故郷を離れてじき三か月になるだろうか。そして最後に愛しい幼馴染と会ってから、一か月半が経とうとしている。慣れない環境に何とか順応しようと、学校では愛想よくしているつもりだけれど、どうやらそれを剥がしたがっている人物もいるらしいということがわかっている。
外からは憂鬱になるような雨音。梅雨の時期なのだからしかたないのだが、このじめじめした季節が、僕は好きではない。自分の名字が「水無月」のくせに、梅雨入りする六月はいつも気持ちが滅入るのだった。
加えて今年は、それを晴らしてくれるような人が傍にいない。僕を好きだと言ってくれる幼馴染も、いつだって隣で励ましてくれた双子の妹も。もっとも双子の妹に至っては、僕にしか認知されない存在であったけれど。それでも大きな支えだったのだ。
中間レポートも提出し終えて、ちょうどすることがない。独りの部屋で、宙を見つめる。自分で作った美味しくもない夕食が、さらに気分を落ち込ませた。
「もう、やだなあ……」
学校でなんでもないように振る舞うのも、部屋で独りぼっちなのも、ただただつらい。生まれ育った町に帰りたいのだけれど、あいにく長い連休はしばらくない。交通機関を乗り継いで三時間ほどで着くはずのその場所が、とても遠く感じる。
ホームシックなんて、情けないだろうか。少なくとも双子の妹は、こんな僕を叱るだろう。会って叱ってくれるなら、そのほうがどんなに救われることか。
誰かがいなければ何もできない自分が嫌だ。何もできないくせに虚勢を張っている自分が嫌だ。帰れないのなら、いっそのこといなくなってしまったら楽かもしれないと、飛躍したことを考える。それくらい、退屈で孤独だった。
まともにものを考えられないときは、寝てしまったほうがいい。特にやることもないし早く休んでしまおうと立ち上がったとき、ふと棚の上に置いてあったものに目が留まった。
大きめの安全ピン。何に使ったのか、どうしてここにあるのかは思い出せない。何気なく手に取って、針を裸にしてみたら、いつか読んだ都市伝説の漫画を思い出した。
ピアスの穴を安全ピンであけたら、そこから糸のようなものが出ていて、それを引き抜くと目が見えなくなるというものだ。引き抜いたものは視神経だったという話だが、まずそんなことはありえないと、今の僕は知っている。あれは安易にピアスの穴をあけさせないために誰かが広めた噂に過ぎない。おしゃれとはいえ、体に傷をつけるのだから、歓迎しない人だっているのだ。僕の通っていた高校でも、ピアスは禁止されていた。
けれども大学生になった今、そんなことは誰も気にしないし、咎めもしない。たとえば手首なんかに傷をつけたら悩みでもあるのかと疑われるが、耳ならそう目立たないし、そもそも隠す必要がない。傷は傷なのに、相手に与える印象がまるで違うのだ。それがたとえ、同じ理由からくるものだとしても。耳に穴をあけたとして、高校生以下なら、せいぜいちょっとグレたかと思われるくらいだ。
地元では一応優等生として通っていた僕だけれど、今住んでいるところでは違う。固定のグループはできてきたが、周りはいずれも自分のことをあまり知らない人ばかりだ。知られないようにしてきたつもりだ。
針先を右の耳たぶにあててみる。柔らかなそこは、簡単に貫くことができそうだった。でもたしか一気にやらないと貫通できないはずだと思い、針を立て直して、力を込めた。
遅れてきた痛みと、耳たぶに残る奇妙な感触、それから溢れ流れた血で染まった指に、思わず「ああ」と小さな溜息が漏れた。
今までは傍に誰かがいたからしなかった。けれども今は誰もいないから、自分の情けなさを戒めるのは自分しかいない。そう思ったら、なぜか笑えた。僕は独りぼっちを寂しがっていた幼い頃と、何も変わっていないのだ。
「可笑しいな」
この状態に酔ってしまっている現在も含めて。
