礼陣の町には、私立の女子校がある。北市地区に構えられた、その名も北市女学院。幼児期から大学までの教育を一貫して受けることのできる、名門校だ。
お嬢様学校とも呼ばれるここは、礼陣内外の女の子たちの憧れであり、男の子の希望だった。おっとりとした少女たちが集い、お淑やかに生活をするという理想像がここにはある。
だからこそ、公立の共学校の門前に北市の制服を着た女の子が立っていると、羨望や憧憬を含んだ好奇の目にさらされることになる。あの子は誰なのか。いったい何の用事があってここにいるのか。かきたてられる少年少女の想像、あるいは妄想。それを感じ取ってしまうと、当人はこの場に居辛くなってしまう。
それでも今日、ここにいる彼女には、どうしても果たさなければならない用事があった。目的の人物が来るまで、ここを離れるわけにはいかないのだ。
でも、もうそろそろ限界かもしれない。男子がにやにやしながら近づいてくるのがわかる。話しかけられたら、どう対応しよう。
「あれ、志野原?」
彼女の緊張を一瞬にして解いた声。これは、公立の学校に通っていた頃の、同級生の声だ。
「吉崎君!」
「何してんの、こんなとこで」
彼女、志野原結衣香は、表情をぱっと明るくした。声をかけてくれた彼は、吉崎雄人。小中学生の頃、同じクラスにもなったことがある顔なじみだ。
雄人が結衣香に近づくと、周りがにわかに騒がしくなる。そばにいた男子などは、からかうように、しかしながらどこか悔しそうに囃し立てた。
「なんだよ、雄人の彼女かよ」
「しかも北市女子? ふざけんなよお前、いつのまに!」
わいのわいのと捲し立てる男子生徒たちに、雄人は呆れたように息をついて返す。
「中学まで一緒だったんだよ。それに、こいつの用はオレにじゃないと思うぞ」
実際、そのとおりだった。いや、雄人にも用事があるといえばあるのだが、結衣香一人の目的は彼ではない。それをすぐにわかってくれたことに、付き合いの長さを感じる。
「ええと、吉崎君にも全く用がないってわけじゃないんだけど……」
「うん。でもメインはあっちだろ?」
雄人が指差した方向から、女子生徒が走ってくる。竹刀袋を背負い、猛ダッシュでこちらへやってきた彼女は、結衣香を見て嬉しそうに笑った。
「ゆいちゃん! ごめんね、待たせちゃった」
「やっこちゃん、おつかれさま。わたしも今来たところだったし、吉崎君に会えたから大丈夫」
結衣香が待っていたのは、公立共学の礼陣高校に所属する根代八子だ。前日に会う約束をしていたのだ。
その理由は、結衣香が鞄から取り出した、二つの小さな包み。
「はい、やっこちゃん。剣道の大会に勝てるよう、お守りよ」
結衣香の言葉にどよめいたのは、周りにいた男子生徒たちだった。なにしろ「北市女子の生徒から部活のお守りをもらう」というのは、このあたりの男子の憧れなのだ。もらった八子は女子だが。
「ありがとう、ゆいちゃん。絶対に勝ってくるからね!」
そして八子のこの台詞は、男子がお守りをくれた女子に行ってみたい言葉の上位にランクインするものだ。それをまさか目の前で、女子同士でやりとりされるとは。
「根代、男前だもんな……」
「たしか中学の時、心道館最強の称号を受け継いでたんだよな……」
周囲の注目の中、八子は包みの一つを受け取る。もう一つはどこへいくかというと。
「吉崎君にも会えたから、渡しておくね。さっちゃんからだよ」
「おう。宮川にありがとうって伝えておいてくれ」
再び男子生徒たちの視線が雄人に注がれる。女子である八子ならばまだ許せるが、同じ男子である雄人までもがお守りらしきものをもらうのは許せない。妬ましい。自分も欲しい。
「雄人、てめえ!」
「宮川って誰?! お前の彼女?!」
「違うって。こいつと同じ元同級生だよ」
「何騒いでんの、男子……。そんなにお守り羨ましい?」
八子が袋の中に入っていたのであろう小さなお守りをひらひらさせる。手作りと思われるそれは可愛らしく、まさに女の子のお手製という感じだ。
こくこくとうなずく男子たちに、八子はにっこり笑ってずばりとひとこと。
「好きなだけ羨ましがりなさいな」
「根代ひどい!」
「自分が男より男前だからって!」
引き続き騒ぎ続ける男子を尻目に、八子と雄人は改めて結衣香に向き直る。
「ゆいちゃん、こんなところまで来てくれてありがとう」
「あいつらうるさいから、早めに離れた方がいいぞ」
「にぎやかでいいじゃない。……それじゃ、またね。今度はみんなで一緒に、御仁屋でお茶でもしましょう」
くるり、ふわり。スカートを軽やかに翻して、結衣香は行ってしまう。八子と雄人と男子たちは、それを名残惜しそうに見送った。
八子はお守りをさっそく竹刀袋に付け、雄人は手に乗せて眺める。
応援してくれる人たちの思いがこもっている、最強の装備だ。
「雄人、男子のほう頼んだからね。他校の人たち、海にいと日暮先輩が卒業したからって油断してるみたいだよ」
「入れ替わりでオレたちが入ってくるっていうのにな。女子は最強のやっこ様がいるから問題ねえよな?」
「いやいや、まだ一年生ですから。まずはこれからどれだけ成長するかという期待を抱かせてあげようよ」
心道館門下最上級生改め、礼陣高校剣道部新人。北市女学院に通う結衣香と、もう一人の友人宮川紗智の援護を受け、いざ勝負。