大学の春休みは長く、しかしながらぼんやりしていればあっという間に終わってしまう。二月の終わりから三月の下旬まで礼陣に帰ってきていて、すっかり慣れた須藤家に入り浸っていたら、いつのまにか一旦独り暮らしをしている大城市のアパートに戻らなくてはならない日が迫っていた。
とはいえ県内なので、履修登録とガイダンスだけを済ませたら、またすぐに帰っては来られるのだけれど。いや、だからこそのんびりしてしまうのか。とにかく今日も新は、須藤家の居間で寛いでいた。一応は、礼陣とその周辺の企業の情報など眺めながら。就職活動開始の時期が近いのだ。
今年は情報公開から募集、採用までの期間が最短という情報もあって、学生も企業もすでに活動解禁に向けて準備を進めている。新の狙いは礼陣に帰って来ることで、それはこの家の主であり新の恋人である、春と一緒に暮らすためだった。春が町を出ることは、まずない。
ところで当の春はというと、留守を新に任せて出かけている。先ほど煮物を仕込もうとして、「醤油買ってくるの忘れてた!」と叫び、財布とエコバッグを引っ掴んで飛び出していった。もう一人の家主、春の祖父は、出来上がった工芸品を納品しに行っているので、その前からいない。一人で残ってもらっても何の問題もないと、すっかり信用されている新なのだった。
とはいえやはり一人だと手持無沙汰なので、資料を座卓に広げているという状態である。とりあえず、中央地区と南原地区に会社が集中していることと、礼陣にあるその多くが地方営業所や支店、あるいは個人経営の規模の大きくないものであることはわかった。それなりの収入を得たいなら、礼陣にはない本社から攻めるべきだろう。
考えているうちに、ふあ、と欠伸が漏れた。花の咲く時期が近い、この季節の日差しはなんとも気持ちが良い。若干冬の寒さを残しているところが、またちょうどいいのだ。春が帰ってくるまで少し昼寝でもしようか、と座卓の上に組んだ腕に顔をうずめようとした、まさにそのときだった。
玄関の引き戸が、がらりと無遠慮に開く音がした。それを追うように、「ただいま」の声。だが、それは春でも祖父でもないようだ。新が聞いたことのない声と、靴を脱いであがりこみ、廊下を歩いてくる足音。突然のことに動けずにいた新の前に、その人は大荷物とともに姿を現した。
「ん、あんた誰だい?」
怪訝な顔をする年配の女性に、新は思った。そっちこそ、誰だ。けれども言葉にならなかった。口をぱくぱくさせているあいだに、女性は合点がいったというように握った右手で左の手のひらをぽんと叩く。
「ああ、そうか。春の彼氏だね。実物は随分と男前だこと」
にやりと笑った女性に、いたずらを思いついたときの春の企み顔が重なった。
新がとりあえず茶を出すと、女性は荷物をほどきながら言った。
「客なのに悪いねえ。というか、かなりこの家に通ってるね? 勝手知ったるなんとやら、じゃないか」
「……ときどき、春の台所仕事を手伝ったりするので」
緊張しながら、座卓を挟んで女性の向かいに座り、新は広げていた資料を片付けた。すると空いた場所に、女性が苺のパックを無造作に置く。それから新に向き直り、どこか不敵に微笑んだ。
「あらためて、はじめまして。血縁上は春の祖母、ということになるかね」
それはさっきも聞いた。新が「誰ですか」と絞り出した問いに、彼女は「この家の婆だよ」と返事をしたのだ。――春には祖母もいないものかと思っていたので、新は今、とても驚いている。春の両親は事故で他界したと、中学生の時に聞いていたが、祖母についてはこれまで一度も話題にならなかった。そういえばいなかったなと、さっきようやく思い至ったところだ。
「はじめまして。入江新と申します」
なんとか名前を告げると、春の祖母だというその人は、頷きながら「知ってるよ」と言った。
