遠川小学校五年二組の、吉崎雄人と宮川紗智、そして鹿川透にはそれぞれ秘密がある。お互いに知らないのに、まったく同じ秘密が。
全てを知っているのは、彼ら全員に関わった、根代八子ただ一人。
「呪い鬼のことは、誰にも言わないでね」
彼女がそう言ったから、三人とも秘密を守っている。

礼陣には「鬼」がいる。彼らは人間と同じように、この町で暮らしている。けれども頭につのがあり、不思議な力を使えるという、人間とは大きく違う部分がある。だから普段は人間の生活を妨げないように、その姿を見せないようにしているのだ。
しかし普通の人間には見えないはずのその存在が、自らの力を制御できず、その姿を人間の前に表してしまうことがある。多くの場合、それは怒りや悲しみといった激情に支配された状態で、人間や他の鬼などに危害を加えてしまうことがある。そうなった鬼を「呪い鬼」というのだが、このことは礼陣の人間の中でも一部でしか知られていない。
鬼は人間を守ってくれる、尊くかつ親しい存在。その認識を壊してしまう「呪い鬼」の存在は、可能な限り隠されてきたのだった。
そのために、呪い鬼の背負った呪いを迅速に祓うという行為がなされる。呪いを祓うことは神社にいる神主さん――その真の姿は、鬼を束ねる大鬼様だ――にしかできないのだが、鬼が呪いを背負わないように気を配ったり、呪い鬼となってしまった鬼が他者を傷つけてしまわないよう、場合によっては闘うこともする者が別に存在する。それが「鬼追い」だ。
鬼追いができるのは、鬼を普段から視認することのできる「鬼の子」に限られる。鬼の子は大抵の場合、両親あるいは片親を喪ってしまった子供で、鬼が彼らの親代わりをしているのだといわれている。だが鬼の子の全てが鬼追いになるというわけではなく、鬼と関わる能力が特に強い者や、自らそうなることを望んだ者が、その役目を負う。
根代八子――やつこは鬼追いであり、呪い鬼に遭遇してしまった者を助けたことも何度かある。そもそもは自身が呪い鬼に遭ってしまったことがきっかけで、鬼追いとなることを決めたのだ。

雄人が呪い鬼に遭ったとき、駆けつけたのがやつこだった。けれどもこのときはまだ、やつこは鬼追いではなく、雄人のところへ来たはいいもののなす術がなかった。この窮地を救ってくれたのは、やつこと雄人の剣道の先輩であり、すでに鬼追いであった海だった。
雄人は呪い鬼について、あとになってやつこから話を聞いた。普通の鬼は、呪い鬼のように恐ろしいものではなく、優しく頼もしい存在であることを教わった。
だから雄人は、呪い鬼のことを他言しない。鬼は、礼陣の人々が信じる通りの温かな存在なのだ。わざわざそれを覆すようなことはない。
紗智は呪い鬼を巡り、やつこと衝突したことがある。鬼に呪いを溜めこませてしまった原因が、紗智にあったのだ。
神社で恨み言を吐き続けていた紗智の願いは、彼女に好意を寄せていた鬼によって聞き届けられた。恨みを背負ってしまった鬼は呪い鬼となり、紗智の思いに応えるように力を暴走させてしまった。その呪い鬼を相手に鬼追いをしたのが、やつこたちだった。このできごとをきっかけに、それまであまり話すこともなかったやつこと紗智は仲良くなり、今では行動をともにするのが当たり前になっている。
紗智も呪い鬼の話はしない。呪い鬼を生み出してしまったのが、紗智自身だったからだ。彼女を守るために、やつこたちは呪い鬼のことを秘密にしておくように言ってくれたのだった。
透は礼陣に引っ越してきて、やつこたちのクラスに転校してきた、それまで鬼とは縁もゆかりもない少年だった。
彼が神社に石を投げてしまったことが鬼の心を傷つけ、呪い鬼にしてしまった。いつもならそんなことで呪い鬼が生まれることはないのだが、たまたまその鬼が憂鬱だったのである。
呪い鬼に襲われそうになった透を助けたのが、そこに居合わせたやつこだった。呪い鬼を止めただけでなく、癒そうともした。呪い鬼のことを口止めされたのは後になってからだったが、これも鬼の立場を守るためだけでなく、透自身を守るためだった。

そういうわけで、呪い鬼の遭遇したことのある三人は、それぞれそのことを秘密にしている。どうしても話したくなったときは、やつこに言う。同じ秘密を持っている三人が、別々にやつことそのことを話すというのはなんだかおかしなことだが。
そのおかしな様子を、ちょっと離れたところから見ているのが、普通の人間で呪い鬼にも会ったことのない、志野原結衣香だった。けれどもその光景についての疑問を口にすることはない。やつこが鬼と深い関わりを持ってことを知っているからだ。きっとやつこにしかわからない特別な事情があるのだろうと、納得している。


