礼陣の町を構成する五つの地区――中央、社台、北市、遠川、南原。それぞれが歴史と役割、特色を持っている。小さな町なので、自転車でもあればあっという間に全ての地区をまわることが可能だが、通り過ぎてしまうのはもったいない。と、礼陣観光協会は謳っている。

中央地区は町の玄関口であり、まさに中心。駅前には多くの会社の事業所や出張所、大手の店が建ち並ぶ。町で一番華やかな場所だ。そして駅裏にも商店街があり、こちらは古くからの個人商店が工夫を凝らして営業を続けている。町の人により密着しているのは、むしろ駅裏商店街のほうだ。目新しさでは駅前に劣るかもしれないが、イベントごとの盛り上がりと、人々との交流を大切にする姿勢は、こちらのほうが勝っていることもある。
町立中央小学校、町立中央中学校、県立礼陣高校があるのは、この中央地区だ。町で最も規模の大きな学校を抱えているのは、中央地区の住宅に子供が多いから、そして隣町などから来る学生を積極的に受け入れているからだ。行事に一番力を入れるのは、中央地区の各校だという話もある。実際、学校祭は毎年大盛況であった。

社台地区は文化と学問を司る。駅裏商店街の向こう側にあるこの地区は、アパートやマンションが充実しており、さらに一戸建ても多い。集合住宅が軒を連ねている理由は、ここに大学があるからだ。
公立文系に分類される礼陣大学には、礼陣の内外から多くの学生が集まっている。このあたりに礼陣を生まれ故郷としない人々や若者が多く住んでいるのは、大学のためだ。一部が高級住宅街となっているのは、大学関係者や提携企業に勤めている人々がそこにいるから。ついでに遅くまでやっている飲み屋も点在していて、夜になっても比較的賑やかな地域である。
町立社台小学校、町立北中学校、県立社台高校を備えており、どの地区のどの学校よりもハイレベルな教育を目指している。社台高校は町ではトップの偏差値を誇り、その制服を纏う学生は「頭の良い子」と認識される。もちろん、その実態はごく普通の高校生なのだが。しかしそんな調子なので、自然と塾も増えた。
ここにあるのは学校だけではない。礼陣の町のシンボルである、深緑の鳥居を持つ礼陣神社は、この社台地区にある。そもそも、神社がある高地だから「社台」という名前がついたのだ。
「鬼」を祀るこの神社は、普通の人には静かな場所に思われるが、境内は実は相当賑やかである。見える人には、この町に住まう鬼たちが、毎日集っているのを見ることができる。――この町には、人間と鬼の二種類の人が住んでいるのだ。
鬼は普通の人には見えず、しかしながら不思議な力を操ることができるので、人間からは神のように崇められている。その鬼たちを統率するのが、「大鬼様」。鬼の長であると同時に、礼陣神社の神主として存在している。穏やかな青年のような彼の姿は全ての人間に視認することができ、全ての人間と交流することができる。そんなお伽噺のようなことがまかり通ってしまうのが、この礼陣の町なのだ。

北市地区は昔ながらの住宅街と、由緒正しい女子教育の場を併せ持つ、どこか懐かしく清廉とした地域だ。かつては多く商店をもつ「市場」だったが、現在はそのほとんどが駅裏商店街に移転している。残ったのは古い銭湯と、いくつかの小さな店、和風建築が並ぶ住宅地、そして広大な敷地を持つ女子校だ。
私立北市女学院は幼稚舎から大学までを併せ持つ、女子のための学校だ。北市地区にも外から来た学生や教員が多く住んでいるが、その大多数は敷地内の寮住まいである。地区の大部分は、この学校の敷地であるといっても過言ではない。この「女子の園」には憧れを抱く者も多く、町の男子学生にとっては「理想」であり、女子学生にとっては「目標」となっている。
その北市女学院があるおかげで、この地域に公立の学校はない。校区は社台地区や中央地区に振り分けられており、男子にとっては少しばかり不便な地域かもしれない。
町を囲む山々を除けば、ここが礼陣の町の北端。鉄道が通るまでは、他の町へ向かう出入り口だった。もっとも、よそに行くためには山を越えなければならなかったのだが。――それはどの方角でも同じことである。

