高校はどこに行こうか、さんざん迷った末に選んだのは、姉とは違う進路だった。同じところに行ったって、「葛木莉那の妹」っていう扱いになるのだろうし、それなら「葛木玲那」として立場を確立できるほうが良い。……とは考えたものの、この町にいる以上は、葛木さんちの二人目という認識から逃れることはできないのだけれど。
礼陣の葛木三姉妹っていったら、美人で有名だもの、仕方ないよね。なんて自賛しながら、朝は姉とは別の方向へ自転車を走らせる。登校する姉をちらりと振り返れば、その横には隣の家に住んでいる、園邑さんちの千花ちゃんがいる。姉の一つ下、私の一つ上で、うちとは昔からの仲良しだ。
最近、ちょっと雰囲気変わったかな、と思う。もともと千花ちゃんは可愛かったけど、なんかきらきらしてる……みたいな? なんとなくその理由はわかっている。いつぞやの姉の様子とよく似ているのだ。
「千花ちゃんも好きな人とかいるのかー……
学校の駐輪場に自転車を停めて、ぽつりと呟く。今までそんな話は聞いたことがなかったけれど、彼氏ができて幸せそうな姉を見ていて、気がつくようになってしまった。
今夜、きっといつものように、千花ちゃんはうちに来る。千花ちゃんのお父さんは大きな会社のなかなか偉い人らしく、毎日朝早くに出かけて、夜遅くに帰ってくるのだ。そういうこともあって、千花ちゃんは昔から私たちの家に預けられている。高校生になった今では、千花ちゃんを夕食に呼ぶことが当たり前になってしまっている。
私たちはそれで楽しいからいいけれど、千花ちゃんはどう思ってるんだろう。ちょっとだけ気になりながらも、私たち一家は千花ちゃんを受け入れ続けていた。
ともかく、千花ちゃんが来たら訊いてみればいい。そうしよう。姉妹同然の私たちには、きっと教えてくれるはずだ。
さあ、急がないとチャイムが鳴ってしまう。優等生として、遅刻は許されない。せっかく北市女にいるんだから、お嬢様ごっこもそれなりに楽しまないとね。

姉は高校三年生、千花ちゃんが高校二年生、そして私が高校一年生。妹の実那は中学一年生で、私たちは四姉妹のように過ごしてきた。だけど近所での認識は、「葛木三姉妹と隣の千花ちゃん」で、外から見ると隔たりがあるらしい。よくわからないけど。
隔たりがあるとすれば年の続いていない実那だと思うのだけれど、それを口にするほど私は意地悪な姉ではない。というかそんなこと言ったら、姉に怒られる。
一緒に夕飯を食べて、今日あった出来事を笑いながら話し合って、後片付けを手伝ってから女子四人で姉の部屋に集まった。主に姉の彼氏の話など、父に聞かれると面倒な話をするときには、部屋にお菓子を持ち込んでお喋りの続きをする。
ポテトチップスの袋を開けながら(今日は私がじゃんけんで勝ったのでのりしお味だ)、まずは姉のお付き合いが順調かどうかを確認するところから始める。
「お姉ちゃん、常田さんとは何か進展あった?」
「玲那、それ毎日訊くよね。そう簡単に進展なんかないわよ。だいたい遠距離で何を進展させるの?」
姉が頬を膨らませる。この表情がわざとらしくないから、姉は非常によくモテるのだ。美人で頭が良くてスタイルが抜群な姉は、長らく町の男の子たちの高嶺の花だったのだけれど、去年の秋頃についに彼氏ができた。一つ年上で、どちらかといえば地味な人。でも町での立場が確立している人だから、このままいけば将来は安泰だ。今は隣県の大学の法学部にいるらしい。町を離れてしまったので、しばらく姉とは遠距離恋愛だ。
「おねーちゃん、追っかけないの? 本当に進路、北市女大でいいの?」
実那がそう言って首を傾げるのも、お決まりのパターンだ。高校卒業後の進路を町にある女子大に定めた姉に、この妹は疑問半分、安心半分で何度も確認する。
「だって、ここで待っていれば、在先輩が帰ってきてくれるもの。だからこっちにいたほうが都合がいいのよ」
