初夏の水無月呉服店を訪れる客は、季節の着物を求め、あるいはその相談に来る者、学生服の夏服の予備を買いに立ち寄る学生などだ。あとは呉服店の主人や女将と話をするために立ち寄る、とくに何か用があるでもなくふらりとやってくる人間と、それから鬼たち。
美和は従業員よろしく、その全てに『いらっしゃいませ』と声をかける。だが、鬼はともかくとして、人間で返事をする者は一人もいない。それもそのはず、美和は人間にはけっして認識されることのない、人間の魂が鬼に転じようとする過程の中途半端な存在、人鬼なのだ。
頭には二本のつのがあり、瞳は赤く光っている。人間によく似た鬼が身につける白い着物も羽織っていて、傍目には鬼と遜色ないのだが、魂のあり方はまだそこに達していない。しかし半端な存在であることは、ときには功を奏することもあり、美和はその特性を存分に利用していた。
この礼陣の町には、人間と鬼の二種類の人が住む。それがこの町の「あたりまえ」。人間は鬼を見ることのできる者もできない者も揃って「鬼はいるもの」ととらえ、鬼は人間たちの生活を妨げないよう、基本的には姿を見せずに暮らしている。もっとも、姿を見られないようにしているというだけで、往来を堂々と歩いてはいるのだが。美和はそんな町に生まれ、一度死に、魂のかたちを変えてよみがえった。
美和だけではない。この町で死んだ人間は、全てとはいわないが、どうやら鬼となって新たな生を歩むらしい。そのことが、美和にはだんだんわかってきた。
死んだ人間で未練の強い者は、人鬼という段階を経て鬼に成る。美和や、知りあいとなった月音という鬼がそうだ。かつては人間だった月音は、恋という未練を残しながら幼くして死に、魂を転じることとなった。
また、人鬼を経ることなく、そのまま鬼に成った者もいる。そういった鬼は大抵の場合、とても強い力を持つようだ。町にある神社の関係者である根代家にいる根代鬼や、恐ろしいまでの呪いを持ちながら剣道場「心道館」の母屋の一室に封じられている葵鬼がこれにあたる。
そう、呪い鬼だ。強い恨みや憎しみ、悲しみ、怒りといった、いわゆる負の感情を暴走させて、他の鬼や人間に危害を加える鬼をそう呼ぶ。葵鬼は鬼と化した瞬間から、大きすぎる呪いを纏っていた。すなわち、この礼陣の町の全てを呪っていたのだ。
そこに至るにはもちろん原因があった。彼女が人間だった頃、人々は彼女の抱えていた悲しみから目を背け、放置し、そのまま溜め込ませていった。それが彼女を死後に最悪の呪い鬼へと変化させたのだ。その呪いの強さといったら、他の鬼を呪い鬼にしたうえで喰らうといった所業をやってのけたり、実父だったはずの人間を殺してしまったりということを実現してしまうほどだ。――このことには、さすがの美和も震えた。積極的に呪い鬼に会いに行くという奇特なことをしていても、恐ろしいものは恐ろしい。
だが美和は、それでもなお、葵鬼に会いに行くことを諦めてはいなかった。美和が彼女と話をしたいからであり、彼女が話したいことをまだ隠し持っていると感じていたからだ。
逢瀬はいつも夜中。人間も鬼も寝静まった頃に、美和は心道館から葵鬼が封じられている部屋へと忍び込む。

葵鬼が封じられている部屋には、小さな箪笥と伏せられた籠が一つあるだけだ。傍目にはそう見える。しかし見えるものには、葵鬼が発している呪いの黒煙が充満しているのがわかる。彼女はこの煙を器用に操り、封印の中で静かに呪いを蓄積させ続けている。――美和がいなければ、静かだ。
『また来たのね。性懲りもなく、学習能力もないのかしら』
襖に張った拒絶の意思を無理やり掻い潜ってきた美和に、この日は葵鬼から声がかかった。姿は煙の壁に隠して見せないが、距離は随分と縮まったのではないかと、美和は少し期待する。
『こんばんは。この性格だからさ、仕方ないと思って諦めてくださいよ』
