早朝降っていた雪が、午前のうちに吹雪いて積もり、とうとう警報が発令されて列車が止まった。山に囲まれた町である礼陣は、道が塞がれれば簡単に閉ざされてしまう。数年に一度は、そんなことがある。
「うわ、積もったな……しかもまだ吹いてる」
昇降口から見る外は、まだ雪が猛威を振るっていた。水分を多く含んだ重い雪は、除けるのが大変そうだ。なににしろ、学校も臨時休講を決めるようなこの天気では、道場も休みにせざるをえないだろう。
「連さん、ご両親と連絡はつきました?」
「ああ。母にかなり心配されていたようだったが、海のところならと安心してくれた。今日は世話になる」
「列車が止まっちゃ帰れませんからね。でもこの天気じゃ、うちまで帰るのも一苦労しそうです」
隣町から通ってきている連は、列車の運休により家に帰れなくなった。タクシーを拾うことができれば何とかなるのかもしれないが、今日は大忙しのようで、電話もなかなか繋がらない。そこで海が「もし良かったら、うちに泊まっていってください」と申し出た。
その海の家は学校のある中央地区から少し離れた遠川地区にあり、吹雪の中を歩いていくのは少々苦労しそうだ。しかし、学校にいつまでも留まっていることもできない。
「これからさらに酷くなるみたいだから、今のうちに帰りなさいよ。危険だから部活はもちろん、バイトも今日は禁止だからね」
社会科の平野教諭が、よく通る声で告げた。バイトが禁止と聞いて、溜息を吐いたのは黒哉だ。生活の糧をこの雪のせいで減らされてはたまらない。
「去年はこんな雪降らなかったよな……」
「こんなの、何年かに一回あるかないか。前は俺がまだ小学生の時だったかな」
小学校は家に近かったし、当時は早く下校できるのも嬉しかった。今では憂鬱でしかない出来事も、昔は楽しかったのに。こんなところで自分の変化を感じて、海は複雑な気持ちになる。
「救いは今日が金曜だってことか。明日は、この状態が続けば明後日も雪かきだな」
「俺も手伝おう。世話になるんだし……」
「連さんにやらせるわけにはいきませんよ。列車が動いたら早めに帰って、お母さんを安心させてあげてください」
今後の予定はともかくとして、今、この雪の中を帰る方法を考えなければ。いや、考えるまでもなく、周囲に気をつけながら突っ切っていくしかないのだが。
「同じ地域の奴はかたまって帰ったほうが良いってよ。オレも進道と森谷君と一緒に帰ろうっと」
「そうか。サトを楯にしていけば、少しは雪をしのげますよ、連さん」
「進道ってホント、オレには酷いな」
遠川組はとりあえず帰らなければと、雪の吹きすさぶ外に踏み出した。風も雪も冷たく顔にあたる。重い雪に傘をさしては、壊れ物が増えるだけであまり役に立たないということは、経験上知っている。吹雪にしばらくは耐えなければならないのかと思うとうんざりするが、とにかく前に進むしかない。
「日暮も途中まで一緒に行こうぜ」
「そうする。……あー、寒っ!」
「黒哉は家近いんだからまだマシだろ」
初めのうちこそ喋っていたが、だんだんそれもつらくなってくる。黒哉と別れ、遠川地区に入る頃には、みんな無言になっていた。サトが自分の家の方向へ行ってしまい、残った二人でやっと進道家へ辿り着くと、心配そうな表情のはじめがすぐに玄関まで出てきた。
「二人とも、お帰りなさい。上着の雪は払っておくから、まずお風呂に入って着替えなさい」
「すみません、お邪魔します」
「風呂なら連さんが先にどうぞ。そのあいだに俺が着替えとか用意しておきます」
外からはまだびゅうびゅうと音がする。なんとかここまで辿り着けて良かったと思いながら、海ははたと思い至った。他の知り合いは、ちゃんと家に帰り着いただろうか。幼馴染は無事だろうか。
連のための着替えとバスタオルを用意してから、海は濡れた制服のまま、携帯電話を手に取った。メールで安否確認の内容を一斉送信すると、まもなくして返事があった。
[私は秋公君と一緒に帰ってきたから大丈夫。それより雪かきが今から憂鬱だよー。]
幼馴染の春は、近所に住む同級生と一緒だったらしい。ひとまずは安心だ。雪が止んでこっちが落ち着いたら、春の家の除雪を手伝いに行こう。……いや、いつも春の方が早く終わらせていたようながする。むしろこっちが助けられそうだ。
[家には無事到着したよ。千花ちゃんと一緒だったので安心してください。]
同級生の莉那も、後輩の千花とともに帰ることができたらしい。ホッとしながら次のメールを見る。
[帰れた。部屋冷え切ってて寒い。連は大丈夫だったのか?]
