夏の夕方、商店街は家へ帰る人々や買い物客で賑わっている。日が長いので、神社で遊んでいた子供たちも、ようやく帰る気配を見せ始めたところだ。
一方で大人の時間はこれからで、居酒屋が店を開け始める。それを狙って、四人の若い女性がやってきた。
背の低いロングヘアは須藤春。肩までのふわふわの癖毛は園邑千花。二人はこの町の女子大に通う四年生だ。同じ芸術学部だが、専攻はそれぞれ工芸と音楽で、まるで方向性が違う。伸びた髪を頭の後ろにまとめているのは加藤詩絵、普段はよその大学の学生だ。ベリーショートで一番背が高いのは笹木ひかり、こちらは唯一の社会人で、この町で働いている。
学生組は夏休み、ひかりは仕事終わり。詩絵が帰省しなければ揃うことはないので、このメンバーで集まるのは久しぶりだった。
春が予約を確認しているあいだに、千花と詩絵が仕事終わりのひかりを労う。疲れたよー、とは言いつつ、笑顔を絶やさないひかりの生活は、本人曰く充実している。
通された席で、それぞれの一杯目を注文して、それからはとめどないお喋りの時間。話題はいくらでもあるが、最近はメッセージアプリのタイムラインでも恋愛の話が多い。
「千花と海先輩、うまくいって良かったよねー。そもそも拗れてることすら、アタシと笹は知らなかったけどさ」
「事情が事情だったからね、うまく説明できなくて。拗れてるあいだは春ちゃんにお世話になったよ」
「お酒飲みながら電話するの、ちょっと楽しかったよね」
「あたしもやってみたいなー。詩絵、今度やろう」
「酒飲みながら喋るなら今からやるじゃん」
運ばれてきた酒を配る。春は地元の日本酒を冷で、千花は梅酒をロックで、詩絵はカシスオレンジ、ひかりは生ビール。かんぱーい、とグラスやジョッキを軽くぶつけて、話を進める。そうしているあいだにも手元にはメニュー注文用のタブレットがあって、食べたいものをどんどん入力していく。
「それで千花は、来年から海先輩のところに住むことにしたの?」
とりあえずご飯ものは欲しいよね、に続けて、詩絵が自然に尋ねる。
「まだ決まってないよ。これからお父さんとはじめ先生の話し合いとか、海さんと私で説得するとか、やることはたくさんあるもの。でも進道さんちにお世話になれるなら、たしかに食事の面で困らないんだよね」
サラダもお願い、と付け加えて、千花は苦笑いした。未だに料理が少し苦手なのは、やはり悔しいのだ。
「海にいのところが駄目ならうちはどう、って千花ちゃんにも提案したんだけど、それは断られちゃった。うちは何人いても歓迎するのに」
タブレットを詩絵から受け取った春が、ものすごい勢いでメニューを追加しながら言う。それを見ていたひかりは若干引きつつ、そりゃそうだ、と頷いた。
「だって春のとこ、入江君も来るんでしょ。あ、結婚したら入江君じゃないのか。そこに入っていくのは難しいよね」
「ひかりちゃんもそう思うでしょう。春ちゃんたちの邪魔にはなりたくないの、私も」
春の家に、入江新が婿入りしてくるという話は、もう仲間内に知れ渡っている。そのために春が入江家との関係を築いてきたことも、本当は嫁に行こうが婿をとろうがどうでもよかったということだって。大学を卒業したらすぐに結婚して、新が須藤の家に入るというのは、新の希望だ。
「邪魔にはならないよ。でも、うちに住むのもはじめ先生と暮らすのも、そんなに変わらないか。親戚じゃないけど親戚みたいなものだし、はじめ先生はうちに入り浸ってるし」
「須藤家と進道家の関係もすごいよね。こりゃ、春のほうが海先輩の妹らしいのも仕方ないか」
「そうすると、千花は春の義理のお姉さんみたいな感じになるのかな」
「そうだね。ややこしいけど」
