手軽にできるツマミをいくつか。ささみとししとうを炒めたやつに、ゴマをふった塩キャベツ。昨日の残りの煮物も出してしまう。秋も深まってきたところだし、夏みたいにすぐ傷んだりはしない。むしろ味が良い具合にしみているはずだ。
あと他に作れるものはないかと思案していると、幕内さんが台所に入ってきた。
「ねえ、さっき買っちゃった生ハムだけど、これで何かできないかしら」
そういえば買い物中、何か意を決したようにかごに放り込んでたな。そのまま食べてもいい気もするけど……そうだ。
「柿があるんで、巻いてみます。生ハムメロンとかあるんだったら、柿でもいけるでしょう、たぶん」
「あら、なんかオシャレじゃない? 井藤君って本当に料理好きよねえ」
こんなに美味しいものが食べられるのに舟見先生は来ないなんて、もったいない。幕内さんはそう言うが、俺としては舟見先生を家に呼ぶ勇気はない。超先輩でベテランで学年主任である舟見先生をこんな小さい部屋でもてなせるかどうかというのもあるし、第一、あの人には妻子がある。パソコンのデスクトップ画像を家族写真にしてしまうほど、愛妻家で子煩悩なことを俺は知っている。だから幕内さんの誘いも断ったんだろう。
「あ、椿ちゃん誘えばよかったかしら。今からでも大丈夫かな」
「椿さん? ああ、声かけたら来るかも。呼んでいいですよ」
「じゃあメールしてみるわね。これで私が最年長じゃなくなるわ」
気にしていたのはそこか。たしかに幕内さんのほうが、俺と服部より若干年上ではあるけれど。苦笑しながら、俺は幕内さんから受け取った生ハムを開封し、冷蔵庫から貰い物の秋の味覚を取り出した。
「井藤、何か手伝えることはないか」
テーブルのほうから、服部が尋ねる。でも俺は首を横に振って、「いいって」と言う。
「今日はお前を労おうと思って呼んだんだから。ゆっくりしてろ」
子供たちだけでなく、俺たち教員にとっても怒涛の日々、文化祭の日程が全て終了した。今日はその打ち上げを、この手狭だが居心地は悪くないアパートでやろうというわけだ。

教員生活四年目。毎日の忙しさにも慣れ、けれども噴出する問題にはいまだに頭を抱え立ち向かい続ける日々。そんな中、俺と同期の服部は、同じアパートに住んでいるという偶然も手伝って、よく一緒に飲み会を開いている。
ときどきここにアパートの他の住人や、今日のように教員仲間である幕内さんなんかが加わって、酒の勢いで悩みなんかをぶっちゃけたり、酒がなくとも飯を食いながら色んな事を駄弁ったりしているのだ。美味い飯は舌を滑らかにする。
料理は大抵俺の役目だ。材料費や酒代を割り勘にして、ガス代水道代を気持ちばかりもらいながら、居酒屋井藤は開店する。ばあちゃんから受け継いだ味は、おかげさまで客に好評だ。
生ハムメロンならぬ生ハム柿を作っていると、幕内さんは椿さんと連絡がついたようで、「ちょっと迎えに行ってくる」と玄関を出ていった。と、外で何やらきゃあきゃあと声がして、それから呼び鈴が鳴った。どうやら客が増えるらしい。
「こんばんはー! あ、俊也君やっぱりこっちだった」
「綾乃、来たのか」
「おう、綾乃ちゃんこんばんは。中入って温まりなよ」
「井藤君ありがとう! 突然来ちゃってごめんね、手伝えることある?」
綾乃ちゃんは服部の彼女だ。よくこのアパートに出入りしていて、ご近所さんや俺たちの同僚とも顔見知り。さっきのはしゃぐような声は、幕内さんと綾乃ちゃんが会って起こったものなんだろう。
ついでにいうと、綾乃ちゃんは超料理上手。手伝ってもらわない手はない。
「じゃあ、チャーハンに使う具材切ってくれる? ちょっと今手が離せなくて」
「はいはい。ご飯も準備できてるみたいだし、コンロあいてるし、このまま作っちゃうね。……うわ、井藤君、なんかおしゃれなもの作ってる。なにこれ、生ハムと柿?」
酒は十分にあるし、一人増えたところで問題はないだろう。それに今日は服部の労いがメインだ。彼女がいたほうがいいかもしれない。当の服部は、なんだか落ち着きなく、テーブルにビール缶を並べていたけれど。
そうこうしているうちに幕内さんが椿さんを連れて帰ってきた。おじゃましまーすといつもののんびりとした口調で言う椿さんの手には、一升瓶の入った袋が提げられている。きっと彼女が好きだという、この町の南側の酒蔵で作られている地酒だろう。
「井藤君のご飯食べられるって聞いたから、酒瓶引っ掴んでダッシュで来たよー。もうテーブルの上がすでに美味しそうだねー」
「もうすぐ全部出揃うと思いますよ」
先に食べててくれてもいいんだけど。特に炒め物とかは。でも服部は、俺が作り終えるまで律儀に待っているのだった。いつものことだ。
「よっし、できた。綾乃ちゃん、チャーハンありがとな」