笑って返すと、煙の向こうから呆れ果てたような溜息が聞こえた。
『諦めるのはそっちでしょう。……まったく、父親殺しの話をすれば、怯えて来なくなるかと思ったのに。怖がってたんじゃないの?』
今夜の葵は初っ端からなかなか饒舌だ。美和はこれを良い傾向と見て答える。
『怖かったよ。鬼の呪いで本当に人が殺せるんだって思ったら、すごく怖かった。巷に湧く呪い鬼も、下手をすれば誰かを殺してしまうかもしれないんだなって考えたら、しばらく震えが止まらなかったよ』
『じゃあ、どうしてここにまた来るの?』
『葵さんと話がしたいからです。呪いだとかそういうのは関係なくね。いや、ちょっとは関係あるかな』
また深い溜息がこちらに届く。葵はきっと美和を愚かだと思っているだろう。けれども美和からすれば、それくらい愚かでいたいのだ。そのほうが、葵が話をしやすいだろうから。
それから葵は黙ってしまったので、美和は用意してきた話を勝手に始めることにした。その場に座り込み、分厚い煙の壁に向かって一人で喋る。葵が何も反応しない限りは。それが自分たちの「始めかた」だ。
『呪い鬼のことは一旦置いておいて、鬼について考えてみたんだ。この町の鬼たちって、いったい何者なんだろうって』
そもそも美和は、自らの中に生じる疑問を解くために、葵に近づいた。葵のことが解れば鬼のことが解るかもしれないと思って臨んだことが、いつのまにやら葵のことを知りたいと思うようになっていた。けれども何の考えも代償もなく葵に向かい合っても何も引き出せないから、まずは美和から話をするのだ。そう勝手にルールを作った。
今宵の題目は「鬼とは何か」。――これから鬼に成るはずの美和が、ずっと考えていることである。
『人鬼ってシステムがあるところをみると、どうも人間が死んで鬼に成るみたいだよね。根代鬼や葵さんみたいに、人鬼にはならずに死後すぐに鬼に成るパターンもあるし。……そうしたら、ほかの鬼としての記憶しか持たない鬼は、どこからきたんだろう。どうやって生まれるものなんだろう。葵さんは知ってる?』
質問を投げかけて、しばらく待つ。何も返ってこなければ、話を続ける。この夜話会はそんなことの繰り返しだ。

さて、礼陣の鬼とはいったい何者なのだろうか。昔話によると、最初に鬼が現れたのはこの町がまだ里だった頃、人々が山里の民としてひっそり暮らしていた頃に遡るという。
当時、里の人々は天候不順による不作や渇水、山枯れに喘いでいた。さらには山の向こうから、この里を見つけた権力者の使いが来るという情報まで流れてきていた。このままではなすすべもなく、山向こうの人々の基準に従って生きる方法を選ばなくてはならなくなるだろうと思われていたその時、鬼はやってきたのだという。
頭に二本の立派なつのをもった、人間の姿によく似た鬼が現れて、里の人々の願いを聞いた。「せめて子供たちだけでも、この里で平和に暮らせるようにしてやってほしい」という懇願に、その鬼は頷いた。もう随分弱い子供らは死んでいて、大人すらも命を落としていた中で、人の親であり里をまとめる立場でもあった長が、必死で頼み込んだという話もある。
鬼が力をふるうと、涸れた川に水が満ち満ちた。立ち枯れていた山の木々はみるみるうちにしゃんとして葉を繁らせ、駄目かと思われた作物は豊かに実った。死の淵にいた子供たちも元気を取り戻し、大人たちも立ちあがって働けるようになった。そんな奇跡のような出来事を手伝ったのは、鬼によって魂を転じられて彼の眷属となった死者たちで、彼らには鬼と同じ二本のつのがあったという。
そうしてよみがえった里と人間たちは鬼に感謝し、彼を崇めるようになった。崇められた最初の鬼は「大鬼様」と呼ばれ、里が「礼陣」と呼ばれる町になった今日も、人間たちを見守り続けている。
それがこの町に古くから伝わり、今もなお語り継がれる伝説の一つだ。