* * *
最初に気づいたのは廿日だった。
「あれ? 水無月君、ピアスしてる」
月曜日の一コマという非常にだるい授業の後、いつものようになんとなしに……いや、茶木と廿日が共通の講義の中間レポートをまだ仕上げていないのでそれに付き合うという名目で集まったのだが、当の廿日が持参したノートパソコンの画面から目を離していた。それを咎める前に、この発言だ。
俺は出しかけた悪態を引っ込めて、改めて水無月の耳を見る。たしかに右耳にだけ、樹脂製らしい小さな粒があった。どうして片方だけなのか、何故ピアスなどに縁のなさそうだった水無月が突然こんな状態になっているのか、疑問は次々に湧いてくる。
それを遮るように、茶木が水無月の耳を覗き込むようにして言った。
「ホントだ。カズでもピアスとかあけるんだな。なんで突然、それも片っぽだけ?」
質問を奪われるが、かまわない。俺はその答えを興味深く聞くだけだ。おそらくは宮澤もそうで、こちらを見ていないふりをして、耳はしっかりとやりとりを捉えているようだった。
水無月は困ったような笑みを浮かべ、興味に応じた。
「うん、なんとなく。高校までは禁止されてたけど、今は誰も何も言わないから、やってみてもいいかなって思って。でも片方あけたら予想してたより痛かったから、右だけ」
「へえ、意外。でも樹脂製の仮ピアスって化膿しやすいらしいから気をつけろよ。たしか一か月半くらいつけっぱなしにしてないといけないし」
「化膿しちゃったら普通のピアスつけられなくなっちゃうからね。ていうか、どうやってあけたの? 自分で?」
「そうだよ。安全ピンで刺して、店で仮ピアスだけ適当に買って」
「医者行けよー……。それ用のやつ使ったならまだしも、安ピンは余計まずいって」
すっかり自分たちのレポートより水無月のピアスに夢中の茶木と廿日は、どこで仕入れてきたのかわからない知識を色々と披露してくれた。そのうち水無月に「僕のことより、レポートいいの?」と返されて、やっと静かになる。
水無月の耳が化膿してしまうのか、それともうまいこと安定してそのままピアスをつけ続けるのか、そのあたりは俺にとってはわりとどうでもいい。水無月が自分で「なんとなく」耳に穴をあけたことと、その時の精神状態には、大変興味がある。茶木と廿日が聞き出してくれるのを期待したが、これ以上は無理そうだった。
「……何、武池君? 君も僕のピアスが気になるの?」
つい見つめていたら、水無月が苦笑しながら問いを投げてくる。頷きたかったが、そうしたところで本当のところを聞き出すことはきっとできないだろうと思い、目を逸らした。
「別に。意外だと思ったのは認めるが」
俺の答えが不満だったらしい宮澤は、小さく溜息を吐いていた。彼女も自分では動かずに、水無月から情報を引き出したかったのだろう。
だが、引き出さずとも予想はできる。出会って三か月も経っていないが、水無月和人という人間がいわゆる「おしゃれ」というものをたいして気にしていないことは、他の多くの学生と比べれば明白なことだった。いつもどちらかといえば無難な、ときには今時の若者らしくない恰好をしているし、着回しからさほど多くの衣類を持っていないことは察することができる。普段は腕時計以外にアクセサリーの類はつけていない。
水無月がピアスをあけるとしたら、単に急に興味が湧いたからというだけでは説明不足なのだ。考えられるのは、五月の連休中に会っていた幼馴染とやらの影響か、あるいは。
……可能性を思うと、背中をぞくりとした感覚が走った。水無月でもそんなことをするのかもしれないのだと、考えると快感だった。
それを察したのか、水無月は俺をちらりと見たときに、一瞬だけ不快そうに顔を歪めた。そうだよ、そういう表情をもっと晒せばいいんだ。俺はお前の本当の姿を見てみたいんだから。
宮澤もそう思うだろう?
