ここに、ぐでんぐでんに酔っぱらった奴が一人。飲むと眠くなる体質らしいのは知っていたが、本当に寝こけているのは初めてかもしれない。といっても、一緒に酒を飲み始めてからまだ半年程度なのだが。
「あら、完全に落ちちゃってる」
「起こしたほうがいいよね。このままにしておけないし」
女子二人が、おーい、と声をかけても返事はない。ただの屍のようだ。というわけで、こいつを引きずっていく役目が必要だ。
「いいよ、俺が送ってく。こいつの家は知ってるから」
「行ったことあるの? あっし君」
「前に漫画貸したときに行った」
まったく、サークル部長のくせに、しんでしまうとはなさけない。

そもそも今日の飲み会は、こいつ――礼陣大学映画鑑賞サークルの部長、野下流が言いだしたことだ。
ちなみに映画鑑賞サークルは一昨年、流が入学して創ったもので、メンバーは俺と流を含めても五人しかいない。新メンバーを勧誘しようと思ったら、大規模で歴史もある映画研究会にとられていったのだ。まあ、そのあたりは、こっちが未認可サークルであるから仕方がない。活動だって、向こうが映画鑑賞から製作まで幅広く取り組んでいるのに対し、こっちは好きな映画を持ち寄って観たり、町のミニシアターに出かけたりするくらいだ。つまり「観る」専門。しかも研究なんて大層なものはせず、ぐだぐだと感想を言い合ったりして、そのときにするお茶会や飲み会がメインになってしまっていることはしょっちゅうだ。
今回の飲み会もそんな流れかと思ったら、そうではない。朝から元気のなかった流が、共通の講義が終わった途端に俺に絡んできたのだ。
「あっし、今日飲みに付き合って」
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センチくらいある巨体がもたれかかってきたら、「重い」以外の感想はない。あ、「うざい」があった。
「飲むのはいいけど、何かあったのか? 落ち込んでるみたいだけど」
さりげなく流を押しのけながらたずねると、「そうなんだよー」と沈んだ声が返ってくる。
「昨夜、和人にこっぴどく叱られてさ。謝らせてももらえなくて」
「ああ……
それは落ち込むな、納得した。話でしか聞いたことはないが、和人という人は流が付き合っている相手で、普段はそれはそれは穏やかな人物なのだそうだ。怒るのも、年に一度あるかないかというくらいらしい。
「原因は?」
「それを愚痴るための飲みだよ」
「あ、そう……
これは酔っぱらうと面倒なことになりそうだ。俺はすぐさまメールで応援を呼ぶ。同じサークルのキリさん、みやさん、シマさんに、「流が飲みたいそうなので助けてください」と打って一斉送信すると、まずキリさんから返事が来た。
「キリさんはバイトだって。でも、バイト先の居酒屋予約しといてくれるってさ」
「さすがキリさん。女子は?」
まだ返事が来ていないみやさんとシマさんは女子だ。流の相談事なら、この二人がいてくれたほうがいい。
「あ、みやさんとシマさん一緒にいるんだ。大丈夫だってさ」
「そっか、じゃあ四人だな」
女子達の都合により、本日の飲み会は五コマが終わってから。店は六時で予約してもらった。さて、いったいどんなことになるのやら。

店は礼陣大学からさほど離れていない場所にある、学生に人気の創作料理居酒屋。キリさんはここでアルバイトをしているが、厨房でもホールでも信頼されているらしい。急な予約でも融通をきかせてくれる。
味はいいし値段も高くないので、礼大生はよく利用している。みやさんとシマさんもお気に入りで、何かあると「じゃあキリさんとこ行こう」という。俺たちの中では、この店は「キリさんとこ」なのだ。
店に着くと、キリさんが出てきて、座敷に案内してくれた。ついでにお通しなんかも全部キリさんが持ってきてくれる。
「流、どうした? えらく落ち込んでるな」
「和人に叱られた」
「叱られるほどの何をしたんだよ」
流と俺がしたような会話を、キリさんは苦笑しながら流していく。同じ学年ではあるが、一つ年上のキリさんは、俺たちよりずっと大人に見える。
「そーそー、事情を聞かせてくれないとね」
「テスト勉強そっちのけで来てるんだから」
シマさんとみやさんが口々に言うと、流が「それだよ」と低く呻いた。
「今、試験期間だろ。昨日の夜に元気かどうかって電話したら、ちょうど忙しかったみたいで機嫌悪かったんだ」
なんでも、この試験やレポートが立て込んでいる時期(俺たちもそうなのだが、おそらく向こうのほうが忙しかったんだろう)に励ますつもりで電話をしたら、和人君はレポートに追われているまさにその最中だったようで、苛立った様子でこう言ったのだという。
――
忙しいから、しばらく電話もメールもやめてくれないかな。
……
流には申し訳ないけれど、俺は和人君に同情した。俺だって、忙しい時期に遠方の友人から大した用もないのに連絡が来たら、そっけなく返してしまうだろう。それが親しい人であればあるほど。
「連絡するなって言われたら謝ることもできないし、俺このままじゃ試験勉強なんかできない……
「大袈裟だね、のったん。謝っちゃえばいいじゃん」
一杯目を一気に飲み干し、次の注文をしようとする流に、みやさんは明太クリームをたっぷりつけたポテトフライを頬張りながら言う。みやさんは流の苗字「野下」をもじって、こいつのことを「のったん」と呼んでいるのだ。
「だって、連絡するなって……
「きっと和人君も、のったんにそういう態度とっちゃったことを後悔してるよ。早めに謝っておいたほうがお互いのためじゃない?」
「機会を逃したら、春休みまで会えないでしょ。それまで野下君がしょげてたら、こっちもめんどくさいよ」
シマさんは可愛い顔に似合わず、辛辣なことを言う。その言葉がざっくりと刺さったようで、流は運ばれてきた二杯目も一気に飲み干して、三杯目を選び始めた。このペースはまずい。
ときどき席に来てくれるキリさんも、「こんなに飲んで大丈夫なのか?」と心配していた。