もちろん美和も、大人たちが人間である美和の弟に話して聞かせているのを聞いたことがある、この町では誰もが知っている物語である。
『この昔話によると、大鬼様以外の鬼って、飢饉で死んだ人間が転じたものなのよね。つまり初めの鬼は元人間。私たちと同じ……というよりは、葵さんや根代鬼に近かったんじゃないかな』
身近なものほど忘れているものだ。灯台下暗しとはよく言ったもので、鬼の誕生についてのヒントはこんなに近くにあったのだった。
『大鬼様のする業を手伝えたんだから、それくらい力のあった人が鬼に成ったんだろうね。その当時の鬼ってまだいるのかなと思って、ちょっと訊いてきたんだけど、さすがにもういないんだって』
伝説を思い出した美和は、昼間のうちに活動している鬼たちに会い――具体的には、質問をすればすぐに答えてくれそうな録という鬼に会いに行ったら、他の鬼も色々と教えてくれた――鬼にも寿命があるらしいということを知った。人間よりも数倍は長く生きる鬼だが、いつのまにか消滅してしまうのだという。それこそが鬼の死だ。かつて大鬼様を手伝ったという鬼たちはすでにこの世界から消えていて、語り継がれるだけになっているのだと、鬼たちは口々に話してくれた。
『この町を囲む山の一つ、色野山っていうよね。しきのやま、には人間が色々な字をあててきたって教えてくれた鬼がいたの。大鬼様を手伝った主な四人の鬼からとって、四鬼の山あるいは支鬼の山っていう意味も込められたんだとか。今でも鬼の気配だけは残ってるって言ってたけど、私にはよくわからなかったな』
大鬼様が降り立ったばかりの頃は、里の全ての人が鬼を見ることができた。その奇跡を目にし、尊いものとした。救われた山にその名を与えるほどに、人間たちと鬼たちとの結びつきは強かった。鬼たちを祀る礼陣神社が建てられたのは、もっと後のことになる。そのことすらも、鬼たちのあいだでは言い伝えとなっていた。その現場にいた鬼は、もう生きてはいないのだ。――大鬼様以外は。
『長生きの鬼も、生まれたときにはもう神社があったって言ってた。そんな言い方をするから、鬼にも子供時代があるのかって訊いたら、鬼は生まれたときから今の姿なんだってさ。子鬼は子鬼のままだし、大きな鬼は最初から大きかった』
完全な鬼は鬼として生まれた瞬間にそのかたちが決まってしまう。そこから見た目が成長したり、変化したりすることはない。せいぜい興奮すると爪やつのが伸びるくらいだ。
しかし美和のような人鬼は違う。鬼に成るまでは人間と同じように成長する。現に美和の体は、子供から大人のそれへと年を経るごとに変化していた。人間である双子の弟とともに育ち、今では立派な女性である。たぶん、魂のかたちがまだきちんと定まっていないからだろうと、鬼たちは推測していた。
人鬼だった者も、鬼に成れば成長はそこで止まる。月音がそのいい例だ。彼女は小学生の時に人間としての人生を終え、人鬼として中学生くらいにまで成長したが、鬼に成った時点でかたちが決まった。これからずっと、中学生の少女のような見た目のまま生き続けることになる。鬼としての寿命が尽きるまで。
『大鬼様を除く最初の鬼は、大鬼様によって人間の魂から生まれた。じゃあ、それ以降に生まれた他の鬼は、いったいどうやって生まれたんだろうね? 大鬼様がゼロから作ってるのか、それとも人鬼みたいに……
人鬼は大鬼様が人間の魂に情けをかけることで生まれるという。特に若くして死んでしまった人間の、より純粋な未練の強い者は、人鬼になりやすい。それは鬼のあいだでの常識だった。鬼を生みだすのは大鬼様の力なのだ。
ならば人鬼以外の鬼はどのように生まれるのだろうか。その問いに明確に答えられる鬼はとうとういなかった。『大鬼様がつくってくださったんじゃないか』『いろんなかたちがあるのは、大鬼様のきまぐれだったりしてな』と言い合って笑うまでで、真実を知っている者はない。一緒に笑いながら、美和は大鬼様に疑いを向けていた。なぜ鬼たちに本当のことを教えないのか、疑問を持たせることすらさせないのか、奇妙なことだと思った。
