我らがクラス担任井藤幸介は、美味いものが好きだ。
「今日は十五夜だ。月見だ。月見といえば? はい、加藤!」
「うちの月見お好み焼きパン買ってよ、井藤ちゃん」
「うわ、宣伝か……帰りに買って帰るからキープしといてほしいな」
ほらね、食べる気マンマンでしょ。
けれどもどうやら、井藤ちゃんは別のことを伝えたかったらしい。
「月見といえば、俺の田舎では栗ご飯にふかし芋、それからやっぱり月見団子だったな」
結局食べ物だったけど。
井藤ちゃんは小さい頃からものすごくおばあちゃんっ子で、くっついて台所へ入っては料理を習ってきたのだとか。しかもその腕前はたしかなようで、よくおすそわけをもらうという服部さん(他クラス担任)も「あいつの作る煮物は本当に美味い」と褒めていた。
「井藤ちゃん。今言ったの作って、クラス全員に振舞ってよ」
「材料費いくらかかると思ってるんだ。あと手間」
そんなこと言って。服部さんから聞いて知ってるんだからね。住んでるアパートの人には、それ全部作っておすそわけするつもりだってこと。
いつかアタシたち生徒にも、美味しいご飯を食べさせてほしいものだ。

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学校帰りに和菓子店「御仁屋」に寄って、月見団子を買った。今日はこれを持参して、進道家に泊まることになっている。
あたりはすっかり日が落ちて、本日の主役がぽっかりと空に浮かんでいる。しばし眺めてから、やはり縁側に座って見るのが風流だなと思い、目的地を目指して歩いた。
予定通りにことが運べば、この道はこれから向かう家のものと一緒に歩いていたはずだった。ところが今日になって剣道部は練習中止、逆に俺が所属する弓道部は長引いてしまった。今頃、彼は自宅で月見の準備をしているだろう。
慣れた道を歩いていくと、相変わらず大きく構えている屋敷に辿り着く。門をくぐって、呼び鈴を鳴らすと、彼はすぐに出てきた。
「連さん、待ってましたよ! さあ、どうぞ」
「遅くなってすまなかったな、海。これは差し入れだ」
俺が袋を差し出すと、海は「あ」と声をあげた。それからいつものようにへらりと笑った。
「俺も買ってきちゃったんですよ、月見団子。気が合いますね」
……そうか。食べきれるだろうか」
「万が一のときは、近所に住んでる後輩でも呼びます」
このあと結局団子を食べきることができずに人を呼んだのだが、これまた土産を持参してきたために、消費には数日かかった。
それにしても、縁側から見た月はきれいだった。

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十五夜の晩は鬼も賑わう。ここぞとばかりに食えや飲めや歌えやで、神社の境内は大騒ぎだ。もちろん人間には見えないのだけれど。
そんな光景を眺めている私は、人鬼である。人の魂が鬼になろうとしている、中途半端な状態だ。都合の悪いことに、この状態では人間の食べ物を飲み食いすることができないのであった。
「美和、退屈そうだな」
なりは幼女だが長生きな、私の一番の仲良しが言った。この子はれっきとした鬼なので、さっきから満月のようにまんまるな塩せんべいを頬張っている。羨ましいったらありゃしない。
「騒ぎを見ているだけでも面白いから、退屈ではないけれど。せめてお酒くらい飲めたらな、とは思ってるよ」
「未成年が何を言う」
「鬼に未成年とか関係あるの? ……まあ、そうなんだけどさ。生きてれば私は十八歳の女子高生……
それでもって、家族とのんびりお月見なんかしちゃってたんだろうか。幼い頃は月に兎がいるんだと本気で思ってたとか、笑い話をしながら。
「今からでも、家に行ってみたらどうだ?」
「ううん……後にする。たぶんここが、一番見晴らしのいい場所だと思うし」
私には、家族と触れ合って会話をすることができない。唯一私の存在を認めてくれる弟も、来年にはこの町からいなくなってしまう。だから、鬼としての生活に慣れないと。この賑やかさに早く加わりたいと願わなければ。
「私はな、美和」
一番の仲良しはちょこりと座って、月を見上げる。
「月がきれいに見えるのは、楽しいからだと思うぞ。美和にとって一番月がきれいに見える場所に行ったほうが、いいのではないか?」
なるほど、……意地を張るなと。素直になれというのか。
まったく、百五十年生きた鬼には敵わない。
「仕方ないなあ、そこまで言うならいってくる。愚弟はきっと家じゃなくて、幼馴染のところにいるだろうけど」
賑やかな輪から離れ、私は私の望む和へ。そうだね、こんなに素晴らしい月夜だもの。楽しまなくちゃ、もったいない。
大好きな人たちとの思い出を作りにいこう。