礼陣の商店街にある各店が協力するイベントというのが、年に何回かある。成人式もその一つで、倉沢写真館と美容室こいずみ、そして水無月呉服店が提携する。成人式を迎える者は、美容室こいずみで髪型を整え、水無月呉服店で衣装を借りて着付け、倉沢写真館で記念写真を撮影するのが昔からの一パターンとなっている。美容室と写真館では全てを済ませることもできるのだが、着物を着るとなれば、購入するにしても借りるにしても、あるいは古いものを手入れするにしても、呉服店が関わることになることになる。
水無月呉服店と倉沢写真館は隣合っていて、昔から互いのチラシやパンフレットに使用する写真や衣装を提供し合ったりすることがあった。従って、倉沢家はかつて和人が女児用の着物を着て呉服店のパンフレットに載っていたことも知っている。
「あの和人君が、もう大学生になるのか」
しみじみと言った倉沢写真館の主人に、和人は曖昧に笑って応える。
「まだ決まってませんよ。受験はこれからです」
第一関門となるセンター試験まで、残り日数はわずかだった。勉強の仕上げの合間に、和人は成人式のためにわかに忙しくなった実家の呉服店を手伝っている。店番禁止令は継続中だったはずだが、父が特別に禁を解いたのだ。それは和人が「勉強には支障をきたさないから」と頼み込んだ成果であったが、そもそもお客の情報を和人に提供し、人手が足りなくなると判断したのは美和だった。

和人と美和は双子である。しかし、美和は産まれてすぐに人間としての生を終え、和人だけが人間として成長してきた。美和がここに存在しているのは、彼女の魂が人鬼に転じたからである。
この礼陣の町には人間と鬼の二種類の人が暮らしている。そして未練を持って死した人間は、まれに鬼として第二の人生を送ることがある。人間の魂が鬼に転じようとするその過程が、人鬼というものである。
鬼と呼ばれる人々は頭に二本のつのを持ち、不思議な力を操ることができる。その姿は通常、ある条件を満たした人間と同じ鬼にのみ見える。しかし人鬼はその存在が中途半端であるがゆえに、力を操ることもできなければ、鬼を見る条件を満たした人間にすら視認されない。鬼とは交流を持つことができるが、人間とは関われない。鬼らしい特徴といえば、つのくらいなものである。
だが、美和は人鬼でありながら、同じ胎から同時に産まれた和人には存在を認められている。触れることはできないが、言葉のやり取りをすることはできるので、美和は幼少の頃から和人を陰で助けてきた。
本来ならば人見知りで、他人との接触が苦手な和人が、対面販売が主な実家の店を手伝うことができるのは、他人には見えないくせに社交的な美和の指示と助言があったからだ。おかげで和人は、町の人々から「人当たりの良い好青年」という評価をもらっている。
他人が苦手だが店を手伝わなければならない和人と、店を手伝いたいが他人に接触することができない美和は、そうして助け合ってきたのだった。
だが、それももうすぐ終わってしまう。和人は県外の大学に進学するため、実家を離れる予定になっている。和人は一人で知らない土地へ行き、美和は人間に関わる術を失うのだ。二人にとって店番ができる最後の日が迫っていた。

振袖の着付けを手伝うことは、人間や物に触れられない美和は当然のことながら、男性である和人にもできない。だからできることは、専らお客を迎えることと、予約票と着物の確認だ。
美和は予約票を見なくとも、誰がどんな衣装を予約しているのか憶えていて、和人にぽんぽんと指示を出してくれる。和人はお客の応対をしつつ、美和の言う通りに着物を出してくる。ときどき男性のお客が訪れると、その着付けの手伝いもするが、仕事の大部分は接客だ。
「いらっしゃいませ。準備はできておりますので、奥へどうぞ」
『笠井さんは十二番の振袖。赤い地のやつね』
案内をする和人の耳に、美和が予約番号と着物の特徴を告げる。今日のために来てくれている従業員に着物とお客を渡したところで、ちょうど次のお客がやってくる。そうなるように予約時間を組んでいるので、休む暇はない。
これを成人式の始まる前に全て片づけなければならない。実際には、時間にかなりの余裕を持って済ませる必要がある。
