好みのタイプ。笑顔が爽やかで、頭が良くて、優しい人。運動もできたらなお良し。でももっとも重要なのは、男子より男らしいと言われたこの自分を、女の子として扱ってくれること。
「そんなのアイドルにしかいないんだけどね」
それが加藤詩絵の、理想の彼。
手の届くところに存在していたら、奇跡だと思っている。
「か……っこよかったねえぇ……」
目を輝かせ、手を震わせながら、詩絵は隣に座っていたひかりに縋りつく。前方では剣道部がきっちりと礼をし、その場を立ち去ろうとしていた。
礼陣高校入学式の翌日は、一年生はオリエンテーションがメインで、その中には部活動紹介も含まれている。礼陣高校は部活動が盛んで、その数も半端なものではない。大所帯のもの、全国大会常連の部、数々の受賞歴があるところなど様々あり、新入部員を招くためのパフォーマンスにも手抜きが一切ない。
その中でも特別詩絵の心を掴んだのが、剣道部だった。簡単な紹介の後、地稽古を実演したのだが、その勢いがすさまじかった。紹介をしていた主将が「そこまで!」と言うまで、ずっと互角に打ち合っていたのだ。
これには新入生だけでなく、全校生徒が息を呑んだ。圧倒された後に残ったのは、恍惚。詩絵もその一人だった。
「たしかに今のはすごかったね。やっぱり心道館門下生なのかな」
ひかりは引き上げていく剣道部員を見送りながら、ひたすら感心していた。すでにバレーボールをやると決めている彼女は、詩絵ほどには魅了されなかったのだった。
この礼陣の町には、心道館という剣道場がある。高校で剣道部に所属するもののほとんどは、小中学校時代にそこで剣道の少年団に所属している。それまでに培った心技体を、そのまま持ってやってくるのである。
「で、詩絵は剣道部に入るの?」
「ううん、かっこよすぎて見惚れそうだから入らない。それに心道館の門下生ばっかりだと思うとね、ちょっと敷居が高そうというか」
「まあ、そうだよね」
剣道部には入らない。でも、ときどき稽古を見に行くくらいはしてみたい。それくらいに、実演は詩絵の心に残った。打ち合いをしていた生徒の顔は面をかぶっていたので見えなかったが、あの人は絶対にかっこいいに違いない。なぜかそんな確信もあった。
部活紹介が全て終わり、教室に戻ってから、詩絵は友人の春のところへ向かった。記憶が確かなら、春はあの竹刀を振っていた生徒を知っている可能性がある。
「春、剣道部の実演の人なんだけど」
「ん? あれ、片方は海にいだよ」
予想は見事に的中した。春には心道館の息子だという、一つ上の幼馴染がいる。もしかしたら彼のことではないのかと思ったのだが、本当にそうだとは。顔は見たことはないが、なかなかかっこいいという噂はある。
「すっごくかっこよかったけど、顔もイケメンなの?」
「詩絵ちゃんとこのお店にもよく行ってると思うけど、会ったことなかった? まあ、たぶん詩絵ちゃん好みの顔なんじゃないかな。笑顔は爽やかってよく言われてるし」
春は至って落ち着いた回答をしてくれる。「海にい」と呼ばれる彼とは兄弟のように育ってきた幼馴染であるということと、春自身にすでに彼氏がいるということもあり、別段「かっこいい」とは思っていないのかもしれない。
「それより黒哉先輩のほうがすごかったかな。あの海にい相手に完全に互角だったもん」
「え、もう片方って黒哉先輩だったの?」
「そうだよ。詩絵ちゃん、気付かなかったの? 『日暮』ってちゃんと書いてあったのに」
もう片方の人なら、詩絵もよく知っている。なにしろ実家のパン屋に、よくバイトで来てくれていたのだから。ただ見ていただけでなく、春は事前に「海にい」から情報を聞いていたようで、今日の実演のことも知っていたようだった。
これではどっちが本当にかっこよかったのかわからない。いや、どっちもかっこよかった。ただ、顔を知らない分、「海にい」に対する期待が大きい。
「ねえ春、今度廊下ですれ違ったときでもいいからさ、海にい……っていうか、進道先輩か。紹介してくれない? せめてかっこよかったですってことだけでも伝えたい!」
「うん、いいよ。でもああ見えて性格はちょっとどうかなってところあるから、もし冷たくされても落ち込まないでね」
「……何、その含みのある言い方」
どうやら詩絵が思うより、進道海という人物は立派な人間ではなさそうだ。ちょっとだけ冷めつつある気持ちで、詩絵は自分の席に戻った。
そして部活はソフトボール部にしようと思った。
チャンスは思っていたよりもずっと早く訪れた。まさにその日の放課後、廊下を歩きながら春と、もう一人の友人である千花とお喋りをしていたところへ、向かいから上級生がやってきた。
それを見つけた春が、手を振って呼び止めたのだった。
「海にい、部活紹介お疲れさま」
詩絵はその名前に即座に反応し、相手の顔を確認する。
上級生は三人。一人は端正な顔立ちだが、背がさほど高くない。彼はたしか、弓道部の紹介のときに実演をしていた。もう一人はバイトに来てくれる先輩、日暮黒哉だ。こちらに気づいて小さく手を挙げてくれたので、詩絵も会釈で返しておく。とすれば、残る一人が進道海だ。
「春もオリエンテーションお疲れ。退屈じゃなかった?」
そう言って笑った顔は、噂に違わぬ爽やかさを湛えている。声も優しげで、眼差しは賢そうだ。端的にいえば、詩絵が好きなアイドルに似ている。
