薄く雪の積もる、舗装済の道を駆ける。
住宅街に入ると聞こえてくる、豆まきの掛け声。
春よ、来い。
春よ、来い。
それを聞き届け、彼女は笑みを浮かべた。
「神主さん! 豆買って来ました!」
神社の階段を駆け上り、肩でつく息がまだ収まらないうちに。
彼女は炒り大豆の袋を掲げ、叫んだ。
それに目を向けた神主はにこにこしながら、彼女に言った。
「愛さん。スカートが捲れていますよ」
「……おぉう。どこで引っ掛けたんでしょう……」
ついでに呼吸を整えながら、いそいそと制服のスカートを直す彼女から、神主は豆の袋を受け取った。
そして、すぐに開けた。
「あ、もう撒くんですか?」
「いいえ、お腹が空いているので」
「……神主さぁん……、作ってあげるから、もうちょっと我慢してください」
「今は何もないんです。買い物まで待てませんからいただきます」
「材料も買って来ました! ……って、もう食べてるし」
豆をぽりぽりと齧る神主を、愛と呼ばれた彼女は呆れながら見る。
ここに通うようになってもう暫くになるが、目の前の男を掴むことは未だかなわない。
「愛さん、ご近所はどうでした?」
唐突に話を始める神主を背に、愛は簡易な台所に立つ。
「遠川の方はみんな陽気そうです。社台も」
「駅前はどうですか? 南原地区は?」
「そこまで行ってませんよ。今日は学校だったんですから」
素早く卵をかき混ぜ、熱したフライパンに流し入れる。
慣れた手つきで厚い卵焼きを作り上げる愛を、神主はいつの間にやら後ろから覗き込んでいた。
「上手ですねぇ。お兄さんと弟さんが羨ましい」
「神主さんにもこうして作ってあげてるじゃないですか。食べたら行きますよ」
「そうですね……こんな日だから、ちゃんと連れてきてあげないと」
神主は皿に移された卵焼きを受け取り、その場で箸を入れた。
それを行儀が悪いとたしなめる愛の声は、どうやら届いていない。
卵焼きと少しの大豆で満足したのか、神主は足取り軽く、神社の階段を下りていく。
その後を愛が、苦笑しながらついていく。
これから二人は、歩ける範囲をぐるりと回り、必要があれば自分のなすべき仕事をする。
季節の分け目の邪気にあてられ、気分が沈んだ鬼たちを、神社に住まう大鬼の下へ連れて行く仕事を。
時には暴れる鬼もいて、結果的に人に害をなしてしまうことがある。
それを防ぐために、彼らは鬼を追う。
神主は自らを、そして協力者となった愛のことを、「鬼追い」と称している。
鬼と話し、説き伏せる神主。
鬼の怒りや悲しみを浄化し、癒す愛。
二人が歩く節分の日の礼陣は、傍目にわからなくとも、にぎやかな様相を見せている。
人に親しまれ喜んで、飲めや歌えや踊る鬼。
人に忘れられ悲しんで、涙流して風起こす鬼。
それらと共に喜んで、それらと共に悲しんで、鬼追いがこの町を行く。
さあさ一緒に行きましょう。喜ぶものは家に福呼び、悲しむものは社に帰ろう。
今宵は春を呼ぶ祭り。皆で幸せ願う節。
さあさ一緒に行きましょう。
鬼たちを引き連れて、神社に帰ってきた二人は、緑茶を淹れて一息ついた。
「今日は平和でしたね。人も鬼も楽しそうでした」
微笑む愛に、神主はちょっと考えてから返す。
「途中でいつ暴走するかわかんない、すごく悲しそうな鬼がいたんですけどね」
「え、本当に?!」
「でも愛さんが通ると幸せそうな顔になりました。癒されたんですね」
知らぬ間に鬼を助けていたことを知り、愛は照れくさそうに俯く。
神主にはそれが面白かったようで、「良かった良かった」と繰り返す。
それから立ち上がって、愛の買ってきた豆を持ち、外へ出る。
そして鬼たちでいっぱいになった境内に、差し入れと称して撒き散らした。
「今年もいい節分になりました。……また一年、どうか幸せにお過ごしください」
にこにこしながら、鬼たちに語りかける。神主の後姿を、愛もまたにこにこしながら見ていた。
ここは礼陣、鬼神社。
鬼と人とが暮らす場所。