「春から写真付きでいろいろ報告があるからね。いないあいだの事情も少しはわかる。……本来なら、いない、なんて状態がおかしいんだろうけど、私は動かずにはいられない性分でね。いろんなところを旅しては、ときどきこの家に帰って来るような暮らしをしているのさ。あの子の祖母としては失格だって自覚はまあ、あるよ」
「そうだったんですか……」
どうやらこの人は、自由奔放という言葉だけでは足りないくらい、自分の本能に忠実な人らしい。よくよく聞いてみれば、実はもうこの家の人間でもないという。春の父が中学生になる前に、離婚しているのだそうだ。しかし、よく初対面の若造にこうも事情を話せるものである。
そう考えていたのを見抜かれたのか、祖母はにやりと笑って継いだ。
「あんたはどうせ、春の婿さんになるんだろう。知っていたほうが、あとで驚かずに済むじゃないか」
「今、この瞬間、とても驚いてますけど」
思わず正直に答えると、祖母は「だろうねえ」と豪快に笑った。それから茶を啜って、「ぬるいね」と呟いた。
「もう大学の……四年になるんだろう。春との付き合いも短くないんだから、この家の事情をいくらかは知っておいてもいいと思うね。春もじいさんも、気が向かないと喋らないだろうけど」
「そうですね。ご両親が亡くなったことは知ってましたけど、それだけでした」
「親がいないことくらいは、この町ではなんでもないことだからね」
そうなのだ。礼陣の町には、親のいない子供が少なくない。そういう子供は鬼の子と呼ばれて、町全体でサポートするための基盤がある。春も町が給付する奨学金などを利用して学校に通っているし、それ以外の生活も近所との付き合いを密にすることで補っている。だから自由業の祖父と二人暮らしでもやっていけるのだ。
「なんでもないことだけれど、当然苦労はある。それを助けてやらなかった辺りは、私はあの子の祖母として失格だし、あの子の父親の母としてもだめだ。鬼に喰われないのが不思議なくらいさ」
「それ、子供を大事にしない大人に使われる言い回しですよね。鬼に喰われる。……春は不幸そうでも寂しそうでもないので、いいんじゃないでしょうか。もちろん、おばあさんが不必要って意味ではなく」
「そうかねえ」
祖母は目を伏せ、すっかり冷めた茶を律儀に飲んだ。それからおもむろに苺をとって、新にも勧めた。されるがままに食べた苺は、どこのものなのか、程よく甘酸っぱかった。
一つ食べ終わったところで、祖母は新にまた不敵な笑みを向けた。
「ところであんた、春に心底惚れてるらしいね。あの子のどこを好きになったんだい」
「笑顔に一目惚れしました。それから、優しくてしっかりもので、手先が器用なこととか知って、もっと好きになりました」
これくらいのことなら、新は照れずに言える。当たり前のことだからだ。祖母は感心したようだった。それが新の態度になのか、返答の内容になのかは、よくわからなかったが。追究する前に、玄関が再び開けられたのだ。
「ただいまー。……あれ? もしかしておばあちゃん来てる?」
廊下を駆けて居間に入ってきた春は、手にエコバッグを下げたまま目を見開いた。祖母はそんな春に、「久しぶり」と手を振る。
「彼氏に留守を任せるなんて、大したもんだね」
「おかえり、おばあちゃん! もう、事前に言ってくれればっていつも言ってるのに」
「私がそんな性格じゃないってことは知ってるだろう」
「そうだけど……。新、おばあちゃんの相手するの大変じゃなかった? いつも突然来てすぐ帰る人だから、なんとなく教えそびれちゃって」
「うん、おばあさんから聞いた。あと苺もいただいてる」
新がパックを差し出すと、春は苺を一つ摘んで、へたをとって口に放り込んだ。美味しいものを食べたときの幸せそうな笑顔になると、いつもそうしているように、新の隣に座る。
「ええと、私のおばあちゃん。おじいちゃんとは離婚してるけど、ときどき帰ってくるの。年に二回くらいかな」
