赤ん坊とは、こんなに弱そうなものだったのか。首は座らない、よく泣く。やわらかすぎて触るのも躊躇する。自分がかつてこうだったとはとても思えないのだが、証拠写真は今でも残っていた。
「頼子さん、紅葉が寝ながら動いてるんだけど」
「夢でも見てるのかしらね。さっきまであんなに泣いてたのに。……あ、動画撮ってくれていいのよ」
洗い物をしている兄嫁は、この小さいものを本当に可愛がっている。大助には両親に関する記憶がほとんどないが、彼らも自分たち兄弟をこんなふうに大切にしてくれていたのだろうか。
もぞもぞと手足を動かす赤ん坊のムービーを撮り、兄のスマートフォンに送信しながら、大助は憶えてもいないことに思いを馳せた。

兄夫婦に子供が産まれたのは、秋の日だった。その瞬間、大助は叔父となったわけだが、実感はわかない。数か月経った今でも、赤ん坊が甥っ子だとはなかなか思えなかった。
子供の世話をする兄に見たのは、父ではなくかつての兄の姿だったし、兄嫁は姉に見えた。それだけ両親の印象が自分の中で薄かったことに、大助は一人苦笑したものだ。
子供の名前は「紅葉」と書いて「くれは」。産まれが秋なので、また両親とも文系なので雅やかな名前をつけたのかとよく言われるが、実はそうではない。
「クレバーとかけてるのよね」
この子の母である兄嫁、頼子がぼそりと言ったひとことに、大助は呆れた。こんな名前の由来、成長してから教えてやれない。
「兄ちゃんが名前つけたほうが良かったんじゃねえの?」
「そう? まあ、ちょっと綺麗すぎる名前かなとは思ったけど……
父であるはずの兄はこのことを知らない。知らぬがなんとやらだ。だが、兄がつけたほうがもう少しシンプルで格好の良い名前になった気がする。というのも、大助に名前をつけたのは兄と姉だったからだ。大助自身は自分の名前を気に入っているし、後輩に「名前の通りの人ですよね」などと言われると嬉しかった。
紅葉は、今となってはもうどうしようもないが、きっといつか苦労するだろうなと大助は密かに思っている。
そうとは知らない、知るはずもない紅葉は、今のところ病気もせずやってきた。よく泣くが、それを言ったら兄に「大助もこんなだったと思う」と言われたので、意外に将来は図太くなるのかもしれない。

紅葉を可愛がっているのは、何も兄夫婦だけではない。叔母である姉や、向かいに住んでいる幼馴染も「くーちゃん」と呼んで、よくかまっている。大助は普段、隣町に住んでいるので、紅葉の様子を見に来ることはない。けれども幼馴染はそのかわりとでもいうくらい頻繁に一力家を訪れては、紅葉の面倒を見ていくのだという。
今日も目を覚ました紅葉がまた泣き始めたところで、幼馴染の亜子は狙ったようにやってきた。
「こんにちはー。あ、くーちゃんどうしたの? 眠い?」
「まさか。今起きたとこだ」
ベビーベッドから紅葉を抱き上げる大助を見て、亜子はクスクスと笑う。「なんだよ」というと、「慣れたなあって思って」と返ってきた。
「年明け前に帰ってきたとき、大助ってば、くーちゃん抱っこできなかったじゃない」
「首座らねえのに、簡単に抱き上げられるかよ。怖えって」
「それなのに今は普通に抱っこしてるでしょう。ね、よりちゃん先生」
「そうねえ、大助君のおかげで助かったわ。今から慣れておけば、自分のときに楽よ」
紅葉を大助から受け取りながら、兄嫁――頼子は「それほど先のことでもないだろうしねー」と歌うように言う。すると亜子が「まだ先だよ」と頬を染めた。
だが、紅葉の世話に慣れきっている亜子を見ていると、そう遠い未来でもないような気が、大助にはしてくるのだった。あと数年もすれば、この家に紅葉のいとこを連れてくるようになっているかもしれない。
頼子と亜子が紅葉をあやしている間に、玄関から兄の声がした。買い物に行っていたのだが、たぶん近所の人にでも捕まっていたのだろう。
荷物を運び入れてから、兄の恵は片づけを大助に任せ、まっすぐに紅葉のもとへ行った。
「ただいま、紅葉。さっき大助が送ってくれた動画、商店街の人に自慢してきちゃったよ」
捕まったのではなく、捕まえていたのか。だから帰りが遅くなったらしい。恵の親馬鹿っぷりに溜息を吐きながら、大助は買い物袋の中身を片していく。亜子が当たり前のことのように、それを手伝ってくれる。
「恵さん、くーちゃんを大助と同じくらい可愛がってるよね」
「そうか?」
「そうだよ。恵さんも愛さんも、昔から大助のことすごく可愛がってたから。くーちゃんはパパ似だし、大助と重なるところがあるのかも」
思えば、恵は大助にもかなり甘かった。ときどきは叱られもしたが、基本的には弟を溺愛していた人だった。姉の愛もそうだ。大助とは年が離れている分、可愛かったのかもしれない。
だからこそ、恵と頼子が昔の兄と姉に重なるのか。両親の記憶が薄いのではなく、兄と姉に関する記憶が濃すぎるのか。無理もないな、と大助は納得する。
「で、大助は叔父さんとしての自覚は出てきた?」
「いや、あんまり。ていうか、俺が叔父さんなら、亜子は叔母さんになるだろ」
「わたしはくーちゃんに、あーちゃんって呼んでもらうから」
「なんだよそれ。じゃあ俺も叔父さんじゃなくただの大助でいいや」
忘れられないよう、ときどき世話を焼くくらいでいいか。今回のように、たまに土産を買ってきたりして。
紅葉には、両親がいるのだから。

願わくばこの子が、鬼の子になどならぬよう。