「和人君が動いてくれると助かるわ。受験勉強あるのに、ごめんね」
「いいんです。センター試験はよほどのことがなければ大丈夫そうなので」
『忙しいのは朝と午後からだしね。合間に勉強できれば、和人には十分でしょう』
「あら、頼もしい」
従業員と和人の会話に、美和はごく自然に入り込んでくる。従業員には美和の姿も見えなければ声も聞こえないのだが、時折、本当に会話をしているかのように上手に口を挟むのだった。
『さあ、次のお客様が来るわよ。大谷さんね。八番、若草色の』
「わかった。……いらっしゃいませ!」
息を吐く間も与えずに、次々とやってくるお客に、美和と和人は手際よく応じていった。去年までもやっていたことなので、忙しいのには慣れている。
そうして公民館で成人式が始まる頃に、やっと水無月呉服店の従業員たちは落ち着くことができた。
「ひとまずお疲れさまでした。和人も勉強に戻っていいわよ」
和人の母の労いと容赦のない言葉が、休憩の合図となった。もっとも、和人にとっては勉強に戻らなくてはならない、少々窮屈な時間だ。勉強が嫌いなわけではないが、やはり動き回っていたほうが、ごちゃごちゃとおかしなことを考えずに済むので楽なのだ。
『あー、久しぶりの店番、すっごく楽しい! 午後もよろしくね、和人』
和人がいなければ店番もままならない美和は、仕事ができて嬉しそうだった。この後、成人式が終わった後に再び忙しくなるので、まだまだ気合は十分だ。和人は他の人に聞こえないよう、心の中で「こちらこそ、よろしくね」と返して、居間に行って参考書を広げた。
すでに全ての問題を解き終えている上、成績のバランスが非常に良い和人に、ほぼ死角はない。だが、念には念を入れておくにこしたこともない。間違えたことのある問題を解いてみたり、用語の暗記ができているかどうかの確認をしたりして、店がまた慌ただしくなる時間を待った。
美和はそのあいだ、定位置である店の隅から、成人式以外の用事のあるお客を見たり、それもなくなれば和人の勉強の具合を覗きに来たりしていた。もうすぐ和人はこの家を、この町を出ていくのだから、彼がいない環境に慣れようと距離をとったりもしたのだが、やはり長年の癖というものはそう簡単には抜けなかった。
『ねえ和人、今年の初詣は何をお願いしたんだっけ』
シャープペンシルの芯を出している和人に、美和は確認するように尋ねる。和人は周りに誰もいないことを確認してから、小さな声で返事をした。
「商売繁盛と学業成就。いつものことだよ」
『学業は高校受験以来じゃないの。あのときは面白かったなあ、流と一緒に絵馬書いてさ』
流は和人の幼馴染だ。小学一年生のとき以来、一度もクラスが離れたことのない、親友である。呉服店のアルバイトにも頻繁に来てくれていたが、今はさすがに彼の親と和人の親の両方から止められている。勉強をしに来るのなら、歓迎されるのだが。
今日は呉服店のほうが忙しいので来ないことになっているが、明日以降はまた二人で受験対策に取り組むことになっている。いや、覗きに来る美和を足せば三人だ。もっとも、流にも美和の姿は見えない。この場に三人いると認識しているのは、和人だけだ。美和は初めから自分を除外して物事を考えている。
ところで、話題は絵馬である。三年前、高校受験を控えていた和人は、流とともに地元の人々に愛される礼陣神社に詣でて絵馬を書いた。「礼陣高校合格!」と大きく書いたそれは、親友とお揃いだった。その様子を見ていた美和が、『私も書けたら良かったんだけど』と言っていたことが思い出される。
「そういえば、美和は今年の初詣にはついてこなかったんだっけ。絵馬、書いたんだけど」
『そうなの? 私、鬼連中の宴会見てたから知らなかった。なんて書いたの?』
「三年前とあんまり変わらないよ。大学合格。……学校の名前は、流とお揃いにはならなくなっちゃったけれど」
和人と流は、進路が違う。隣県の国立大を目指す和人に対し、流は地元の礼陣大学を志望している。出会って以来初めて、別々の道をいくことになった。和人と美和だけでなく、和人と流も春には離ればなれになるのだ。
「センター試験が終わったら、会うことも少なくなるかも。僕は国立大進学用の講習がまだあるけれど、礼大進学の流はもう講習もほとんどないからね」