「それもおばあさんから聞いたよ。面白い人だな」
「そうでしょ。私の自慢のおばあちゃんなんだよ」
嬉しそうに胸を張る春と、嬉しそうに微笑む祖母。こうして二人揃えば、やはりどこか似ている。春は母似で、祖母は父方というから、そっくりというわけではないのだけれど。――そういえば、父方はこれでわかったが、母方の祖父母はどうしているのだろう。ふと湧いた疑問を、新はそのまま口にした。
「そういえば、もう片方のおじいさんとおばあさんは? こちらは父方だろ?」
「あ……それは、ね」
すると春は、あまり見ない表情をした。困ったような、戸惑うような。答えあぐねるような質問だったのかと思って取り消そうとした新を、しかし祖母が制した。
「春、この際だから全部説明しちまおう。いつかは知れることだよ」
「そう、だね。……あとで困るよりは、今説明した方がいいのかもね」
今ならおばあちゃんもいるし、心強いや。そう呟いて、春は新に向き直った。唇が少し震えている。言いにくいなら無理しなくていいのに、と思ったが、言葉が来るのが早かった。
「母方の……神崎の家のおじいちゃんとおばあちゃんは、何の報せもないからたぶん元気なんだと思う。はっきりしないのは、向こうがあんまりうちと連絡をとりたがらないからなんだ」
「どうして……」
「折り合いが良くないから。お父さんとお母さんの事故以来、ずっと」
それは春ができる限りの説明で、たしかにこのままいけばいずれ新も知ることになったであろうことではあった。
春の両親は飛行機事故で命を落としている。春がまだ四歳の頃で、両親も若かった。二人とも初めての海外旅行だったそうで、春はまた今度一緒に行こうね、と祖父に預けられた。そうやって羽を伸ばしてきたらどうかと、勧めて手配したのは、春の祖父母だった。
特に旅行慣れしている――というよりそのときにまさに旅の真っ只中だった――祖母の立てた計画は、完璧なものだった。帰りに悲劇が起きなければ。
速報で事故の情報がもたらされてすぐに、母方の実家である神崎家から電話があった。もともと娘を大事にしていて、手放すのも惜しんでいたその人たちの困惑は激しく、追ってやってきた悲しみは深かった。詳細が明らかになり、誰も生き残れなかったと知ると、娘を死なせたのは須藤家の人間だと詰ったという。春の目の前で繰り広げられたその場面は、昔のことなのに、夢に見ることもあるそうだ。
「誰のせいでもないんだけど、誰かのせいにしないとやってられないことだってあるよね。そうでもしなきゃ、悲しくて壊れそうだったのかも」
俯いたまま語る春が見ているのは、それ以来会ってはいない、当時の神崎夫妻なのだろうか。事故のあと、一年ほどは春を引き取るとも言っていた彼らは、しかしこの町に来ようとはしなかった。結局春がこの家に留まったのは、神崎夫妻を「怖い」と思ってしまったからでもある。彼らのところへ行くより、祖父と二人で暮らしていたかった。
「そのまま今まできちゃった。おじいちゃんは、神崎さんと何回か話したみたいなんだけど……いつもうまくいかないらしいんだよね。いつか、もしかしたら、新にも迷惑かけちゃうことがあるかもしれない。だから本当は、私がちゃんと話さなくちゃいけないんだよね」
「そんなの……」
春が気にすることじゃない、と新は思う。幼くして両親をいっぺんに失い、その上親戚同士の諍いまで見てしまった。怖がって、傷ついて、当然だ。大人たちのために、春がわざわざ骨を折らなければならないという道理はない。
でも、それを口にすることはできなかった。そうするより先に、春が立ち上がり、笑顔を作った。
「母方はそんな感じかな。とにかく私がもっとしっかりして、新には迷惑かけないようにするから。あーあ、話してすっきりしたらお腹空いちゃった。ご飯作ってる途中だったし、さっさとやっちゃうね。新とおばあちゃんは引き続き楽しいお話をどうぞ」