はたしてその心配は現実のものとなり、会計を済ませた俺は今、流を引きずってこいつの実家へと向かっている。
俺たちの中で流だけが地元の人間で、実家から学校に通っている。家には偉いおじいさんとしっかりもののおばあさん、厳しい父親に明るい母親、それから賢い妹がいるのだという。俺は一度も会ったことがないけれど、流は家族のことをよく話してくれた。
さて、父親が厳しいとなると、家に連れて行った後こいつをどうしたらいいのかがわからない。できればこれ以上のダメージを与えないようにしたいところだけれど。
相変わらずでかい家に、やっとのことで辿り着き、俺は少し迷った。チャイムを鳴らすべきか、戸を叩いてみるか。この寒空の下、こいつを放置していくというわけにはいかない。
迷った末に、軽く戸を叩いてみた。引き戸は意外にも大きな音をたて、俺は驚く。だが流は完全に寝落ちていて、反応すらしない。ちょっと腹が立った。
音が室内に届いたのか、まもなくして、玄関の明かりが点いた。向こうには一人分の影。どうやら父親ではなさそうだが……
「お兄ちゃん?!」
出てきたのは、カーディガンを羽織り、眼鏡をかけた女の子だった。見るからに賢そうなこの子が、この飲んだくれの妹なのだろう。
彼女は俺に頭を下げ、それから流の体を支えようと手を伸ばした。
「あの、すみません。兄がご迷惑をおかけしまして……
でも、無茶だ。この子の背はちょっと高めのようだけれど、完全に力の抜けた状態の流を支えるのは絶対に無理だ。その証拠に、彼女はちょっとよろける。俺はあわてて流を抱え直すと、自分でも驚くくらいすらすらと提案した。
「あの、家の中まで運んでもいいですか? ほら、こいつでかいし……いくら妹さんでも、運ぶのは無理でしょう。……あ、妹さんでいいんですよね」
「はい、妹ですけど……。それじゃ、お願いしていいですか?」
妹さんの許可を得たので、俺は野下家の敷居をまたいだ。そうして流をなんとか上がりに運ぶ。それでもまだ暢気に寝息を立てている流に呆れていると、妹さんが俺に頭を下げた。
「ありがとうございました。本当に、だらしのない兄ですみません……
本当にこの子は流の妹なのだろうか。しっかりしている。同じ町にあるレベルの高い女子大に通っているらしいから、頭はいいのだろうけれど。なんというか、多分この子は、人間的に賢い子なんだろう。
どうせ隠してもばれるだろうから、俺は言葉を選びながら、彼女に事情を説明した。
「いや、普段はこんなに飲まないから、俺もびっくりしたんです。なんか、うわごとで彼氏、いや恋人、ううん、付き合ってる人と喧嘩みたいなことしたらしいことはわかったんですけど」
「ああ、それで……
納得してくれたらしい妹さんは、俺にしっかりと向き直った。雰囲気からして清楚な感じだったが、加えて美人だ。俺はよほど親しい相手でなければ異性の顔なんてまともに見られないので、どきどきしてしまった。
いや、そんな場合ではない。彼女に迷惑をかけてしまったのは、こちらのほうだ。
「夜中に戸なんか叩いて、騒がせてしまってすみませんでした」
俺が頭を下げると、彼女はあわてて手を振った。
「いいえ、兄が悪いんです。あなたが謝る必要なんて少しもありません。……ええと、後日お礼をしたいので、差し支えなければお名前を教えていただけますか?」
名乗るほどのものだろうか。礼なんて、わざわざしてもらうほどのことでもない。俺はちょっと迷ったが、どうせ流から知れるだろうと思って、姓だけ告げておくことにした。
「斎藤といいます。……じゃあ、俺はこれで。遅くに長居するのもご迷惑でしょうし」
「迷惑だなんてとんでもないです。あの、本当に、ありがとうございました!」
彼女はしばらく外にいて、俺を見送っていてくれた。寒いのだから、家に入ればいいのに。……でも、ちょっと、悪くないかもしれないと思ってしまった。

「あっし、ごめん! すっごい迷惑かけた!」
後日、流はすごい勢いで謝りながら、箱を差し出してきた。商店街にある和菓子屋のものだ。美味しいので気に入ってはいるが、ここまでしてもらうほどのことをしたとは思っていない。
「いいって。それより、同じ迷惑ならみやさんとシマさんも被ってんだから、謝っておけよ」
「話聞いてもらったことだけじゃなく、送ってもらっただろ。それで桜、あ、うちの妹が、ちゃんとお礼とお詫びをしろって」
ああ、妹さんの心遣いだったか。ここまでしなくてもいいのに。でもせっかくだから、この菓子はみんなでいただくことにしよう。サークル活動として、映画のDVDでも観ながら。
「それともう一つ。あっし、チョコレート好きか?」
「チョコ? まあ、普通に」
「そっか。妹が助けてくれたお礼に、バレンタインにチョコを贈りたいらしくて。俺、よっぽどあっしに迷惑かけてたんだな」
そこまでしてくれなくていいのに。妹さんは兄貴と違って、本当に心配りのできる子らしい。というか正直、美人にそこまで思ってもらえるのは嬉しい。これは今から、ホワイトデーのお返しを考えておいたほうがいいんだろうか。なんてな。