* * *
昨夜和人から届いたメールと、それに添付されていた画像を何度も見た。痛々しい、雑な穴。それから樹脂製のピアスをつけた状態。メール本文は[思い立ってピアスあけてみた]だけ。そのあと問い質したら、どうやら右耳だけらしいということが判明した。だからといって安心するということはない。むしろ不安が募った。
もちろんこのことを和人のとこのおじさんやおばさんに言えるはずもなく、俺は一人頭を抱える。すぐに会いに行ける距離だったら、駆けつけて何があったのか真っ向から尋ねるんだけれど、残念ながらそれは不可能だ。
「流、次講義ないのか? ていうかさっきも上の空だっただろ」
俺が思い悩んでいるあいだ、同じ講義を受けていたキリさんが、ノートで軽く頭を叩いてきた。「月曜は二コマないんだってば」と答えながら見上げたキリさんの表情は、きっと俺を心配してくれていた。呆れたように見えるけれど、微妙に違うんだ。眉の下がり方とか。
「キリさんさ、例えば弟が突然ピアスあけたってメール送ってきたらどう思う? 画像付きで」
これ以上余計な心配をかけないよう、率直に訊いてみる。すると怪訝な表情のあと、「俺だったら」と真面目な声で返答があった。
「まず何かあったのか訊くかな。あいつは突然何の理由もなくピアスあけるようなやつじゃないし、もしかしたらおしゃれに目覚めたんじゃなく自傷かもしれない」
「じしょう……」
「自分で自分を傷つけるほうな」
ああ、その「自傷」か。なるほど、そう言われればピアスの穴をあけるという行為はたしかに自分に傷をつけている。そうだったら兄として放っておけない、というキリさんに、俺も頷いた。もし和人がそういう意味でピアスをあけたのだとしたら、俺だって幼馴染として、恋人として、放ってはおけない。放っておいていいわけがない。だって、和人はわざわざ画像までつけて俺に助けを求めてきたんだから。
そうと決まったわけじゃないけれど、それが一番有力な説のような気がする。あいつは独りでいると、自分の苦しい気持ちを溜めこむんだ。それを吐き出させてやらないと、どこかでバランスを崩してしまう。いや、崩した結果がこれなのか。
連絡は適度にとっているつもりだった。あまりこちらからかまいすぎても、和人は引いてしまう。だから用事があるときだけ、あるいは用事を作って、メールを送ったり電話をしたりしていた。五月の連休には会いに行ったけれど、それ以外は数日おきにメールのやりとりをしていただけだった。
「誰かピアスあけたの?」
再び考え込んでいた俺に、キリさんが尋ねる。
「うん、和人が」
「ああ、それは……流の話す和人君像から考えると、心配になるな」
少なくとも、誰かに流されてなりゆきで自分の体に穴をあけるようなやつではない。キリさんもそれを察してくれている。けれども「心配してるだけでも仕方ないけどな」ともっともなことを言ってくれるのもキリさんなのだった。
「ちゃんと理由聞いた?」
「いや、多分隠してる。俺には思い立ってやったとしか言ってくれなかった」
「まあ、本当に思い立つこともあると思うけどな。でも流が隠してると思うなら、そうなのかも。可能ならもう一回話してみたほうがいいんじゃないか」
キリさんに背中を押されて、俺はそうすることに決めた。あんまり和人にかまいすぎると困らせてしまうので避けたかったのだけど、今回ばかりは別だ。昔、和人が随分弱気になっていたときのことを思い出すのだ。俺と和人の場合、こういうときはこちらから歩み寄ったほうが良い。
あとで電話してみる、と宣言したら、キリさんは笑って頷いてくれた。
あまり電話をかけすぎると、和人はたまに不機嫌そうな対応をする。俺以外には実の親であるはずのおじさんやおばさんにすらそんな態度は見せないので、ある意味得である意味損だ。素を見せてくれるという点では、特別な感じがして嬉しい。不機嫌に応じられて喜ぶというのは、自分でもちょっとどうかと思うけど。
