入学式が終わったら、履修登録や必修科目のガイダンスと、基礎科目のクラスの確認。大学生活一日目はなんとも忙しい。思わずため息が漏れた。
入試の際の成績で分けられたという英語とレポートの書き方などを学ぶらしい基礎ゼミのクラスは、大講義室の前の掲示板に貼り出されている。ガイダンスまでは少し時間があるようなので、先に確認しておくことにした。
掲示板に群がる、自分と同じ新入生。手をとりあう女子は、入学前から知り合いだったのか、それともさっき知りあったのか。どうでもいいけれど、そこを退けてくれたら掲示板が見やすいのだが。
そう思っていたら、どうやら同じことを考えていた奴がいたらしい。
「あーごめん、ちょっと前進ませてくれる? 掲示板見たいんだよね」
軽い調子できゃあきゃあと騒いでいた女子に声をかけて、そのまま掲示板のほうへと歩いていく。せっかくだからそいつについていくと、案外簡単に掲示板に辿り着けた。
――
あった。学籍番号と名前。英語はAクラス、基礎ゼミは川西ゼミ。
「うわ、英語Aじゃん……そんなに点数とった憶えないのに」
さっき道を開いた奴が、斜め前に立って呟いた。茶髪に着崩したスーツと、見た目は軽そうだが、意外に頭の中身は詰まっているらしい。
「基礎ゼミは川西ゼミね。総合教育棟412号室っと……
思ったことは全部口に出すのか。やっぱり頭悪そうだな。と思ったが、こっちは口に出すわけにはいかない。どうやらこの男とは、少なくとも夏休み前までは同じ部屋で講義を受けなくてはならないらしい。しかも二つも。いや、もしかしたら、もっと。学部が一緒ならあり得る。
思わず顔をしかめたところへ、高い声が聞こえた。
「英語はBでー、基礎ゼミは川西ゼミね。……うーん、英語絶対滑り込みだよねえ……
さっき聞いたのと似た内容。横目で見れば、明るい色の髪をふわりと巻いた、背の低い女子の姿。彼女も同じ講義を受けるのか。見た目はやはり利発そうには見えないし、多分関わることはないと思うが。だが、同じことを声に出した二人はその時点でつながりをもったようだった。
「お、君も川西ゼミ?」
「もしかして同じ人? よろしくね。あたし、廿日朋!」
「オレは茶木基頼。ガイダンス一緒にどう?」
「やだー! 茶木君、それナンパみたーい!」
五月蠅いつながりができたようだ。しかも人を挟んで。確認が終わったなら、さっさとガイダンスのある教室に行ってほしいものだ。
「で、君はどこのゼミ?」
自分は彼らと関わりあいにならないものだと思っていた。タイプもまるで違う。だからこの言葉が自分にかけられたものだと、初めは思わなかった。けれども顔を向ければ、こちらを見る男――茶木という、そいつの目。
……俺?」
「そうそう、君。さっきからしかめっ面で掲示板見てるじゃん」
それはお前らが五月蠅いからだ、なんて返せたらすっきりするだろうなと思いながら、正直に答えた。
「英語Aクラス、基礎ゼミは川西ゼミ」
「オレと一緒じゃん! よろしく!」
「ゼミはあたしも一緒ー! 名前なんていうの? あたしは廿日朋!」
「オレは茶木基頼!」
さっき聞こえたよ、騒々しいな。けれども離れてくれそうもなかったので、俺は渋々自分の名前を彼らに告げた。
……武池。武池直」

履修登録ガイダンスが行なわれる講義室は、まだ時間が早かったのか、集まっている学生はまばらだった。もう少しのんびりしていたかったのに、さあ行こうやれ行こうと茶木と廿日に連行されてきて、前から二番目の窓側に三人ならんで陣取った。というか、そうさせられた。
しかも茶木と廿日がよく話すのだから二人で並べばいいものの、俺を挟むようにして座るものだから、両側が五月蠅い。質問もよく投げかけられるので、それに応えるのも面倒だ。
「廿日さん、女子寮なんだ。飯美味い?」
「うん、それなりに。武池君は独り暮らし?」
……下宿」
「あ、オレもオレも! でも、来年からはアパートに移るつもりなんだよね。下宿も親が勝手に決めててさあ、それも親戚の家だから安心って理由だし。むしろ居づらいっての!」
早くガイダンスが始まって、この二人が黙ればいいのに。そう思っていたら、前の席、つまり一番前の列に、スーツ姿の人物が座った。たぶん男なんだろうけれど、髪が少し長いのと、線が細いのとで、性別が明確にならない。なんとなく見ていたら、茶木がその視線に気づいたようで、俺を見てにやりとした。なんだ、その笑みは。
「武池ってシャイなの?」
「は?」