遠川地区は、礼陣の町を東西に横切るように流れる「遠川」に沿った地域の、北側をいう。少々ややこしいが、昔はこの遠川地区が礼陣の町の南端だった。
主に住宅で構成されているこの地区は、東西で特徴が異なる。東側は日本家屋が数多く残り、景観条例によって保存もされている「和通り」。西側は新興の欧風住宅と花の咲き誇る庭が美しい、少しばかり裕福な層が暮らす「洋通り」。道を歩いていると途中で雰囲気ががらりと変わる、見た目に不思議な地区である。というのも、西側は後から礼陣の町に編成された地域なのだ。上空から見るとわかるが、面積は和通りのほうが広い。
東側の和通りには、歴史の長い剣道場や、代々神社の世話をしている家、細工職人の仕事を受け継ぐ家が並んでいる。礼陣の歴史に深くかかわる重鎮が多いのだ。
剣道場には町中から子供が集まり、年若い師範のもとで剣道少年団として活動をしている。中学を卒業したら、そのまま高校の剣道部へ入部する者は多い。そんな子供たちを見に、鬼たちがこぞってここを訪れているので、遠川地区和通りは神社の境内の次くらいに鬼が多い。
ここも子供が多く、町立遠川小学校、町立遠川中学校、県立遠川高校を抱えている。小学校は年に三度ほど合唱コンクールを行なっていて、その歌声は町中で評判だ。しかし中学校と高校はあまり評判がいいとはいえず、年に何度も問題を起こしては、町中で注意喚起がされている。遠川高校は町の高校で生徒が最も少ない。色々な意味で少々怖がられているから、というのが一番の理由かもしれない。
一方で、遠川河川敷は他の地域からも人々が散歩や遊び、スポーツなどをしにやってくる。春には薄紅色も鮮やかな桜並木が、秋にはその紅葉が楽しめ、水の音も清らかなこの場所は、町の人々のお気に入りのスポットだ。人が多く、互いに気を遣うので、治安はいい。それは何も、河川敷に限ったことではないのだけれど。

南原地区は遠川の川向こう。戦後に礼陣に組み込まれた地域で、歴史の長さだけでいえば他地域とのつながりはそれほど濃くはない。しかし終戦前に現在の遠川地区洋通りとともに焼け野原になってしまい、奇跡的に無事だった礼陣の人々に手を差し伸べられて復興した記憶は、人々の心に深く刻まれている。
大手のショッピングセンターや新興の企業をもつ、礼陣中心部よりももしかすると都会的な雰囲気のあるこの地区は、しかしながら住んでいる子供が少ない。そして鬼もまた少ないのだった。
けれども町立西小学校には、遠川地区洋通りに住む子供たちがやってくるので、足せば人数はそこそこになる。県立南原高校は普通科と商業科を設けており、そちらへ進路をとる学生が他の地区からやってくる。中学生は遠川中学校や隣町の学校に行くが、昼間は比較的賑やかだ。夜は子供の分の人口が減るかわり、大人たちは夜通し働いていることもある。南原地区はその歴史ゆえか、他の地区と異なるバランスで動いているのだった。

それぞれに特色を持つ五つの地区だが、全てが一斉に盛り上がるイベントが夏にある。お盆を過ぎた土日に盛大に行われる、礼陣神社を中心とした夏祭りだ。この夏祭りのためだけに、県外からも多くの人々がやってくる。ツアーも組まれるほどだ。礼陣観光協会も、この時期が一番忙しい。むしろ一年が、この日のための準備にあるといってもいい。
現在の町の住民、かつてはここにいたが町の外に出てしまった元住民、そして祭りの噂を聞いて観光に来た人々が一堂に会するのだ。一年で最も人口が多い日とも言われる。
神社で保管されている大神輿を先頭とした神輿行列から始まる祭りは、町中を目で楽しませ、駅前大通りと駅裏商店街に展開される出店でお腹と心を喜ばせる。祭りの波に乗れとばかりに、大手の店は大セールを行なう。それはもう大賑わいなのだ。
礼陣に縁のある人は懐かしさを求めて、初めて訪れる人は期待を持って、町にやってくる。彼らを歓迎しながら自分たちも楽しむのが、礼陣の人々の尽くす「礼」。最後を締めくくる河川敷での花火大会まで、心ゆくまで味わう行事が、夏祭りなのだ。人間も、鬼も、同じこと。
夏祭りのみならず、礼陣は四季を山々から感じることのできる土地でもある。ぐるりを山に囲まれた礼陣の景色は、春は桜をはじめとする花の色に、夏は鮮やかな緑に、秋は紅葉に、冬は雪景色に染まる。山歩きの案内はいつでも受け付けており、四季折々の風景を目に留めたり、写真に収めたりするのが人気だ。
これらにインスピレーションを受けるのか、礼陣の町には名の知れた作家や写真家が住んでいたり、そうでなくとも滞在することがある。駅裏商店街の中にあるギャラリーでは、絶え間なく作品展が開かれていて、町の人々に親しまれている。
小さな町だが、ただ通り過ぎるのはもったいない――観光協会は礼陣の魅力を、発信し続けている。


