このあたりの子供は、学区や学年に関係なく知り合いであることが多い。だから、高校で顔を合わせたところで改めて自己紹介する必要はほとんどない。
ただし、町の外から来た人は別だ。この礼陣高校は部活動が盛んで、そのために隣町から来る学生もちらほらいる。そういった者のために、初日の自己紹介コーナーがあるといっても過言ではない。
「それでは、出席番号一番から自己紹介をしてもらおうか。安納、頼む」
聞いておくのは、名前を知らない人やあったことのない人でいい。それまではぼんやりしていても問題ないだろう。自分の番が来た時は別だが。
「里隆良でっす！　野球部入って甲子園目指します！　気軽にサトちゃんって呼んでねー」
前の席に座っている、小学生からの腐れ縁がバカ丸出しで自己紹介を終えた。サトはニュースや噂に明るいが、それをとったら野球しか残らない。いや、残るだけマシか。
俺は振り返ったサトに呆れ顔を向けてから、立った。一応外面は良くしておくかと思いながら。
「進道海です。字面が北海道みたいなので、よく二度見されます」
周りから笑い声があがる。俺の鉄板ネタだから、聞き飽きた奴もいるだろうに。
サトまで笑っていた。こいつが一番聞いてるはずなのに、まだ笑えるのか。相変わらず不思議な奴だ。
気を取り直して、もう一言。
「家は剣道の心道館なので、知ってる人も多いと思います。高校でも剣道やるので、宜しくお願いします」
二言になってしまった。まあいいか。
いつもどおりの自己紹介を終えて、俺は再び席に着いた。
それからは暫く知っている名前が続く。なにしろうちは町で有名な道場だ、門下生も多ければその友人なども多い。
だから、その名前が聞こえたときはすぐにわかった。彼が礼陣の人間ではないということが。
「森谷連です」
この町では聞いたことがないけれど、見たことのある名前。彼は俺より後ろに座っていたので、振り返ってその顔を見てみた。
間違いない。俺は彼を知っている。おそらくは、一方的に。
「御旗から来ました。まだ礼陣のことはよく知らないので、教えてもらえると嬉しいです」
そう、隣町である御旗の、東中卒業だ。そして御旗町にある弓道団体に入っていたはずだ。
全員の自己紹介が終わって休み時間になった直後、俺は彼のところへ行った。
「森谷さん、弓道の全国大会に出てましたよね。雑誌で見ました」
初対面の人間への第一声としてはどうかと、あとになって思う。現に、彼はぽかんとしていた。
そんな彼に、俺はたたみかけた。とにかく、興奮していたのだ。
「こんなところで会えるなんて嬉しいです！　同い年なのに全国行って、好成績で、すごいなって思ってたんです！」
「そ、そうか……」
彼がやっとそれだけ言ったところで、俺は漸く自分の過ちに気づいた。憧れの人に会えて、かなり高揚していたようだ。
困らせてしまったな、どうしたらいいんだろうか、などと考えていると。
「何？　森谷君ってそんなにすごい人だったの？」
サトが割り込んできた。いや、多分俺たちを見て助けに入ったのだろう。長年の付き合いで、そういう奴だということは知っている。
「進道さ、道場の子だからそういう雑誌よく読んでるんだ。それで森谷君のこと見つけたんだろ？」
「ああ……隣町の同じ中学生だったから、印象に残ってて……」
「こいつ自分よりすごい奴見つけると喜んじゃうんだ。森谷君、仲良くしてやってよ」
「サト、うるさい」
うるさいけれど、救われた。俺も、彼も。
彼はこちらを見て微笑んでいた。
「進道と里は仲が良いのか」
「うん、仲良し」
「いや、ただの腐れ縁です」
「いいな、仲が良くて」
妙に気持ちのこもった声で、彼は言った。
この人は、友人と喧嘩別れでもしたのだろうか。そんなふうに聞こえた。
だったら、俺がこの人と友達になる。これからずっと、この人のそばにいよう。
「俺は森谷さんと仲良くしたいです。同じクラスですし、これから宜しくお願いします」
俺は彼に手を伸ばした。彼は驚いた顔をしたけれど、
「ああ、宜しく」
やわらかな笑顔で、俺の手をとってくれた。
「連さんって呼んでいいですか？」
「かまわない。ええと、……海、だったか」
「はい！」


連さんと話せた俺は浮かれていた。昼休みに廊下を走って、先輩に頭を叩かれる程度には。
「こら、海。危ないじゃないか」
「ごめんなさい、和人さん……」
和人さんは、うちの道場にいた先輩だ。俺は同じ高校でまた一緒に剣道をやるためにここに入学したといっても過言ではない。
この人は俺の知る限り、礼陣最強の剣士だ。幼い頃から俺の憧れだった。
「何かいいことあった？」
「はい。実は、弓道の森谷連さんと同じクラスで……」
「そうなんだ、良かったね。……同じクラスといえば、葛木莉那さんもそうじゃない？」
その和人さんが、女子の名前を言った。しかも、学年で評判の美少女と言われる彼女の名を。
「いますけど、知ってるんですか？」
「うん。中学で、生徒会役員だったから」
和人さんは中学高校と生徒会役員を務めている。それで例の女子のことも知っていたらしい。
「よく動いてくれる子だったから、また生徒会やらないかなって思ってたんだ。良かったら、声かけといてよ」
「俺がですか？」
「同じクラスなんでしょ？」
この有無を言わせない笑顔。礼陣最強の名の由来は、ただ剣道が強いからというだけではない。
さっきまでのテンションはどこへやら、俺は渋々と教室に戻った。
葛木莉那は、他の女子とお喋りを楽しんでいた。
別に今話しかける必要はないか。そうして席についたとき。
「あ、進道君」
向こうから声をかけられた。
「何ですか？」
「特に用事があるってわけじゃないけど、ちょっとお話してみたくて」
彼女がにっこり笑うと、クラス中の男子がこちらに注目した……ように思えた。
サトなどは「進道ずるいぞ」などと騒ぎ出した。うるさい。
それにもかまわず、彼女は話し出した。
「心道館の息子さんなのよね。水無月先輩のことも知ってる？」
まるで、さっきの和人さんとのやりとりを聞いていたかのように。
和人さんはフルネームを水無月和人という。つまり、水無月先輩といえば和人さんのことなのだ。
「知ってますよ、俺たちの先輩ですから。さっき、葛木さんに生徒会に入ってほしいって言ってました」
「本当？　それじゃ、やっぱり立候補しようかな、生徒会……」
こうしてきちんと見てみると、確かに可愛い。隣の門市なんかを歩けば、モデルにスカウトされてもおかしくないんじゃないか。
そんな彼女に話しかけられたことは、周りから見れば僥倖なのだろう。

ここからゆるやかに、俺たちの高校生活は始まる。……はずだった。
数日後、この町はにわかに騒がしくなり、俺たちもそれに巻き込まれていく。
「昨日の夕方の殺人事件……」
「殺されたの、二組の日暮君のお母さんだって……」
飛び交う噂、町に現れたマスコミ。被害者の家族である、隣のクラスの男子。
波乱の一年が、幕を開けた。