早口に言って台所へ向かう春は、ちっともすっきりしたようには見えない。やっぱり聞かないほうが良かった。浮かんだ疑問は慎重に考えてから口にすべきだったし、話を促した春の祖母を止めるべきだった。だいたいにしてこの人は、どうして孫にこんなつらい話をさせたのだろう。
「……たしかにいつかは知るかもですけど。でも、春に言わせる必要はあったんですか?」
声を潜めて祖母に問う。だが、それに対する答えはなかった。
「神崎の家が娘を嫁がせたくなかったのは、そもそも私のせいさ。智貴は私の勝手で片親育ちになって、勝手な母親はこのありさまだからね。それでも千秋さんが、大切に育てられたお嬢さんが親の反対を押し切って須藤の家に来てくれた。向こうからすれば、愛娘をとられたも同然だ。生きていればまだいいが、命まで奪われ、その血を受け継いだ孫も来ない。そりゃあ恨んで当たり前だよ」
全く見当違いな言葉に、新は眉を顰める。
「オレはそんなことを聞きたいんじゃないです」
「わかってるよ。……こうやってあの子に嫌われるようなことでもしないと、あの子は愚痴の一つも言わないじゃないか」
「こんなことしても言いませんよ、春は。また背負い込むだけです」
愚痴を言いたいのはあなたのほうじゃないか、と言うのを寸前で飲み込んで、新は立ち上がる。春が、春の祖父が許していても、自分はこの勝手な祖母を許容できそうにはない。この人は家にいないから、春のことがちゃんと見えていないのだ、きっと。
自覚しているとは言ったが、この人は自分の行いを、反省してはいない。この祖母と、そしてよりによって子供の前でその育て親を詰ったという神崎夫妻がいて、よく春がまともに育ったものだ。――いや、多少は歪んでしまっているのだろう。自分が何とかしなくてはならないと、思いこむ方向に。思えば以前からそういう節はあったのだ。
でも春は、祖母を、そして神崎夫妻すらも、怖いと思っても嫌いにはならない。それをわかっているから、余計に歯痒い。
「あんたは春のことをわかってるんだね」
「いくらかはわかってるつもりです。あなたが年に二回くらいしか帰らないなら、一緒に過ごした時間はたぶん、オレのほうが長いです」
「そりゃあそうだ」
ふ、と祖母が笑った。なぜここで笑う、と新は睨む。だが、その人は全く怯まなかった。
「春は良い婿さんを選んだね」
ただしみじみと言って、すっと立ち上がると、スーツケースだけを抱えて玄関へ向かった。
「おばあちゃん!」
黙って外に出ようとしていた祖母を、春が叫んで呼び止める。振り返った祖母は、相変わらずの不敵な笑みを浮かべていた。
「婿さんがいるなら、邪魔しちゃいけない。そろそろ行くよ。居間に土産は置いといたから」
「どうして? 私、新のこと、おばあちゃんにちゃんと紹介したいよ。だいたい帰ってきて、まだ何時間も経ってないじゃない」
「話してみて十分わかったよ。良い子だ。安心して春のことを任せられる」
「わかってない!」
新はこの家族のことを、正確に知っているわけではない。春の祖母には初めて会ったし、断片的な話しか聞いていない。けれども春の剣幕を、それに対する祖母の表情を見て、想像はできた。春はきっと、今まで祖母を引き留めるようなことはしなかったのだろう。幼い頃ならまだしも、いくらか成長してからは、それが祖母の人生なのだと受け入れて見送ってきたに違いなかった。
「……新が良い人なのは、誰だってすぐわかるよ。でもおばあちゃんには、もっともっと知ってもらわなきゃ。私が好きになった人がどういう人なのか、私が何を思っているのか、……私が神崎さんと何を話したいかとかも、聞いてもらわなきゃ困るよ」