……とまあ、鬼たちと話をしててうすら寒いものは感じたんだよ。葵さんみたいに恨むとまではいかないけど、ものすごく怪しいとは思ってる』
美和がそう言ったところで、煙の向こうからくすくすと笑う声がした。冷たいけれど、愉快そうなその声に耳を澄ませると、つららのような言葉が飛んできた。
『この町は大鬼に支配されてるからね。何もかもあいつの思い通り。都合の悪いことは隠すし、都合が良ければ噂としてどこまでも広がる。全く嫌気がさす構造だわ』
葵の反応があれば、そこからは喋ってくれる。美和は声の冷たさに耐えながら、続きをおとなしく待つ。
『鬼がどうやって生まれるか、ですって? そんなの、大鬼が好き勝手やってるのに決まってるじゃないの。あいつはゼロからものをつくることなんてできやしないわよ。人間を鬼にするのだって、その人間にそれができるだけの力がもともとあるから可能なの。力のない人間は利用せずにそのまま流してしまう。……そのほうが幸せなのかもしれないけどね』
『幸せ?』
『力がなければ、この町に縛られることもない。逆に無駄に力があれば、否応なしに鬼にされる。たとえそれが呪いを持っていてもね』
礼陣を呪うほど嫌っていた葵は、しかし力がありすぎたのだ。だから土地に縛られ、呪い鬼として封じられることとなった。つまりはそういうことなのだろう。
土地から離れたい魂だったなら、解放してやることはできなかったのだろうか。呪い鬼を土地に縛りつけておいても、大鬼様にだって利益はないはずだ。そう考えた美和の心を、葵は的確に読んでくる。
『長いことこの土地に居ついて、神様なんて大層なものをやっているから、大鬼にだって力が制御できなくなったんでしょうよ。それでむやみに力の及ぶ範囲を広げて、無意識に人間の魂を鬼にし続けているんだから、迷惑なことよね』
『力の及ぶ範囲?』
『知らないの? 礼陣とはすなわち霊陣、大鬼の霊力の及ぶ範囲を指す。戦中まではそこから、現在の遠川洋通りと南原地区は除かれていた。なぜなら礼陣じゃなかったから。ところが戦後、空襲で壊滅したそれらの地域を礼陣の一部として引き受けたから、大鬼はそこまで自分の力の範囲を広げたの。……そういえばあなた、学校教育は受けたことないんだったわね』
礼陣の子供なら小学校で土地の併合を習うわよ、と礼陣嫌いの呪い鬼が言う。それがなんだかおかしくて美和が思わず笑ってしまうと、刺すような視線を感じた。葵に睨まれたのだ。
『そ、そういえば弟がそんなことを習ってたような気がします。うん、たしか、そんな感じ。でもそれが大鬼様の力の及ぶ範囲と関わりがあるなんて……
『人間の勉強では習わない。けれども鬼と鬼の子は学ぶのよ。あなた、やっぱり人間に染まりすぎだわ』
再びの溜息。美和にはこれが葵が話に乗ってきてくれているという証拠に思えてならない。一度呆れられるごとに、なぜか嬉しくなってしまう。そのたびにそんな気持ちを読まれ、『勘違いするんじゃないわよ』と釘を刺されるのだが。
しかし葵は、美和に色々なことを教えてくれる。他の鬼から教わりそびれたこと、他の鬼が知らないようなことも、葵は刺々しくも語ってくれる。ずっとそのことを知っていて、けれども伝える相手がいなくて、とっておきのままだった話を美和には披露してくれるのだ。
『力を制御できなくなった大鬼は、軽率に鬼を生みだすようになった。だから私のような呪い鬼も生まれたし、町にいる死んだ人間の魂に少しでも力があれば鬼にするようになった。……あいつは、ゼロから鬼を生むことなんてできやしない。絶対にもととなる魂が必要なはず。つまり今この町にいるほとんどの鬼には、記憶のあるなしにかかわらず鬼ではなかった時代があるのよ』
ただし、ときどきその語りは、背筋を凍らせるような「真相」に至る。