「いえいえ。井藤君ほど美味しくできたかどうかわかんないけど」
やっと本日のメニューが一段落したところで、テーブルを囲む。俺と服部、綾乃ちゃんに、幕内さんと椿さん。同年代の五人で、なかなか賑やかな宴になりそうだ。

まずはビールで乾杯。ツマミをつつきながら、まずは文化祭の話題。綾乃ちゃんを除く俺たち教員組が勤めている中学校の文化祭が、今日、無事に終わったのだ。いや、本当に何事もなかったというわけではない。ここまで来るのに、特に服部がどれだけ悩んでいたことか。
俺と服部が初めて担任を受け持ったのは、二年前の春。今担当している三年生が、一年生だった頃のことだ。当時から服部は、クラスの問題に頭を悩ませていた。
俺たちの勤める中央中学校のシステムでは、クラス替えは毎年あるが、担任は持ちあがりだ。一年C組を受け持った俺なら、そのまま翌年の二年C組、次の三年C組を担当することになる。同じく服部はA組を、ついでに幕内さんはB組、今ここにはいない舟見先生はD組を担当している。椿さんは養護教諭兼保健の先生だ。
で、服部の担当するA組というのが、一年生のときから癖のある奴の集まりだった。人より抜きんでた才能を持つ女の子と、それを疎ましく思う女子の一団。まもなくして彼女らの関係は最悪なものになった。つまり、いじめが起きたのだ。
服部はいじめた側を説得しようとしたが、すればするほどいじめはエスカレートした。叱られた子供たちの鬱憤は、矛先をいじめられていた側に向け、陰湿になっていく。結局教師陣は何もできないままだったが、そのうちいじめが落ち着いたのは幸いだった。何が良かったのかというと、別のクラスの、というか俺のクラスの生徒がいじめの現場に出くわし、いじめた側と真っ向から対決したのだ。そうしていじめられていた子と仲良くなり、しょっしゅう会うようになった。
翌年、いじめられていた子は俺のクラスになり、助けた子と同じ教室で授業を受けるようになった。二年生のあいだは平和だったし、服部もかなり気が楽だったようだ。
ところが三年生になって、元いじめっ子と元いじめられっ子は再び同じA組、服部クラスになった。かつて助けに入っていた子とはクラスが離れ、いじめがまた起きた。それでも、初めのうちは何もなかったので安心していたのだ。なにか再開のきっかけがあったのだと思う。
服部はその状況にずっと苦慮していたが、またしても解決したのは生徒自身だった。教師たちが何も手を出せない、いや、出さないうちに、生徒同士で問題をクリアしていたのだ。その結果が今年の修学旅行や文化祭だ。特に文化祭は、やっと服部のA組が一つのクラスとして活躍することのできた、重要な舞台だった。
クラスの状況に、教師が何も手を出さないのはもちろん怠慢だと思う。けれども対応を間違えたら、もっと酷い事態を招く。そんな服部のジレンマを救ったのは、最終的には、生徒当人たちだった。
「これで良かったんだとは思う。でも、俺はあいつらに何もできなかった。相談すらあまりしてもらえなかった。これで教師なんて名乗っていいのか……
酒が入った服部の決まり文句が出た。生徒のことを気にしているのに、それを行動に移せなかったと、行動してもうまく立ち回れなかったと、いつだってこいつは後悔している。
俺がそれに答える前に、幕内さんがコップに酒を注ぎながら言った。
「服部君。もう四年目だからわかってると思うけど、礼陣の子たちって良くも悪くも物事を自分でどうにかしようとしちゃう子が多いのよ。悪い方向に転がると自分の力を使って相手を貶めようとするし、良い方向にいけば自分自身が成長しようとする。あなたのクラスは、たまたまそれが顕著に出てたの」
この町の子供たちの、いや、たぶん人々の特徴なんだろう。そもそも他人に頼るということを、ぎりぎりまでしないのだ。もう限界、というところまで来ないと、その選択肢を選ばない。
一方で、他人に「自分を頼れ」という人々はたくさんいる。自分なら何とかできるかもしれないから、と。世話好きだけど、世話されるのは遠慮するのだ。
けれども状況が変われば、人は変わらざるをえない。逆に人が変われば、状況も変わる。
「それに、最近は服部君に相談する生徒、増えてきてるじゃない。このままいけば卒業まで安心よ」
「子供たちの成長もわかりやすいよな、A組は」
「それは……当人たちの成長ももちろんだが、それを手助けしている奴がいるからな。井藤のクラスに」
ビール缶を持ったまま、服部は俺を指さす。誰のことを言っているのかすぐに分かって、俺は複雑な気持ちで笑った。
「加藤はなあ……あいつこそ典型的な礼陣っ子だから。人にはどんどん自分を頼れって言って、自分自身のことは溜めこんで。そういえば、野下もそうだったな。あいつの場合は水無月がいたから、吐き出せてたかもしれないけど」