……あ、懐かしい。これ、『町調べ』で作った本だ」
「町調べ?」
押し入れから取り出した冊子を撫でながら目を細める春を覗き込み、新は首を傾げた。
そろそろこたつ布団の準備をしたいという春を手伝いに、須藤家におじゃましていたところだった。ついでに湯たんぽも、オイルヒーターも、と冬の準備を一気に進めていた春が、ふいに手を止めて、それを見つけた。少し黄ばんだ表紙には、たしかに「礼陣の町調べ」とある。
冊子をぱらぱらとめくりながら、春が教えてくれた。
「礼陣ではどこの小学校でもやるの。五、六年生の二年間かけて少しずつ取り組んで、卒業文集と一緒に本にするんだよ。一年生のときからいろいろ教わったりはするんだけど、ちゃんと調査報告としてまとめるのは高学年になってから。ちょっと特殊な土地だからね、地元の勉強はしっかりやるんだよ」
「へえ……
たしかに礼陣は、よそから見れば変なところもある土地だと思う。実際によそから来た立場である新にとって、とくに鬼の話などは眉唾もので、それが見えるという春の言葉も、初めて聞いたときには疑った。
でも、町の人々は鬼がいると信じ、神社の神主は人間ではないと思っている。それがこの町の「当たり前」であり、共有されている意識なのだ。
郷に入っては郷に従え、をそのまま実行しているわけではない。でも、新は春がおかしいとは思わない。それだけで、礼陣の不思議な言い伝えや地域の特性を「わかる」には十分だった。たぶんそれでいいのだろうと新は考えているし、それを伝えると春も「それでいいんだよ」と言ってくれた。
「町調べ、読んでみる? 小学生が作ったものだから拙いけど、それでもみんなこの町が大好きなんだってことが、きっとわかると思うんだ」
「ああ、読ませてもらおうかな。でもその前に、こたつと湯たんぽとオイルヒーターをどうにかしようぜ。春って片付けの途中で見つけた本読み始めるタイプだろ」
「う、否定できない……。そうだね、やらなきゃいけないことを先にやらなくちゃ」
あと半纏と冬の毛布と、と準備するものはどんどん出てくる。新は苦笑してから、もう一度「町調べ」の冊子に目をやった。
こんなものがいくつも作られるほど、この町の人々は土地を愛する心を、子供たちの中に育てようとしている。子供たちも町が好きになる。良くも悪くも、町のありかたに疑問を持たなくなる。――少しだけ背中が寒くなるのを感じたが、春の笑顔でそれもすぐに忘れた。
町を好きになるのは悪いことじゃない。町のことを知るのも大切なことだ。そこから一歩進むのは、きっと町の子供たちが成長し、外へ出たときなのだろう。比較対象がなければ、「当たり前」のことには疑問もわかない。
いや、外とのつながりが全くないわけではないのだから、どこかに引っ掛かりは覚えるのだろう。だからこそ春も、新に鬼のことを話すのを先延ばしにし、今でもめったに口にしないのだ。
「でも、知らなきゃな……
この町で暮らしていくのなら。春とずっと一緒にいようと思うのなら。いつかは「理解」しなくてはならない。そのための努力はしなければならない。
それは町の外も内も同じこと。人と人のあいだでもそうだ。そうして人はつながり、輪を広げていくのだから。