列車の本数は少ない。一時間、あるいは一時間半に一本、隣町から普通列車がやってくる。特急も一応停まるけれど、時間は短い。有人だけど田舎の駅であることには変わりないし、自動改札になるのも遅かった。山に囲まれたこの町は、その程度の扱いだ。
人口密度は無駄に高いから、交通機関はある程度整っている。整えざるを得なかった。夏には大きなお祭りがあって人もたくさん来るから、そのあたりは無視できなかったようだ。
何はともあれ、その田舎の駅に到着する列車を待つ。平日は毎日待つ。部活が終わったら駅にとんでいって、早く列車のやってくる音が聞こえないかと期待する。――ごうごう、きゅいいん、がたん。
音が聞こえるまでは、ひたすら携帯電話を弄っている。まずはメールやメッセージが入っていないかを確認して、それからお気に入りのサイトを覗いたり、気になったニュースを見たりする。SNSもチェック。とくに急ぎの用事や異常がなければ、一旦閉じて溜息を一つ。すっかり日課になってしまったこの流れに飽きないのは、愛しい愛しい時間だから。
待っているのは、二つ上の先輩。あたしが中学生になったときにはすでに三年生だったその人とは、一年しか同じ学校にいられなかった。そのあと、町の学校に進学してくれれば良かったのだけれど、よりによって隣町の学校に行ってしまった。会う時間はほとんどない。
なくなるから、その前に――卒業式の日に告白した。思い切った行動だったと思うし、その判断をした自分を自賛している。あのとき、先輩はびっくりした顔をしてから、すごく優しい顔で笑って、「じゃあ、互いを知りあうところから始めようか」と言ってくれた。
そう、あたしが一方的に見ていただけで、先輩はこっちをまるで知らなかった。そりゃそうだ。先輩のいた陸上部に所属していたわけでもないし、あの一年で先輩が見ていたのは別の人だったから。ずっと見ていてわかっていた。
告白はだめでもともとだったけれど、振られはしなかった。先輩に自己紹介ができて、連絡先も交換して、こうして駅で帰りを待つことを許してもらった。やっぱりあの行動は正しかったのだ。
一人頷いていると、高校生が何人か駅に入ってきた。列車がやってくる時間が近づくと、よく見かける高校生だ。あんまり背の高くない、礼陣高校の人。そしてその人を見送りに来ているだけらしい、改札を通らない人たち。ということは、もうすぐ時間になるのだ。
わくわくしてくる。先輩がこの町に帰って来る。こちらの姿を見つけると、いつも手を振ってくれるのが嬉しい。それを想像して、顔が熱くなるのを感じる。
「あれ、列車遅れてるんですね」
「十分か……何かあったのか?」
それが先ほどの高校生たちの声で、急激に冷めた。
列車が遅れるなんて、何かあったのだろうか。事故だったらどうしよう。いや、それはない。事故だったらもっと遅くなるはずだ。たぶん接続列車の都合だとか、待合のせいだとか、そういうことだ。この田舎の駅ではともかく、もっと大きい隣町の駅にはいろんな路線が通っているから、そういうことはままある。あわてるようなことじゃない。
だけど、不安にはなる。先輩に会える時間が遠のけば、それだけ胸が苦しくなる。早く先輩に会いたい。
「まあいいか、連さんといられる時間は延びるし」
「進道はそうだよな」
「よくもまあ、連さん連さんってくっついていられるよな。連も嫌じゃねーの?」
「嫌ではない。むしろ一緒にいられる時間が長くなって嬉しい」
いいなあ、あの高校生の集団。列車が来ないことを喜べるなんて、なんて暢気なんだろう。こっちの気も知らないで、楽しそうで、羨ましい。あ、でも、列車が来たらあの人たちは別れなくてはいけないのか。
かと思えば他方から、いらいらしたような声がする。
「なんで今日に限って遅れるかな……面倒だな……さーやのとこ、もう一泊くらいしようかな……」
すごくかわいい人なのに、声が低い。負のオーラを纏っているという表現は、あの人にこそふさわしいかもしれない。周りの人もそのつぶやきを聞いたのか、ぎょっとした顔をしてから彼女をすっと避けていく。あんな大人もいるんだな、と思いながら目を逸らすと、心配そうに案内が流れる電光掲示板を見つめる人が目に入る。
「ばあちゃんから連絡ないな……。ちゃんと乗り換えられたんだろうか……」