「本当に本当?」
姉が寂しい思いをするのも、自分が寂しいのも、妹は嫌なのだ。末っ子は甘えん坊で、でも可愛い。私も姉も、そして千花ちゃんも、この子のことは甘やかしっぱなしだ。
「本当に本当。だからこの話はもういいでしょ」
「あ、じゃあさじゃあさ、話題変えるね。千花ちゃん、最近良いことあった?」
「良いこと? ……うーん、そうだなあ。ちょっとだけお料理ができるようになってきたかな」
話を千花ちゃんにふると、にこにこしながらそんな答えが返ってきた。……うん、お料理? 千花ちゃん、料理は苦手じゃなかったっけ。私たちと一緒にお菓子を作ったりするときも、千花ちゃんは意外なほどの不器用さと斜め上の発想力で、台所の平和を脅かしていた。
「でも本当にちょっとだけ。ご飯を炊いて、お味噌汁を作って、お魚を焼くくらい。……お魚はだいたい焦がすし、お味噌汁も噴きこぼしたりするから、できるとも言わないかも……
なるほど、料理をするようになってきたってことか。でも、そのきっかけってなんだろう。もしやそこに、千花ちゃんの恋のヒントがあるのかも?
「でもさ、やろうと思ったんでしょ? なんで?」
「それは……さすがにできなきゃまずいかなって思い始めて。詩絵ちゃんや春ちゃんにいつまでも呆れられるのは申し訳ないし、一生このお家にお世話になるわけにもいかないじゃない」
「それはそうだけど。でも突然料理なんて、食べさせたい素敵な人がいるのかなーなんて思ったりして」
私がどんどん突っ込んでいくと、千花ちゃんはちょっとだけ顔を赤くした。そして「食べさせたいのはお父さんだけど」と、いかにも彼女らしいことを言ったあとで。
「できたのを、褒めてほしい人がいるんだ。私と似たような家庭環境なのに、何でもできて、もちろんお料理だって上手なの。その人に認めてほしいというか、できれば奇跡的に認識を改めさせられたら……なんて無謀なことを考えてみたりとかなんとか……
だんだん小さくなる声で、そう続けた。
好き、というか、憧れの人がいるのかな。そんな人、礼高にいたっけ? 姉なら何か知っているだろうかと思ってそちらに目をやると、これまた驚かされた。いつになく真剣な表情をして、千花ちゃんを見ていたのだ。
まさか、姉と千花ちゃんのあいだで変なバトルが勃発しているのでは。たとえば千花ちゃんが姉の彼氏に憧れちゃったりとか。……いや、話を聞く限り、そんな感じではなかったかな。似たような家庭環境とか言ってたし。
ただならぬ気配を感じ取ったのか、妹も少しオロオロし始めた。さてどうしたものか、と思ったとき。
「千花ちゃん、その条件に当てはまる人を、私は一人しか思いつかないんだけど。だって、春ちゃんではないでしょう」
……莉那さんのいう人で、合ってると思う」
姉が千花ちゃんを問い詰めるようにすると、千花ちゃんは困った顔をして頷いた。千花ちゃんが褒められたい人って、姉にとっての何なんだろう。それでなんで、千花ちゃんがそんな顔をしなくちゃいけないんだろう。
私と妹が戸惑っていると、姉はやっとそれを察して、取り繕うように笑った。
「なんでもないのよ。ただね、ちょっと心配になっただけだから。千花ちゃんが傷つくのは、みんな嫌でしょう?」
……
そんな言い方、姉らしくない。どうして千花ちゃんが傷つくの前提で話をするんだろう。だって千花ちゃん、さっきまで照れて笑ってたのに。そうなったらいいなって、希望を持ってたのに。姉はその希望を諦めさせるような人じゃないはずだ。
「わ、私、傷つかないです。あんまり近づきすぎると嫌われちゃうってわかってるし……
「ああ、そうじゃないの。千花ちゃんは悪くないのよ。あっちが変に女の子を遠ざけるのがいけないんだから」
女の子を遠ざける? そんな人に、千花ちゃんは憧れてるの? だんだんわけがわからなくなってきたぞ……。混乱してきた私に、千花ちゃんは困った顔のまま笑いかけた。