実際、このあたりの関係は複雑だ。千花が恋人として付き合っていた進道海は、千花の実の兄だった。そして海と春は幼馴染で、兄妹のように育ってきた。事情を説明するのが難しかったのは、判明した事実があまりに突飛であったことと、人間関係の入り組みようのせいだ。おかげで全てを詩絵とひかりが知ったのは、本当につい最近、数日前のことだった。
「ま、がんばれ。アタシたちは千花を応援するから」
「ありがとう。私も詩絵ちゃんを応援してるよ」
「そうだよ、私たちのことはいいから、詩絵ちゃんとひかりちゃんの話を聞きたいな」
にやり、と春が笑う。詩絵は怪訝そうに首を傾げたが、ひかりは覚悟を決めたようにビールを一気に飲み干した。だん、と音を立ててジョッキをテーブルに置き、長く息を吐く。
……今日は、それを聞いてもらうために来たのもあるから。話すつもりではいたんだけど」
タブレットの注文ボタンを押す前に、二杯目のビールを追加する。この後来るであろう大量の料理は、はたして全てテーブルに収まるのだろうか。春の腹にはきれいにおさまるのだろうけれど。
「特に詩絵、ちゃんと聞いてよね。あんたがふった男の話なんだから」
「そういう言い方されるとあんまり聞きたくない」
「だって事実じゃん」
ひかりには今、付き合っている人がいる。この関係になってまだ一年も経っていないけれど、彼のことは昔から知っていた。――相手はかつての同級生、浅井寛也なのだ。
彼が小学生の時からずっと詩絵に想いを寄せていたということを、詩絵は成人式の日に知ったのだった。
当時の彼には、ひかりではない、別の彼女がいたはずなのだが。喧嘩ばかりしていたという彼女が。
「結局その子とだめになったって話を、去年聞いたんだ。この近くにさ、バーあるでしょ。昼間喫茶店やってるとこ。あそこで偶然独り飲み同士が出会って、お互い昔話と近況報告をしたんだよ」
俺じゃやっぱり、だめだったよ。笹木も知ってると思うけど、いつもそうなんだ。せっかく加藤に励ましてもらったのにな。
そう言って浅井は笑っていた。泣きそうな顔で。本当はまだ詩絵が好きなんだろうなと、ひかりは思っていた。中学生の時に、詩絵と仲が良くて男女の別なく接することができる人物として、彼の恋の相談相手に選ばれた。そのときから、こいつは一途だな、という感想を抱いていた。
「それなのに、だよ。あたしが酔っぱらって、過去の恋愛なんか忘れてあたしと付き合っちゃえよ、なんて言ったのを真に受けて、よろしくお願いしますって頭下げるの。……だからね、付き合ってるというか、あたしはきっと詩絵の代わりなんだろうなって思ってる」
「そんなことないよ、笹。だって一年近く付き合ってるんでしょ? 浅井は笹のこと大事にしてるんだよね?」
「優しいよ。気が利くし、あたしが仕事で忙しい時は珍しいお菓子とか買って送ってくれる。連休には出かけたり泊まったりしてる。そういうことを、本当は詩絵としたかったんだろうなって、あたしが勝手に思ってるだけ」
詩絵は悪くないよ、と言いながら、気付かなかった罪はある、ともひかりは言っている。苦い顔をする詩絵に、春がフライドポテトを差し出した。
「気づいてたとしても、詩絵ちゃんにその気がないなら仕方ないじゃない。ひかりちゃん、浅井君にもびしっと言ってあげた方がいいよ」
「ひかりちゃんも卑屈になってない? 詩絵ちゃんのこと意識しすぎてる気がする」
千花の言葉を、ひかりは否定しない。そうだねえ、とガパオライスの皿を引き寄せ、全員に取り分け始めた。最近人気があるというから頼んでみたが、食べるのは初めてだ。
「あたしは詩絵の友達で、同時にライバルだと思ってる。自分と同じくらい運動ができて、成績も昔からどっこいどっこいで、対等に話せる人間。意識はしてるよ。詩絵はそうじゃないかもしれないけど」