もちろんあまりにも不機嫌そうだとこちらも申し訳ない気持ちになるので、和人に電話を書けるときは気を遣う。時間を確認して、部屋でこっそりと携帯電話を操作する。
緊張しながらコール音を聞く。五コールで出なかったら、一度切ることにしている。でも今日は三コールで返事があった。
「何、流?」
電話越しの声は平然としている。少しだけホッとしながら、用事を口にする。
「今、どうしてるかなって思って。メール見たからさ」
「ああ、あれ。今のところ化膿してなさそうだし、このまま清潔にしていれば夏休みには仮じゃなくても良くなるかも。……って茶木君が」
茶木君は和人の大学での友達だ。五月の連休に、俺が和人のところに遊びに行った時に知りあったのだけれど、良い奴だ。たまにメールのやりとりなんかもしているし、向こうも俺を「流ちゃん」などと気軽に呼んでくれる。彼の言うことならまあまあ信用できそうだ。今回の場合、もちろん医者には及ばないが。
「なんでピアスあけたんだ? 和人、そういうの興味あったっけ」
「思い立ったって言ったじゃない。なんとなくあけてみたくなったんだよ」
「いや、和人に限ってなんとなくはないんじゃないかと俺は思うんだけど」
食い下がってみる。これで機嫌を悪くしたら、それまでだ。今日の電話はやめにしよう。息を呑んで返事を待っていると、困ったような唸り声が聞こえてきた。
どこか気弱なそれは、和人が疲れていたり、何か悩んでいるときのものだ。
「……興味はあったんだよ。それは本当。だけどあんまりいい意味の興味じゃない」
トーンの落ちた声が、電話の向こうから聞こえる。その奥は静かで、今も和人が一人きりであることがわかる。誰もあいつの傍にいない。
「どんな意味か、聞かせてくれないか」
たぶん大学の友人には話していないだろう。こっちにいたって、言える相手はそれほどいないはずだ。和人はいつだって、弱音を吐きたがらない。――俺以外の人間には。
しばらく間があって、和人が言葉を探しているのを黙って待つ。近くにいたら手をとってやったり、抱きすくめてやったりするのに。……いや、それはただ俺がそうしたいだけか。
「ピアスならさ、ある程度はおしゃれでごまかせるじゃない」
ややあって、そんな言葉が耳に流れてきた。それだけで、俺はもう「やっぱりな」と思ってしまう。思いながらも、まだ口にはしない。
「自分の体を傷つけてまでおしゃれをする必要はないって思う人もいると思うけど、格好良さとか、女の子なら可愛さかな、そういうのを求めるのは何もおかしいことじゃない。だからピアスは社会でも許容範囲に入る。時と場合にもよるけれど」
「うん」
相槌を打ちながら、かすかに聞こえるぎしりという音に耳をすませた。ベッドに寄り掛かったんだろうな、と一度和人の部屋に行った俺は想像する。今、あいつがどんな顔をしているのかも。きっと見ていて切なくなるくらいの無表情だ。
「だから手段と目的が逆になってもごまかしがきく。穴は何もしていなければ塞がるから、僕がピアスをつけるのをやめれば、そのうち始まる就職活動にも問題はない。今だけちょっと調子に乗ってみた、っていう言い訳で済ませられる」
大多数の目的は自分を飾りたてること。その手段が体に傷をつけること。それが逆になるということは、自分の体に傷をつけることが目的になるということか。まったくキリさんの予想通りだった。さすがだな、と感心してしまう。
「和人のそれは、自傷なのか」
そろそろ頃合いだろうと思って、こちらから切り込む。すると小さな溜息の後に、「そうだね」と返事があった。
「自傷だね。僕は僕を痛めつけたかった」
微かに笑いが混じる。でもそれはきっと愉快なものじゃなくて、自虐的な、自嘲的な、そんなものだろう。俺は和人を抱きしめられない代わりに、自分の膝を抱えた。
「それはまた、どうして」