そうぼやくのは、よく見ると中学校の先生だった。自分は習ったことはないけれど、たしか数学担当で、去年は先輩の担任をしていた。仕事は終わったのだろうか、それとも抜けてきたのだろうか。などと考えていたら、先生と目が合ってしまった。
「あれ、二年の渡辺か? どうした、こんなところで」
しかもこちらの名前を知られている。ぎくりとしたけれど、なんとか落ち着いて返事をした。
「ど、どうも……。あたしは、その、人を待っていて。井藤先生もですか?」
「ああ、俺はうちのばあちゃんをな。あんまり列車乗らないから心配で」
「そうですか」
先輩の担任だったというのが納得できる、明るい声と笑顔。好感は持てるけれど、先輩を待っていることが知れてしまうのは恥ずかしい。トイレに行くふりをして離れてしまおうかとしたとき、待ちわびた音が聞こえた。ごうごうごう、と遠くから響いてくる。その前にアナウンスがあるはずだけれど、聞き逃しただろうか。
「――分着予定でした普通列車は、まもなく一番ホームに参ります」
駅員さんが手をメガホンにして叫んでいる。放送機器を弄っている、焦った様子の駅員さんも見えた。今日はいろいろとトラブル続きのようだ。そうか、それで聞き逃したのか。
いつのまにか駅は人でいっぱいだった。どこからこんなに人が湧いてきたのか、この人たちはどこへ向かうのか、誰かを待っているのか。いつも不思議に思う。
でもそんなことはすぐにどうでもよくなってしまう。先輩が、もうすぐこの駅に来る。そう思うだけで、すっかり嬉しくなってしまって。
きゅいいん、と列車が停まろうとする音がする。人が一斉に改札を通り始める。みんなアナウンスを聞き取れなかったのか、今日は気温が低いからなかなかホームに出なかったのか。
がたん。がやがや。駅に人がどんどん入ってくる。その中から会いたい姿を探す。井藤先生もきょろきょろしている。さっきの高校生は、一人を送りだしてから駅を出ていった。苛立っていた女の人も、とっくに改札を抜けたようで、もう見当たらなかった。
混雑した駅で身動きが取れないまま、心の中で先輩を呼び続けているうちに、列車に乗る人も、降りてきた人も、どんどん少なくなっていく。
もしかしてこの列車には、先輩は乗っていなかったのだろうか。今日は部活が長引いたりして、一本見送ったのだろうか。それなら一度家に帰って荷物を置いて、また駅に来よう。先輩に会うのを諦めるなんて選択肢は最初からない。
先生に挨拶をして、その場を離れようとしたときだった。
「ばあちゃんと牧野?! なんで一緒に……」
目を丸くした先生が叫ぶ。あたしがずっと待っていた、その人の名前を。
「あれ、井藤ちゃんじゃん。え、おばあさん、孫ってあの人?」
「そうですよ。ああよかった、会えて。待たせてごめんね、こう君」
あたしが見た先輩は、おばあさんを支えながらスクールバッグと風呂敷包みを持っていた。まず井藤先生を見つけてから、ようやくあたしに気づいた。
「渡辺、待たせたな。ごめんな」
あたしを見つけてくれるのが遅くても、先輩のかっこいい姿を見れば、不満なんてない。首を思い切り横に振ってただ一言返せばいい。
「先輩、おかえりなさい!」
そうして先輩が頷いてくれれば、それだけで幸せだ。
「おう、ただいま」
この瞬間のために、あたしは毎日礼陣駅にやってくる。
井藤先生とおばあさんが「なんだ、お前らそういう関係か」「あらまあ」などと声をあげている。だけど先輩を前にしたあたしにとっては、それも駅構内の音の一部。先輩は照れたように笑うだけで、否定しない。この人は優しい。遠くから見ていただけだった頃よりも、近付いた今のほうがもっと好きだ。
「牧野、ばあちゃんのことありがとうな。今度奢る」
「生徒にそれはまずいだろ、井藤ちゃん」
「卒業したんだから気にするな。野下なんかしょっちゅう一緒に御仁屋行くぞ」
「あの人は別格だろ……」
先生たちを見送ったら、駅にはあたしたち二人。本当は他にも人がいて、もちろん駅員さんもいるのだけれど、二人きりのような気分になる。
牧野先輩はあたしに手を差し出して、「井藤ちゃんじゃないけど」と言った。
「今日は俺が奢る。この時間なら御仁屋のまんじゅうより、中野のコロッケのほうがいいか」
「やった!」
あたしたちは手をつないで、駅を出る。礼陣の町へと出ていく。それだけで、待っていた時間も幸福になる。だから明日も待つのだろう。この町の玄関で。