「気になるんなら話しかけりゃいいじゃん。ねえねえ、君」
どうやら茶木は、俺が前に座った奴に話しかけたがっていたと思ったらしい。とんでもない誤解だったが、それを解く前に、もう前に座ったそいつは振り返っていた。茶木に肩を叩かれたのだ、無視するわけにもいかなかったのだろう。
こっちを見たその顔は、なかなか整っていた。パッと見て「頭がよさそうだ」と思わせる。茶木や廿日とは印象がまるで違った。
「何か?」
発した声は男にしては高く、女にしては低い。見た目も声も中性的だが、たぶん男だ。男でいいと思う。微笑んでいたが、表情はどこか引き攣っているようにも見えた。
「オレさ、大学の知り合い増やすために、人に話しかけまくってんの。名前は茶木基頼、基礎ゼミは川西ゼミで、英語のクラスはA」
相手にかまわず、茶木は淀みなく言葉を発する。さすがに相手も引くだろうと思いながら表情を窺うと、やはり戸惑っているようで、けれども微笑みが崩れることはなかった。わずかな引き攣りも変わらなかったが。茶木はそれに気づいているのだろうか。
「あ、ゼミと英語は同じだね。じゃあ、半年は顔を合わせることになるか」
どういう偶然だろう。どうやら向こうも同じゼミらしい。英語のクラスは納得だ、見るからに賢そうだし。茶木が会って声をかけた人間がどれくらいいるのか知らないが、こうも同じゼミの人間ばかり集まるとは、正直驚きだ。
それは廿日も同じだったようで、勢いよく身を乗りだして発言した。
「あたしもゼミ同じ! 廿日朋です、よろしくね!」
本当にこの二人は遠慮がない。その上、茶木は俺の腕を掴んで「こいつは武池直!」と勝手に紹介した。大きなお世話だ。こいつらと仲間だと思われたくない。……席順からして、それは無理だと悟ったが。
相手はくすりと笑って――この瞬間、引き攣りはなくなった――自らも名乗った。
「水無月和人です。どうぞよろしく」
普通に笑ったら、その辺の女子より美人だった。そのときはそう思った。
それから茶木と廿日はしばらく水無月に話しかけ続け、俺にそうしたように出身地と、独り暮らしであることを暴いた。どうやらここの隣の県の、山間の土地で生まれ育ったらしい。
そうしているうちに講義室には人が集まり、後ろのほうは隙間なく埋まり始めた。さらに騒がしくなってきた場に頭痛すら覚えていると、横――には茶木がいるので、正確にはその向こう――を黒いスーツの女子が通り過ぎた。髪が長く、前髪を耳にかけていて額が出ている。涼しい目は賢そうで、廿日とは大違いだ。どちらかといえば、水無月に似ている。いや、さっき見た水無月の笑みより、きりりとした彼女の表情のほうがやはり女性らしい美しさを持っていた。
「隣、空いているかしら」
彼女は水無月に話しかけた。水無月の隣にはぽかりと空席ができている。そこを狙ってきたのだろう。
「空いてますよ、どうぞ」
水無月は一度席をたち、隣の席を彼女に渡してから、また座りなおした。並んだ二人を正面から見たら、さぞや賢い学生が入ってきたものだと思うだろう。俺の両脇とは違って。
人を近づけないような雰囲気の彼女に、果敢にも話しかけたのは廿日だった。
「あの、基礎ゼミはどこですか? ここに座ってる四人はみんな川西ゼミなんですけど」
敬語になっているあたり、彼女の雰囲気を察しているのだろう。茶木よりは廿日のほうが遠慮を知っていそうだ。
急に話しかけられた彼女は怪訝そうな表情をしていたが、答えは返した。
「私もよ。おかしな偶然ね」
本当にそうだと思う。偶然集まった五人が五人とも同じゼミで、しかもよくよく聞いてみれば廿日以外は英語のクラスがAだった。廿日は英語が苦手らしい。
廿日と茶木が積極的な自己紹介をして、水無月と俺が二人に促されるように名乗ったあと、彼女は落ち着いた様子で、にこりともせずに言った。
「宮澤春観よ」
よろしく、とは一度も口にしなかった。

それから俺たち五人は、よく行動を共にするようになる。といってもこちらの姿を見つけた茶木や廿日が、容赦なく声をかけてくるのだが。ただ、茶木たちが水無月や宮澤を集めてくれるので、どうせ知り合いになるならこの二人とが良いと思った俺には都合が良かった。宮澤は俺と同じようなことを考えていたようだ。水無月は、この時点ではよくわからなかった。一番考えが読めない。
そのうち基礎ゼミや他の講義などを通して互いのことを知り、後に専攻をも同じくして、五人で同じゼミに配属されることになるのだが、それはまだ先の話だ。