「昨夜は憂鬱だったんだ。雨が降ってじめじめしていたし、レポートも書き終わってしまったから何もすることがなかった。そうしたら急に寂しくなっちゃって。……そっちが、礼陣が、懐かしくなっちゃったんだよ。自分で決めて出てきたのに、情けないよね」
和人は見栄っ張りの意地っ張りだ。大人にはいわゆる「良い子」として振る舞い、同級生に対しては優等生の態度をとり、後輩たちに対しては尊敬できる先輩としての立場を守ろうとしていた。それはこっちにいたときだって、きっと向こうにいるときだって、変わらないのだ。とる態度や対応には違うがあるかもしれないけれど、根っこは同じだと俺は思う。
それが見栄を張る相手がいなくなり、意地を張る必要がなくなった、そんな「独り」を感じる瞬間に崩れてしまったんだろう。それができない自分自身が急に情けなくなって、許せなくなったのかもしれない。和人なら、そんなことがあってもおかしくない。そしてそれを知っているのは、きっと俺だけだった。
だから和人は、俺にメールを送ったんだろう。
「耳、本当に化膿してないんだな?」
「今のところはね。そうなったらそっちに帰れなくなっちゃうから、気をつけてる」
「そうだな、ホームシックを紛らわせようとしたのに堂々と帰れなくなるのは本末転倒だ。とりあえず腫れないように、引き続き気をつけてくれ」
「うん、わかった」
少しだけ、和人の声が明るくなる。よかった、ちょっとは持ち直したようだ。電話をかけてみたのは、今回は正解だったらしい。
適当に話題を変えて、「おやすみ」で電話を切って、俺は和人の耳を思い浮かべる。最初に写真を見たときは痛々しいと思ったけれど、そのあとの処理をちゃんとしているなら、あれは和人の耳を飾るためのものになってくれるかもしれない。
夏に帰ってきたら、ピアスでも贈ってやろうか。それとも帰って来る前に誕生日があるから、そのときにでも。ああ、でも、たしか片方しかあいていないんだっけ。
「……それなら」
俺は自分の耳たぶに触れてみる。どうせあいつがピアスをあけたと知ったら、あいつに憧れを抱いている真面目な後輩はショックを受けるだろう。それを和らげるには、俺のせいにしてしまえばいいんじゃないか。俺に影響を受けてしまったことにすれば。
翌日、講義のない時間に俺は駅前の店で道具を買い、自分の左耳たぶに穴をあけた。予想以上に痛くて、和人がどれだけ憂鬱だったかを想像してしまい、溜息がこぼれた。
あーあ。傍にいたらこんな痛みなんか負わせなかったのに。
* * *
夏休みに帰省した愚弟の片耳には、銀色の粒が光っていた。
「ただいま、美和」
『おかえり、和人』
まだ私の姿が見えるということは、和人は大人になっていなくて、私も鬼に成っていないということなのだろう。後者は実感しているけれど、前者の感覚はできればもう少し薄れていてほしかった。私が人鬼から鬼に成る条件の一つに、私たちが互いにきちんと大人になるということが含まれているのだから。まだまだ道のりは遠いらしい。
たぶん、その証明が和人の右耳のピアスなのだ。梅雨の頃にあけたらしいということは、流との電話を盗み聞きしていたから知っている。それがホームシックからくる自傷だったということも。「水無月」の家の子のくせに六月に負けるなんて、本当に愚弟だと呆れてしまう。……旧暦で考えたら、時期はずれるんだろうけど、現代は現代だ。
『ピアス、流にもらったやつ?』
「ああ、うん。よくわかったね」
『選んでるの見てたから。和人がいないあいだも、私は町の様子を見たり、ちゃんとした鬼に成る修行までしてたんだからね』
「それはご苦労様」
返答はあっさりしてるけれど、ピアスが流からの誕生日プレゼントであることを指摘したときには嬉しそうに表情をほころばせていた。まったく、この愚弟ときたら。流と私にだけは正直なんだから。