『そう? 私はそれでも、流は和人に合わせて学校に行くと思うけど。会えないってことはないわよ』
きっと学校を卒業して、和人が隣県に引っ越すまでは、毎日のように顔を合わせているだろう。美和はそう思うのだが、和人は「どうかなあ」と苦笑した。
「進学を機に礼陣を出ていった人の中には、成人式まで帰ってこなかった人もいるだろう。僕も都合によってはそうなってしまうかもしれないし、そうしたら次に流に会えるのは僕らの成人式だよね」
もしもそうなってしまったら、そうでなくても、和人が大学に合格すれば、流にはしばらく会えなくなる。そして、美和には二度と会えなくなる可能性があった。
鬼が見えるという特別な人間でも、普通は十八歳を過ぎたあたりで鬼を見ることはできなくなるという。鬼を見ることができるのは、大抵は親を喪った子供なのだ。それは鬼が子供たちの親代わりをつとめるからだといわれている。
和人は両親とも健在だが、美和のことだけは見える。けれどもいつまでも見えるという保証はない。礼陣を出ていって、次に帰ってきたときには、もうその姿を見ることはできなくなっているかもしれないのだ。
和人も、大人になるはずなのだから。これまで頼ってきた存在からも、いつかは離れなくてはならないのだ。
「僕が成人する頃、まだ美和のことは見えるのかな。もう、僕には君が見えなくなっているかもしれないよね。休みの日にこっちに帰ってこられたとしても、また美和に会えるかどうかはわからない」
そうしたら、和人はきっと寂しいだろう。ずっと一緒にいた片割れの、存在すらわからなくなってしまうのは、つらいだろう。
美和はどうだろうか。和人がいなくなり、帰ってきても認識すらされなくなったとき、美和はどうなってしまうのだろう。
『大丈夫よ。和人がいないと店番はできなくなるけど、この店を守り続けることには変わりないから。もしあんたに私が見えなくなっても、私はあんたを見てるから』
不安を顔に出した和人に、しかし、美和はにっこり笑った。和人によく似た、けれども少しだけ勝気な顔で。
『その頃には中途半端な人鬼なんかじゃなく、完全な鬼に成れているかもしれない。そうしたら、私の姿が見える人間も出てくるだろうし、鬼として力を振うことで、この店を支えることができたりして』
だから、と美和は言う。
『私は未来に期待してる。和人も流も大学に合格して、たまの休みにはちゃんと会って、それから一緒に成人式に出席する未来。そこには、二人には見えないかもしれないけれど、ちゃんと私もいるんだ』
明るく、でもほんの少し、本当にわずかに、寂しそうな笑みを浮かべながら。

美和と話しつつ勉強をしている間に、成人式を無事に終え、レンタルしていた振袖を返しに来るお客がやってくる時間になっていた。賑やかになり始めた店に、和人と美和は再び立つ。伝票と着物を確認するのに忙しくなり、先ほどまでの話はいつのまにか忘れてしまった。
いや、考えないようにしていた。二十歳を迎えた自分の前に、頭のつの以外は二十歳の人間の女性と何ら変わりのない美和がちゃんといるという未来を、和人は信じたかった。
親を喪った子供が鬼を見られるのは、鬼が親代わりをするからだという。成長すると鬼が見えなくなるのは、もう親の手から離れてもよくなるから――独り立ちできた証だという解釈がある。
だとしたら、和人が美和を見られなくなるのも、独り立ちする頃なのだろうか。そんなことができるのだろうか。今はまだ、美和の助けがほしい。できるならば、隣県に引っ越すときも連れて行きたいくらいだ。
礼陣の鬼は礼陣を離れられない。その法則は美和にも適用される。だから共に行くことは不可能なのだが、和人は美和を必要としていた。
そうしているうちは、まだ美和が目の前にいてくれるのではないかという、淡く甘い期待も抱いていることは、否定できない。
大人になりたくない。美和と一緒にいられるのなら、子供のままで良い。そんなことを言ったらきっと美和は和人を叱るのだろうけれど、思わずにはいられなかった。
「いらっしゃいませ!」
こうして声が重なるのを感じられるのは、あとどのくらいなのだろう。