美和の脳裏に、鎮守の森にいた鬼たちや町を歩いている鬼たち、ときには店を訪ねてきてくれる鬼たちの顔が浮かぶ。彼らはみんな、最初から鬼であったわけではないのか。彼ら自身が、自らを「初めから鬼だった」と思っていても。
……葵さんは、どうしてそんなことを知っているんですか』
尋ねる声が震えた。鬼のほとんどに「生前」があり、そのことを忘れていると知った今、美和の胸には不安が湧き上がっていた。それすらも葵は解り、煙の向こうで冷笑を浮かべながら答える。
『その辺の鬼を呪い鬼にして喰らうことが、私にはできる。喰らうときに、その鬼の来歴が見えるのよ。初めて鬼を喰ったときには驚いたわ。だって、それが鬼ではなかった頃の記憶まで見えてしまったのだもの。それで初めて、鬼の正体に気がついたの。これは生前の記憶を失った魂なんだって』
『そんなことが……
『でも、人鬼が鬼に成ってから記憶を失くすかどうかまでは知らないわね』
美和の不安を言い当て、葵はまた笑い声を漏らす。
人鬼は鬼に成っても、記憶を失くさないはずだ。月音がそうだった。彼女が生前の記憶を失くしかけていたのは、人間に対して無邪気に危害を加えてしまった罰だ。鬼に成ったからではない。かつては記憶があったからこそ、人間に痛みを与えるような行為に至ってしまったのだ。
だから美和の記憶は、鬼の禁を破らぬ限りは消えない。弟と過ごした思い出も、店を守ってきたという誇りも、鬼に成ったからといって消えるものではないはずなのだ。
でも、多くの鬼は生前の記憶を失って今の姿になっている。――彼らは、人鬼を経たのだろうか。その疑問は口にする前に、葵によって解かれた。
『多くの鬼は人鬼なんて段階を踏まないわ。そうなるだけの力が足りないの。力が全くなければその魂は流され、少しでもあれば記憶のない鬼としてよみがえる。適度に強ければ人鬼としてより強い鬼に成るために学ぶ機会を得て、もともと強力な才能を持った者や特殊な条件を揃えているものはそのまま強い鬼として縛られる。それがこの土地の、魂の進む道よ』
いつだったか、子鬼の牡丹が言っていた。魂の道は自由であると。けれどもその自由は、礼陣という土地では奪われている。必ず大鬼の力が及び、決められてしまうのだ。
――
あれは、嘘だったの? それとも知らなかった?
『あの子鬼が知らないはずはないと思うのだけど。だってあれこそが、大鬼の手先なんだから』
葵の言葉が、美和を貫いていく。これは葵の視点の話であるとわかっていても、大鬼に対する疑念は深まり、牡丹の思惑が見えなくなる。

礼陣には鬼がいる。それは人間たちにあたりまえのこととしてとらえられている。
かつて人間も鬼も同じものだったのなら、そのあたりまえは自然だ。
『鬼が死者なら、みんなは……
今いる鬼たちは、生前、どんなふうに暮らしていたのだろう。この土地に住み、この土地で死したのは間違いない。だが彼らはそのすべてを忘れ、鬼としての日々を送っている。何も知らずに。
葵の話がすべて真実ならば、だが。
『そして、みんないつか鬼になるの? 和人も、流も、みんな……
今生きている者たちは、死んでからもこの土地にいて、長い第二の人生を歩むこととなるのだろうか。全てを忘れて、一からやり直すのだろうか。それははたして、幸せといえるのだろうか。いや、忘れてしまうのだから、幸福で量るのはそもそも不可能なことなのかもしれない。
それでも美和は思う。愛しい人たちには、人間でいてほしい。人間として満足してほしい。鬼になることが不幸だとは思わないけれど、人間としての生を大切にしてほしい。
『ああ、そうか。だから人間も鬼も、このことは知らないし、触れられもしないんだ……

美和は陥ってしまったのかもしれない。呪い鬼の甘言に。自分の過ちに。それでもまだ、葵と話すことを望んでいるのは、自分でも不思議だった。