黒哉もあのあと、無事に帰り着いたようだ。[お前が寒かろうとどうでもいいけど、連さんは大丈夫]と返してやった。
ぽつぽつとくるメールを見ているあいだに、連が風呂から出てきた。寒いので、着替えは海が中学の時に着ていた学校ジャージだったが、サイズはぴったりだ。
「海、着替えてなかったのか? 冷えるぞ」
「ちょっとみんなの安否確認をしていたもので。莉那さんと黒哉は無事だそうです。それじゃ、風呂いってきますから、こたつでのんびりしていてください」
連が頷いて、こたつに幸せそうにもぐりこむのを見届けてから、海も風呂へ向かった。
礼陣の町を襲った吹雪が収まったのは、翌日の朝のことだった。町の人々はさっそく雪かきにくりだし、海と、そしてまだ列車が来るまで時間のある連もそれに参加した。
「心道館は広いから、近所の人が手伝ってくれるんです。もちろん俺と父さんが主導ですけど。こういうとき、普段の近所付き合いって大事だなって思います」
スコップにラッセルにダンプと、勢ぞろいした雪かき道具を器用に使いながら、遠川地区の人々は雪かきを進めていく。連は近所の協力と道具の扱いにしきりに感心していた。
連の住んでいる御旗の町には、こんなに雪が降ったことがないのだろうか。不思議に思った海が尋ねると、「除雪は業者がほぼやってくれるからな」と答えがあった。さすが高級住宅街住まいである。
「俺の家のあたりでは、こうやって近所の人との関係が密になることも、あまりないんだ。だからこうやって大勢で雪かきをするのも楽しい」
「終わるころには、そうも言ってられなくなりますよ。重いし疲れるし。そもそも連さんは、列車の時間には帰すつもりですけどね」
時間が経てば、自分の家周りを終えた人々が、海の家に集まってくる。小学生くらいの子供たちは、進道家が開いている剣道場「心道館」の門下生たちらしい。海に「ありがとう」と笑いかけられると、嬉しそうにしていた。
「海にい、手伝いに来たよー! あ、連先輩、おはようございます!」
小さな体で大きなダンプを押してきたのは、春だ。小柄ながらも力持ちなので、こういうときにいてくれるとありがたい。きっと家の雪かきも、あっというまに終わらせてきたのだろう。
「春が来てくれると心強いな。じゃあ、連さんを手伝ってあげて」
「もしかして連先輩、礼陣の大雪は初体験ですか? いつもはこんなにいっぱい降らないんですけど、今年は久しぶりにすごいんです」
「ああ、海から聞いた。小学生の時以来だって。……だとしたら、入江も今頃……」
「大変でしょうねー……。でも近所の人が助けてくれるから、多分新も大丈夫です」
声をかけ合いながら体を動かしていると、次第に温まってくる。一番怖いのは冬に汗をかいて風邪をひくことだ。海は連にタオルを渡し、自分も首に一本巻いている。そうこうしているうちに、心道館を含む進道家周りはきれいに片付いていった。
「あ、連さん、列車の時間……」
「気にしなくていいことになった。今、学校の射場の片付けをする奴を集めているらしい」
「本当ですか? ……あ、俺のところにも道場周りの雪かき要員募集メール来てました……」
この場所が終わっても、まだ次がある。手伝ってくれた近所の人々に礼を言いながら、海と連は道具を片付け、学校へと向かった。
学校には部活ごとに人が集まっていて、構内の除雪を行なっていた。私服で学校に来ることはあまりないせいか、みんなどこか楽しげだ。その雰囲気に呆れながら、海は剣道部に混じっていった。
「黒哉、アパートのほうは雪かき終わったのか?」
「ああ、総出でな。つーか、お前、主将のくせに遅すぎ」
「悪かったな」
学校には多くの人員が集まり、除雪もさほどかからずに終わった。呼びかければ一気に人が集まり、手早く物事を片付けていく。礼陣の人々の強みは、子供たちにもしっかりと受け継がれている。
全て終わった頃に、料理部と生徒会が協力して、温かいうどんを振る舞った。ちょうど昼時で腹を空かせていた生徒たちには好評だった。
「はい、お疲れさま。海君、お家の周りも大変だったでしょう」
「でも、人手がありましたから。莉那さんは?」
「こっちもみんなで協力して、なんとかね。千花ちゃんも頑張ってくれたんだから」
中央地区の住宅街も、除雪は問題なく済んだらしい。周囲の話によると、北市、社台、南原も混乱なく雪かきを終えることができたようだった。
「神社は……ああ、大助さんが行ったのか。じゃあ大丈夫だな」
礼陣のシンボルである礼陣神社も、雪はすっかり片付いているのだろう。携帯電話に、先輩である大助からのメールが入っていた。きっと午後からは、礼陣の日常が戻ってくる。思っていたよりずっと早く片付いた。
「海。そろそろ列車の時間だから、俺は帰る。一晩世話になった」
「もうそんな時間ですか。……いや、何もなくても、いつでもうちには来てください。父さんも、連さんがいると、嬉しそうなので」
礼陣を閉ざしていた雪は払われ、連は連の日常――御旗での暮らしに戻っていった。そして海も、いつもどおりの礼陣での生活に戻っていく。
「……あ、メール……」
うどんを食べ終わった頃、携帯電話に着信があった。今は隣県にいる、海が最も慕う先輩から。
[大雪だったそうだけど、大丈夫? 雪かき、大変だったでしょう]
終わったのを見計らったような文は、おそらくこっちにいる親友にでも状況を聞いたためだろう。海はちょっと笑って、返事を打った。
「雪かき終わりました……あと、何書こう? 和人さんのメール久しぶりで、伝えたいことがありすぎるな」
こうして礼陣の大雪騒動は、ひとまず幕を閉じた。あとは春へ向かう陽射しが、全てを融かしてくれる。