今、というかこの三年間ずっと俺のクラスにいる加藤詩絵は、いわゆるリーダータイプで、いろんな物事をまとめようとする。そして同じような奴が、俺と服部が教員一年目に出会った生徒にもいた。人を惹きつける魅力と引っ張っていく力があるところが、あいつらは似ているかもしれない。
名前を出すと、椿さんが手を叩いてにっこりした。
「わー、懐かしい名前。そういえばこないだ、お茶会用の着物新調しようと思って呉服店に行ったら、二人仲良く働いてたよー。本当に仲良しだよねー」
「普通に街中歩いてたら、一緒にいるの見るものね。あの子たちももうすぐ高校卒業か、早いわねえ、時が過ぎるのって」
話題を少しずらしたら、服部の表情も少し明るくなった。隣にいる綾乃ちゃんもホッとしたようだ。そうだ、まずは俺たちが溜めこんで自爆しないようにしなくちゃな。そのための飲み会だ。
「服部、まだ愚痴ある? 今のうちに全部言っちゃえよ」
「しいていうなら、いつもC組が美味しいところを持って行くってところだな」
「えー、合唱コンクールはA組が最優秀賞とっただろ」
「AとCはいつも目立つわよね。B組も頑張ってるのに」
「幕内さんまでそう言う……
俺が担任をしているC組は、言ってしまえば、加藤のおかげでもってるところがあった。というか、俺も加藤に頼っていた。情けない教師だと思う。
だからその加藤に、「井藤ちゃんみたいな先生になりたい」みたいなことを言われたときには、恥ずかしいやら嬉しいやらで、顔が熱くなった。ああ、こいつは俺のことをそんなふうに思ってくれてたんだって、すごく感動したものだ。
加藤だけじゃない。C組の奴らは、みんな良い奴で、俺を教師として認めてくれている。こっちはそんな彼らに助けられて、なんとか教師をやっているのだ。
たぶんそれは、服部も、幕内さんも、もしかしたら舟見先生だってそうかもしれなくて。
俺たちが教壇に立てるのは、あいつらがいてくれるからだ。俺たちを頼ろうと、頼らなかろうと。できれば頼ってくれると嬉しいけれど、そしてそれがあいつらのためになればいいけれど。こっちも人間で、神様みたいに何でもできるわけじゃないから。
……生ハム柿、面白い味だな」
いろいろと考えながら初めて食べた生ハム柿は、柿の甘みが強いはずなのに、塩味がきいている気がした。

良い感じに酔っぱらいながら、追加のツマミを綾乃ちゃんにお願いして(ものすごく酒に強いのだ)、俺たちはぐだぐだと駄弁り続けていた。やっぱり学校内でのことが主だったけれど。
「そういえば服部君のクラスの入江君と、井藤君のクラスの須藤さんって、付き合ってるの?」
椿さんが一升瓶を抱えながら発した言葉に、俺と服部ははたとコップを傾ける手を止めた。服部はどうか知らないが、俺としては半分肯定、半分否定ってところだ。だってあの二人が両想いなのは、きっと間違いないんだから。入江の態度はあからさまだし、須藤も見てりゃだいたいわかる。
「付き合って……ないんじゃないですかね、まだ」
「でも準備期間の終わり頃だったかなー、保健室で二人っきりで、なーんかいい雰囲気だったよ」
……幕内先生、こういうのって」
気をつけたほうが良いんですか、と服部は言おうとしたんだと思う。でも先回りして、幕内さんは豪快に笑ってから言った。
「温かく見守ってあげればいいのよ、別に悪いことしてるわけじゃないんだし。あなたたちにだって甘酸っぱい思い出の一つや二つあるでしょ。ねえ、綾乃ちゃん」
「そうですね、私と俊也君も学生時代からの付き合いですし。……はい、ちくわ詰め。こっちがクリームチーズで、こっちはきゅうり。簡単なものでごめんね」
「凝らなくていいよ、もうこんな時間だし。……で、あの二人はたぶん問題ない」
「二人は問題なくてもだな。入江が……その、親とか結構強烈だし、女子と何かありそうだってのが知れたら面倒なんじゃないかと」
ああ、そういえば。服部のクラスの入江新は、親が大変なんだっけ。服部の悩みはまだまだ解消されなさそうだ。きっと受験が終わって、あいつらが卒業して、公立高校の合格発表が出るまで。
「その面倒も、見守ってやって、助けが必要なら手を差し伸べてやるのが俺たちだろ」
「できる範囲でね。なんでもかんでも見張ったり管理したりじゃ、子供たちのためにならないわ」
教師として、大人として、子供たちにできることをしよう。それが俺たちの仕事だ。
でもって大人の悩みは、こうやって大人同士で、酒でも飲みながら語り合おう。
「まあねー、大人より子供のほうがしっかりしてたりするからねー」
「それは否定できない」
やっぱり子供の前では、少しでも頼りがいある大人でいたいからな。