互いにどこか諦めていた部分があったのかもしれない。だから春は我儘を言わず、祖母はそれに甘えて旅に逃げた。けれどもいつまでもそのままでいいのか、春はずっと考えていたのだろう。いや、祖母も考えなかったわけではない。だから春にわざとつらい思い出を語らせ、新に支えさせるようにして、「任せる」ことにした。でもそれは春が選んだ答えとは違うものだった。
春はずっと祖母と話したくて、話しそびれていたことがたくさんあった。それなのに手を離されてしまうと、今日のことで感づいたのだろう。それまで胸に抱えているだけだった思いが、一気に噴き出したのだ。今言わなければ、だめだと。
「行かないで、とは言わないから。もう少しだけ、ここにいてよ。ここは、おばあちゃんの家なんだよ」
「……もう随分昔に出た家だ」
「でも帰ってきてくれた。お父さんが子供の頃だって、お母さんがお嫁に来たときだって、私が生まれた日だって、……お父さんとお母さんがいなくなってしまったあのときも、急いで駆けつけてくれたよね」
自分一人の旅に出ても、いつも夫や子供、孫のことを気にかけていた。だからあんなにたくさんの土産を持って、帰ってきた。家に何かあったら、どこからでも飛んできた。そうでなければ、春がこの人のことを、親しみと愛情を込めて「おばあちゃん」と呼ぶはずもない。
「ご飯、食べていってよ。お風呂も布団も用意する。私はおばあちゃんと、もっと顔を見て話がしたい。新のことだけじゃなくて、たくさん、いろいろ」
大切なのは時間の長さより、中身の濃さじゃないかな。というのはいつか春が、「一緒に過ごす時間が短い」と嘆いた新に言ったことだけれど。あれは自分自身にも言い聞かせていたのだ。そうでありたいと、春が願ったことなのだ。
両親と、祖母と、一緒にいる時間が短かった女の子の、ささやかな。
そしてそれがわからないほど、祖母も愚かではなかった。
「愚痴の一つも言わない、なんて言ったけど。それは間違いだったね。私があんたに向き合わないだけだったと、認めるよ」
笑みを柔らかくして、スーツケースを三和土に置いた手を、そのまま春の頬へと伸ばして。祖母は「ごめんね」と口にした。
「ごめんね、春。あんたの話をちゃんと聞かずに、知らんふりをして」
春は頷いて、祖母の手をとり、自分のほうへと引いた。
春の祖父が帰宅したのは、それからまもなくのことだった。祖母を見ても驚かず、ただ「おかえり」と言って、土産を整理し始めた。いつもどおり、なのだろう。祖母も「ただいま」と返していた。
そして新も、「夕飯を食べていけ」から「泊まっていけ」に変わる毎度の言葉に甘えさせてもらって、一家の団欒に加わっていた。春はいつも以上にお喋りで、祖母の旅の話もなかなか面白く、居間はずっと賑やかだった。
「おばあちゃん、お風呂一緒に入ろうよ。背中流すよ」
「そうかい。じゃあお願いしようかね」
春と祖母が居間を離れ、残った祖父が「やれやれ」と息を吐いた。
「新、びっくりしただろう」
「そりゃあもう。すごいおばあさんですね」
「あいつをしばらく家に留め置いたってだけでも、自慢なんだよ」
そんなふうに言える祖父だから、祖母がこの家に来たのだろう。この人にはかなわないな、と新は改めて思う。
「ちょっと、というかだいぶ、偉そうなこと言っちゃったんです。おばあさんにはおばあさんの考えがあっただろうに」
「言ってやれ。こっちが言わなきゃ本音を話さないのは、春にも遺伝してるらしい。新がいてくれて助かった」
これからもよろしくな、と祖父が言う。こちらこそ、と新も返す。きっとこれから長い付き合いになるのだ。新もこの家で、祖母の帰りを待つことになるだろうから。――そこに至るまでも、クリアしなければならない問題がまだまだあるのだが。
「苦労をかける」
「春と一緒にいるための苦労なら、いくらでも」
全ての問題に対する新の姿勢は、とうに決まっている。風呂場から聞こえてくる笑い声を、その幸せそうな響きを守るためなら、どんなことだってする。その考えが新の我儘なのだと、理解しながら。