髪に隠れていて、よく見ないと目立たない銀だけれど、これに気づいたら礼陣の町の人たちはどう思うだろう。和人がグレて帰ってきたと思うだろうか。……最初から流と一緒に歩いていれば、そうではないとわかってくれるのだろうけれど。
流も同じピアスをしている。二人で一組を分けたのだ。なにしろ二人とも片耳ずつしかあけてないものだから、そうするのがちょうどよかったし、正真正銘のペアなのでカップル気分も味わえる。まあ、本当にカップルなわけなのだが。
「高校の剣道部に挨拶にいってくるけど、美和も行く?」
『うん、ついてく。流も一緒?』
「そう。学校で待ち合わせてる」
そのほうがいい。和人単独で行って、ピアスが見つかったら、絶対にショックを受けるやつがいる。その表情を想像して、私は苦笑した。
はたして本当にその通りになったときには、より笑うしかなかった。
「和人さん、耳……」
瞠目して震える海は、久しぶりに会った和人の変化に真っ先に気がついた。やっぱりね。それに続いて、黒哉とか他の後輩たちが和人の耳に注目する。
「ピアスあけたんですか。マグネットじゃなく」
「うん、本当に穴あいてるよ。見る?」
黒哉は冷静だった。ピアスくらい見慣れてるんだろう、そういうアクセサリーをする知人が多いそうだし。けれどもこっちはそうはいかない。
「なんで落ち着いてるんだよ、黒哉! 和人さんが、自分の体に傷つけてるんだぞ?!」
「いや、ピアスくらいどうってことねーだろ。海が取り乱しすぎだ」
「僕もそう思うよ。僕だって大学デビューくらいするんだから」
「でも……」
わかってる。海は和人の体に傷がつくのが、とにかく嫌なんでしょう。まったく、昔から憧れを崇拝しすぎて面倒なことになるんだから、この子は。私が呆れて見守っていると、傍らにいた流が困ったように笑いながら海の頭に手を置いた。
「悪いな、海。これ俺とおそろいなんだ。ほら」
そうして流も自分の左耳を見せる。同じ銀色の粒が光るのを見て、海の表情が変わった。狼狽から、軽い敵意に。
「流さん、そうやって和人さんを唆すのやめてください。いくら幼なじみだからって……」
「あ、それは」
和人が弁解しようとしたところで、流はその肩を叩き、口元に人差し指を当てた。この勘違いはそのままにしておけ、ということだ。そうすれば、和人が自発的に、それも自傷目的でピアスの穴をあけたことは知られない。流が全て引き受けて、受け流してしまえば、その場はおさまる。
和人は困惑してたけど、私はそのやりかたでいいと思った。だって、もし私が人鬼なんかじゃなく、鬼に成っているかあるいは人間として生きていたら、きっと流と同じことをしていただろうから。
「あけてしまったものは仕方ないですけど、あんまり無茶はしないでくださいよ」
不満げに言う海に、和人は笑って頷いた。なんだかんだで、恋人の気遣いも、後輩が慕ってくれるのも、両方嬉しいのだ。
しかし、ピアスを通じて流と和人がこれまで以上に仲を深めるのは良いとして、それでは私がちょっとだけ悔しい。人間は人間同士関係をつくっていけばいいのだから、私が入る隙はないほうがいいのだけども、陰ながらずっと二人と一緒にいた私としては除け者にされるのは寂しい。
だから私も左耳に触れてみた。右手の爪をできる限り鋭く伸ばして、耳をつつく。そして目を瞑って念じれば、そこには小さな塊がついた。私には自分の耳は見えないけれど、和人にはちゃんと見えたようで、驚いている。
私だって日々の修行の成果で、自分の体を変化させることくらいはできるようになったのだ。ピアスのようなものを顕現させることも、今は可能だ。これで三人お揃いになった。
満足気な私を、和人は横目で呆れたように見る。あんたがピアスの穴をあけたとき、私だって同じ表情をしてたんだからね。
どうせピアスをやめればいつかは目立たなくなり、塞がってしまう穴だ。私たちの関係と同じ。だから今くらいは良いでしょう。
私もあんたの甘えを、寂しさを、許してあげるから。