「アタシだって、笹には負けたくないっていつも思ってたよ」
「でも詩絵のそれは昔の話でしょ。土俵が違えば意識しなくなるって、詩絵の得意な考え方だったよね」
あたしは今もなんだよ。皿を配り終えて、ビールを思い切り飲むひかりを、詩絵は眉を寄せて見ていた。一触即発? いや、これは大丈夫なパターンだ。
……と、まあこんな感じに吐き出したわけだけど。浅井とはうまくやってるよ。あんな良い人ふるなんて、詩絵ってば贅沢ー」
「なんだよー、だってアタシのこと女子として見てる男子がいるなんて思わなかったんだよ。中学の時なんか特にそう。今だってよくわかんないし」
口をとがらせた詩絵に、ひかりは声をあげて笑った。嘘だー、と。
「だって気になる人いるんでしょ? 気にされてるの知ってるんでしょ? 春や千花から聞いてるよ、礼大の彼のこと」
じとり、と睨むと、春と千花はにやにや笑っていた。この二人は彼のことをよく知っている。長期の休みには詩絵の実家であるパン屋のバイトに来る、この近所の大学に通う彼。どうも初めて会ったときから詩絵のことが好きらしく、次第にそれを露骨に出すようになってきたので、いいかげん気づかないふりをするわけにいかなくなってきた。
そして多分、互いに大学四年である今年が、区切りになる。
「松木君は今年もバイト来てくれてるんでしょ」
「うん、すっかりうちの婿さんみたいな扱いになってる。違うってのに」
「でも詩絵ちゃん、まんざらでもないんだよね」
……まあ、最近は、ちょっと」
実家や親戚と折り合いが良くないとかで、長期休みも帰省しない彼には、詩絵がこの町に戻ってきたときに会える。顔を合わせると嬉しそうに「詩絵さん」と声をかけてくる、どこか大人しい大型犬を思わせるようなその人が、詩絵はたぶん好きだ。恋愛だとかそういう以前に、人間としていいなと思う。
「松木君は結構頑張ってるんだけど、告白するまでいかないんだよね。……私二杯目いこうかな。千花ちゃんも何か飲む?」
「あ、じゃあ私は杏子酒ロック。詩絵ちゃんから不意打ちで告白したらどうかなって思うんだけど」
「だから、アタシは気持ちがそこまでかたまってないんだって。それじゃ松木君に失礼でしょ。アタシも二杯目頼んで、ファジーネーブル」
「詩絵、カクテルばっかりだよね。飲めないわけじゃないのに。あたし三杯目、ウーロンハイお願い」
「はいはいっと。私は芋焼酎にしよう。でもまあ、そんなに待たなくても、今年は松木君から何かあるだろうなって思ってるよ。夏祭りの花火のときとか」
「あの時間に成立するカップル多いよね。春ちゃん、鶏の味噌漬け分けて」
彼氏持ち三人に押されて、詩絵はさほど飲んでいないのにダウンしそうな心地だった。今日の飲み会は詩絵弄りの会だったのか。なんて厄介な。
「春、手羽餃子一個寄こしなさいよ。せっかくの女子会なのに、みんなでアタシを攻撃して……
「ごめんって。詩絵ちゃんとも恋バナしたかったの。一個といわず二個持っていっていいから」
「恋バナで済むならまだいいんだよ、詩絵。みんな働くようになって、結婚とかもしたら、そのうち仕事や家庭の愚痴ばっかりになるんだから。今のうちだけだって」
「今のうちだけ、か。でも私は聞きたいな。恋バナだけじゃなくて、その先も、ずっと」
無事ならば、まだまだ人生は長いはず。ときどきこうやって集まって、話ができるなら、それはきっと幸せなこと。
また一緒にテーブルを、美味しい料理とお酒を囲もう。それぞれの話を持ち寄って。
「詩絵ちゃん、松木君と進展あったらすぐ教えてね」
「まだ言うか。……言うけどさ」
どうやらその日は、まもなくすぐに。