進道海は、印象からいえば詩絵の好みそのものの人だった。
「全然退屈しなかったよ。部活紹介、海にいと黒哉先輩がかっこよかったって評判だったんだから。ね、詩絵ちゃん」
「えっ?! あ、はい、かっこよかったです! 惚れぼれしました!」
裏返る声で正直な感想を伝えると、海は爽やかな笑顔をこちらにも向けてくれた。
「そう、ありがとう。どうせなら黒哉をあの場で打ち負かしたかったんだけどね」
「オレだって岡田主将に止められなかったら、お前を叩きのめしたかったよ」
笑顔な爽やかだが、言っていることは剣呑だ。春が言っていた「性格はちょっとどうかな」とは、こういうことだろうか。これくらいなら全然問題なく、許容範囲だ。
「で、剣道部誰か入らない?」
「ごめん、海にい。私は予定通り陸上部で、千花ちゃんは音楽系のどれかで、詩絵ちゃんはソフトボールだって」
春がさりげなく詩絵と千花を紹介しながら答えると、海は「そっか、残念」と、さほど残念でもなさそうな調子で言った。そこへ背の低い先輩が、遠慮がちに口を挟む。
「海、急がなくていいのか。早く用事を終わらせないと、部活に遅れるぞ」
「そうでしたね。じゃあ春、またな。先生に呼ばれてるんだ」
「そっか、呼び止めてごめんね。またねー」
先輩三人組を見送って、詩絵はぼうっとする。まさかあんな奇跡のように素敵な人が、同じ学校にいるとは。
「和人さんだけじゃ、ないんだなあ……」
かつては商店街に、詩絵の好みそのままの先輩がいたのだ。けれどもその人は今年の三月にこの学校を卒業し、この県から出ていってしまった。それが少し残念だったのだが、まだ希望はあるようだ。
一年上に、海がいる。二年間は同じ学校にいられる。それだけで、これからの高校生活が明るくなるような気がした。
「海にいのは和人さんの真似だと思うけど。千花ちゃんはどう思う?」
「私はみんな知らないから、よくわかんない」
春と千花の会話は、もう詩絵には聞こえていなかった。
好みのタイプであるとはいえ、それが恋愛に直結するわけではない。詩絵の場合はファンになるというだけで、恋ではない。自分の理想が高いことがわかっているから、そんな人が現れても、自分には見合わないから恋はしない。
今までずっと、そうだった。
「つまり詩絵が進道先輩を好きなのは、ただのファン心理だと」
「そうだよ。だって釣り合わないじゃん」
昼休み、弁当をつつきながら、詩絵は頷く。その答えに、新は心底ホッとした。詩絵が本気で海を好きになっていたら、全力で「やめておけ」と言うつもりだった。以前海に会って、少々恐ろしい思いをしたのだ。
その内容は、詩絵には絶対言えなかったが。
「詩絵ちゃんなら、海にいと仲良くなれるかも」
「そう? でもアタシ、海先輩の前に立ったら緊張で喋れなくなるよ」
詩絵にとって、海を前にするのは、アイドルに会うのと同じようなものだ。彼の前で平常心でいられるとしたら、きっと他の誰かが一緒のときだろう。たとえば話し慣れている黒哉とか。
「なんか違うんだよね。ときめくのと、恋するのと。恋したところで、相手はアタシを女子だと思わないし」
「詩絵ちゃん、恋したことあるの? 初めて聞いた」
「幼稚園とか小学生の頃の話だよ。千花と会ったときには、もう恋とか諦めてたなあ」
そう言って笑い飛ばす詩絵を、ひかりが複雑な表情で見ていた。過去、詩絵のことが好きだった男子を知っているだけに、もったいないと思ってしまう。
「だからさ、アタシは人に憧れてるくらいがちょうどいいの。生活に潤いがあって、自分も相手も傷つかないくらいが」
いや、失恋したやつがいるんだよ。ひかりが心の中で呟いたとき、それを読んだかのような声があがった。
「そうかな。詩絵は十分魅力的だから、詩絵が知らないうちに失恋してたやつもいたんじゃない?」
「へ?!」
平気な顔をして発言したのは、高校に入ってから親しくなった秋公だった。これには詩絵本人だけではなく一緒にいた全員が驚いた。知りあったばかりで読めない人物ではあったが、まさかあの詩絵を赤面させるようなことを、真顔で言うとは。
「いやいやいや、そんなことはないでしょ。まずアタシを女扱いするやつがいないって」
「俺はするけど。だって詩絵は女子だろう」
「なんでそういうこと真顔で……」
信じらんない、と顔を覆う詩絵に、秋公は「何か変なことを言っただろうか」と首をひねった。
詩絵にとって、進道海は憧れの人である。笑顔が爽やかで、優しくて、声をかければ丁寧に応じてくれる。
けれどもそれは恋にはならない。きっとこれからも、詩絵のこの気持ちは「憧れ」以上にはならないだろう。
それでも生活に潤いがあるなら、恋なんかしなくたっていいのだ。
「……っていうのは、やっぱり強がりかなあ」
詩絵は十分魅力的だから――そんなふうに言ってくれる男子が、まさか存在するとは。思い出すと顔が熱くなる。
あのあと秋公は、「春も千花もひかりもそれぞれ魅力がある」と続けたので、全員からタラシ認定された。だから詩絵を特別に女子扱いしているわけではない。それでもめったにないことだし、素直に嬉しかった。
まだまだ恋は遠いかもしれない。けれども手の届かないものでもないかもしれない。いつかは詩絵のことを女の子として大切に思ってくれる人を捕まえられるだろうと、少し希望を持ってみた。