互いに秘密を抱えていても、やつこ、雄人、紗智、透、結衣香の五人は仲が良い。同じ五年二組の教室で笑いあい、一緒に六年生になろうとしている。
「ねえねえ、今度、六年生を送る会やるでしょ? それがうまくいくように、神社にお参り行こうよ」
もうすぐ、六年生が卒業してしまう。そのお祝いの会を、五年生が主体となって行うのだ。今年はやつこが五年二組のリーダーに選ばれた。他のクラスのリーダーとの話し合いと、クラスの中での話し合いを繰り返して、送る会を成功に導く大切な役目だ。
さすがのやつこも緊張していて、まさに神様にも縋りたい思いでいることを、友人たちはたった今知ったのだった。
「やっこなんか、余裕でクラスリーダーできると思ってた」
「そんなことないよ。だって、送る会のはじめの言葉も読まなきゃいけないんだよ。噛んだら恥ずかしいから、家で練習してるんだけど、何回やっても噛んじゃうんだよね」
「やっこちゃんなら大丈夫だよ。噛んでもみんな笑って流してくれるから」
「ゆいちゃん、それ大丈夫じゃない……
剣道の試合のときも落ち着いているやつこが、こんなに緊張を表に出しているのは珍しい。もちろん困ったことがあったら手伝うつもりでいた友人たちだが、まさか最初のお願いが「一緒に神社に行くこと」だとは思わなかった。
「ね、お願い。みんなでお参りしたら、鬼たちも助けてくれると思うんだ」
普段から鬼が見えるはずのやつこがそう言うのだから、よほど失敗したくないのだろう。雄人は溜息をついて、「わかったよ」と頷いた。
「今日は稽古もないし、放課後に行こうぜ。予定ある奴いる?」
「わたしは大丈夫。さっちゃんは?」
「わたしも予定はないけど……
「鹿川は?」
「俺も暇。ていうか、根代さんがこんなに緊張してるの、初めて見た」
「わたしだって緊張するよ。それじゃ、放課後よろしく!」
神社に行くことは、礼陣の人々にとってはよくあることだ。境内は子供たちの遊び場にもなっている。けれどもこうして友人同士で約束をして、みんなで一緒に行くのは初めてだ。
遠川小学校から礼陣神社までは、少し遠い。けれども、歩いて行けない距離ではない。五人の子供たちは連れ立って、遠川地区の住宅街を抜け、大通りを渡り、駅裏商店街を東側に抜けていった。そこに礼陣神社の石段があり、その端を一列になって上がっていく。
濃い緑色をした鳥居をくぐると、そこが境内。他の学校の子供たちや、近所の人たちの姿もある。そしてやつこには、そこにいるたくさんの鬼の姿も見えている。
周りの人々に挨拶をしながら、手水舎で手と口を清める。拝殿に向かって一列に並び、大きな鈴をガラガラと鳴らして、二礼、二拍、そして一礼。
「送る会がうまくいくように、見守っていてください」
その願いは、鬼たちが聞いてくれる。こういう願い事なら、大歓迎だ。
「これでやっこの緊張も少しはましになるといいんだけどな」
雄人がそう言って笑うと、やつこは苦笑する。他の子供たちには聞こえていないが、鬼たちにも同じようなことを言われているのだ。
ふと、透が拝殿を見上げる。以前は石を投げたが、本当は神社のことに詳しく、誰よりも興味を持っている透だ。神様が実在しているこの町への関心は人一倍だ。
「ここの願いって、絶対叶えてくれるものなのか?」
独り言のような問いだったが、紗智がこくりと頷いた。
「絶対、ではないけど。鬼たちは叶えようとはしてくれるよ。……悪いことをお願いすると、それも苦しみながら叶えようとしてくれちゃう」
それを経験してしまってから、紗智は神社で恨み言を言ったことはない。やつこはそれを知っているので、そっと紗智の手をとりながら言う。
「鬼はみんな、人間のことを好きでいてくれるから。人間の願いは知りたいし、叶うようにがんばってくれるんだよね。だからね、見守っていてくださいっていうのが、一番鬼を悩ませないんだよ」
「願掛けの方法としては正しいな」
神様というのは本来そういうものなのだと透が言うと、結衣香が感嘆する。
「鹿川君、やっぱり神社とか神様とか好きなんだね」
「興味はあるよ。この神社のことだって、もっと知りたいし……
拝殿の前で話をしていると、石段のほうから誰かが歩いてくる音が聞こえた。ここにいては参拝の邪魔になってしまうと思い、やつこたちは横に退く。そうして石段を上がってきた人物を見て、やつこは「あっ」と声をあげた。
