゲンダッツ。他のどのアイスクリームでもない。俺の父さんはそうしてくれる」
「はじめ先生、お前に甘すぎだろ……」
呆れて頭を抱える黒哉。その代わりに、ようやく開いた口が動かせるようになった連が尋ねた。
「他のじゃだめなのか? 何か理由でも?」
それに、海は照れ笑いして返した。
「小さい頃、和人さんに憧れてて、なんでも同じにしたがった時期があったんです。あの人の家では、風邪をひくとアイスクリームを買ってもらえるって聞いて、俺も父さんに頼んだら……買ってきたのがそれだったんですよ。以来、うちは風邪をひくとハーゲンダッツのアイスクリームを用意するようになりました」
ちょっと昔を懐かしむような、そんな語りだった。
海の父であるはじめは、そういう人だ。きっと何か特別なものを用意したくて、考えた末の選択だったのだろう。
莉那がクスリと笑って言った。
「ちょっと驚くこともあったけど、やっぱり聞いてよかった。それぞれの家のあたたかさが伝わってきたよ」
「挙がったものはだいたい冷たいものだったけどな」
「水さすなよ、黒哉」
その家に、その家の優しさがある。その中で自分たちは育ってきた。そんな当たり前のことを、こんな何気ない会話で確認できる。
今度他の人にも聞いてみようか、と締めくくったこの話だが、後にブームを引き起こす。
誰かしらが風邪で寝込んだとき、お見舞いに自分の家の定番を持っていくというものだ。それで風邪をうつされては繰り返すものだから、遂にはお見舞いが禁止されたほどだったというのは、また別の話。