「玲那ちゃんと実那ちゃんを置いてけぼりにしちゃってごめんね。ええとね、私にはいいなって思う人がいるんだけど、その人、女の子が苦手なの。でも、私は年下で、その人にとっては妹みたいなものだから、女の子として見られていないから、今はある程度やりとりができるんだ。だから、そうだね、認識を改めさせたいっていうのはやっぱりなし。現状維持で、少しは仲良くできたらいいなって思ってるの。そういうことだから、気にしないでね」
気にしないでいいなら、現状維持で良いなら、なんでそんなに言い訳するの。なんでそんなに困った顔するの。……本当は千花ちゃん、その人のことが大好きで、もっと近くに行きたいって思ってるんじゃないの? だから苦手な料理だって、がんばってるんじゃないの? 何でもできるその人に見合うようになろうとして。
納得できずに姉を見る。姉はまだ難しそうな顔をしていた。……そんなに厄介な人なの、千花ちゃんが好きな人って。
「ね、ねえ、それなら千花ちゃんが、その人の苦手意識をなくしちゃえばいいんだよ」
重くなった雰囲気を、妹がなんとかしようとする。そうだよ、そうすれば全部丸く収まるじゃない。でも、姉は眉を寄せたまま溜息を吐いた。
「千花ちゃんは魅力的だけど、彼がああじゃね……。自分を好きになった子とか、自分と親しい人に恋愛感情を持って近づこうとした人を、突き放すような人だから。女の子に優しくないのよ」
まるで何かあったかのような物言いだ。もしかしていつぞやの姉の失恋に、その人は関わっていたりして。そんな姉の言葉に、千花ちゃんは慌てて首を振る。
「優しくないわけじゃなくて、その、うまく接することができなくなるんじゃないかと……。実際、妹って立場ならすごく優しくしてくれるし」
「そうねえ、千花ちゃんには優しいみたいよね。……不思議なんだけど」
あれ、千花ちゃんには優しいんだ。それ、本当に妹的な存在だからなのかな。向こうも千花ちゃんならって思ってたりしない?
私はその人のことをよく知らない。でも姉が珍しく良くない表現をするんだから、よほどの人なんだろう。それなのに千花ちゃんは、もうある程度近づけるんだ。それなら、大丈夫なんじゃないのかな。
姉が心配しているよりも、事態はいい方向に動くかもしれない。だったら千花ちゃんが諦める必要なんてない。
「女の子に優しくないっていうのは、お姉ちゃんの主観だよね。だったら、千花ちゃんはどう思うの? その人、千花ちゃんにはどうしてるの?」
縋りつくように尋ねると、千花ちゃんは、それから姉もちょっとびっくりしたような顔をした。それから千花ちゃんは、微笑んで言った。
……傘に入れてくれて、家まで送ってくれたよ。廊下で会ったら声をかけてくれる。料理のレシピも教えてくれた。優しい人だよ」
それってやっぱり、向こうも千花ちゃんに気があるんじゃないのかな。私はそんな希望を持ってしまう。姉が何と思っていようと、千花ちゃんならうまくいくんじゃないかって。
「そうね……千花ちゃんと、玲那までそう言うなら、私がちょっとうがった見方をしてるのかも。彼が基本的に人当たり良くて、大切なものは本当に大切にする人なのは私も知ってるし、うまくいけば……
頷きながら呟く姉に、千花ちゃんは「うまくいくかどうかはいいですから」と、でもちょっと嬉しそうにかぶせた。
私はうまくいくって信じる。だって、千花ちゃんが好きになった人だもの。千花ちゃんが好きになった人は、みんな千花ちゃんが好きになるんだよ。私がそうだから、自信もって言える。
応援してるよ、千花ちゃん。そしてうまくいったら、ちゃんとその人紹介してね。千花ちゃんは、私たちの姉妹なんだから。

千花ちゃんが好きになったのが心道館道場の息子だって知るのは、もう少し後のことだ。