遠川中学校の制服を着たその人は、やつこの先輩だった。
「海にい、こんにちは!」
「あ、マジで海にいだ。こんちわー!」
やつこと雄人がそれぞれ挨拶をすると、こちらに気づいた中学生は爽やかに笑った。
「こんにちは。やっこちゃん、雄人。今日は賑やかだね」
やってきたのは、剣道の先輩である海だった。顔見知りである結衣香も丁寧に頭を下げる。紗智は小さく頭を下げてから、さっとやつこの後ろに隠れた。その様子に首を傾げながら、透も初めて見るその人に礼をする。
全員の顔をぐるりと見渡してから海は腕組みをして、透に目を留めた。
「結衣香ちゃんと紗智ちゃんはわかる。でも君は初めましてだ。……ということは、鹿川透君か」
「はい。ここの人、引っ越してきた人はすぐわかるんですね」
「人ばっかり多いけど、そんなに大きくない町だからね。俺は剣道場の進道海。よろしくな」
「よろしくお願いします」
よくやつこや雄人が話している通り、優しそうでかっこいい先輩だと思う。けれども、紗智はどうして隠れているのだろうか。恥ずかしいというには、表情が硬い気がする。不思議そうにしていると、海が困ったように笑った。
「透君には、怖がられないといいなと思ってたんだけど」
「怖がる?」
透は紗智が海を怖がっているらしいと思い至る。この人の何が怖いのかはわからないけれど、紗智には印象が良くないようだ。
それもそのはず、紗智は鬼を呪い鬼にしてしまったときに、海にこっぴどく叱られている。彼に会うと、そのときのことを思い出してしまい、まともに顔を合わせられないのだった。
「俺は怖がらないですよ。根代さんや吉崎が、よく進道先輩がどんなにすごいのか話してくれますから。剣道、すごく強いんですよね」
「やっこちゃんたち、そんなこと言ってくれてたんだ」
「海にいはわたしたちの自慢だもん」
やつこが胸を張る後ろで、紗智が複雑な表情をしている。この対比に、透は苦笑した。何があったかは、紗智が言うまで訊かないでおこう。海本人が何も言わず、やつこたちも説明しないということは、きっとそれが正しい。
海は社務所に用事があるようで、そのままそちらへ行ってしまった。やつこたちも「そろそろ帰ろうか」と、石段に向かって歩き始める。
歩きながら、雄人が切り出した。
「さっきさ、海にい、鹿川のこと透君って呼んだよな。オレも透って呼んでいい?」
「かまわないけど……
「じゃあ、わたしも! 透君って呼ぶ!」
透が了承すると、やつこもそれにのってきた。本当は、透を名前で呼びたくて仕方がなかったのだが、海に先を越されてしまったので悔しかったのだった。
一瞬目を丸くしてから、透は破顔した。
「それじゃ、俺も吉崎のことは雄人って呼んで、根代さんのことはみんなみたいにやっこって呼んだほうが良いの?」
「そのほうが落ち着く」
「わたしも、やっこって呼ばれ慣れてるから、そっちのほうがいいな」
「志野原さんと宮川さんは……
「わたしはお好きにどうぞ」
「わたしはこれまで通り、名字でいい。男子から名前で呼ばれること、あんまりないし。紗智ちゃんなんていうの、進道さんくらいだもの」
そう言ってから、紗智は顔をしかめた。本当は、海には名前で呼んでほしくないのかもしれないと思って、透は複雑な気持ちになった。それを振り払うように、咳払いをする。
……じゃあ、改めて。やっこ、もう送る会のリーダーは務まりそうか?」
「うん、大丈夫! 噛んだって盛り上げてやるんだから!」
いつもの調子に戻ったやつこを見て、透も、雄人と紗智、結衣香も笑った。


秘密を抱えながら、成長していく子供たち。その姿を礼陣の鬼たちが見ている。目を細め、愛しげに。
新しい季節がやってくるたびに、新しい出会いがあるたびに、守りたいものが増えていく。
そのために呪いに蝕まれないよう、鬼たちも少し強くなる。心を穏やかにする術を身につけていく。人間が呪い鬼を見ずに済むように、鬼を恐れずにいられるように。
そんな鬼たちを鬼の子たちもまた見ている。何かあったら遠慮せずに話してほしいと、自分たちがきっと呪いなど背負わせないからと。
それはこの町の、密かな約束事。