いい夫婦の日、というらしい。十一月二十二日の語呂合わせだ。雪ちゃんと彼氏君みたいな感じかな、と馴染みの看護師さんが言う。もちろん言葉のあやというやつで、私と黒哉君は結婚なんてしていない、ただの高校生のカップルだ。
でも私が入院すると足繁くお見舞いに通ってくる黒哉君は、看護師さん達のあいだでは評判になっていて、すっかり私の旦那様扱いだ。パパやママよりも頻繁に来てくれるので、身内も同然なのだった。
ちなみに私のパパとママは、いつも仕事が忙しい。私の治療費を稼ぐために頑張ってくれているのだ。おじいちゃんが土地持ちだったので、それをいくらか売ったこともあったそうだけど、まだ十分とはいえないらしい。私の体はそれほどまでに弱く、将来のことを考えるとたくさんのお金が必要なのだ。迷惑をかけるくらいならもういいよ、と言いたくなるのを抑えながら、かつての私は毎日を独りで過ごしていた。
我が子のために協力する私の両親は、いい夫婦なのだろうか。当の子供に会う時間はとても少ないのに、それでも私達は家族といえるのだろうか。そんな疑問が尽きなかったこともある。けれども結局は、「全部私のためなのだし」というところに落ち着いてしまうのだ。そうして過ごしてきた私には、「いい夫婦」というものが何なのか、ちょっとわかりにくい。
「黒哉君はわかる? いい夫婦って何なのか」
その日もお見舞いに来てくれた黒哉君に、私は何気なく訊いてみた。すると彼は少し考えたあと、「悪い」と言った。
「オレもよくわかんねーんだ。生まれた時から片親だったし」
「あ、そうだっけ。ごめん」
そもそも尋ねることが間違いだった。黒哉君はお母さん一人に育てられ、そのお母さんすらも喪っている。私は彼の地雷を踏んでしまったのだ。
なんとかして話題を変えてしまわなければと思った私に、けれども、彼は続けた。
「ただ、いい夫婦になりそうな奴なら、周りにいるな。アイツらはきっと、オレみたいな子供はつくらない。二人で協力し合いながら、いい家庭をつくっていくんじゃねーの。まあ、まだ付き合ってすらいねーんだけど」
「付き合ってないのに夫婦? 面白いね。そっか、そういう関係もあるんだ」
「あと、歴史愛好会の顧問。婚約者がいて、来年には結婚するらしいけど、気が合うらしいからいい夫婦とやらになるんじゃね」
自分は片親だったのに、黒哉君には「いい夫婦」とやらのビジョンがあるらしい。私は感心しながら、彼の話を聞いていた。
いい夫婦って、結局何なんだろう。ただ気が合うとか、互いのことを想ってるだとか、そういうのだけなんだろうか。だとしたら、私の両親はいい夫婦なのだろうか。娘に振り回されて、夫婦をやっているというよりは協力関係にあるというほうがなんとなくしっくりくる気がする。
じゃあ、そんな親事情を抱えている私達は、「いい夫婦」になれるのだろうか。看護師さんたちはそう言ってくれるけど、そもそも私達って夫婦になれるんだろうか。
私が悩みはじめると、黒哉君はすぐに気付いて「どうした」と声をかけてくれる。私は少しばかり迷った挙句、考えていたことを纏まらないままぶちまけてみることにした。
黒哉君はくだらない話でも真剣に聞いてくれる。支離滅裂な話もすぐに頭の中で整理して、「こういうことでいいのか」と確認してくる。それで腑に落ちることもあれば、論点が少しずれているときもあるのだけれど、私は話を聞いてくれる人がいるというだけで嬉しいのだ。
時間を少しばかりもらって、こうして一緒にいるだけで、私は幸せで。夫婦になれなくても、今が幸せならそれでいいか、なんて思ったりして。だって、こんなに私に向き合ってくれる人なんて、他にいないから。
……まず、いい夫婦ってのは、さっきも言ったとおり、オレにもよくわかんねーな。でも、きっと互いへの心配りができているのがそうなんじゃないかって思う。それでいうなら、雪の親はちゃんと雪のことで互いに協力してるんだから、いい夫婦なんじゃないか」
「そうかなあ」
仕事が忙しくて、よほどのことがなければ私のお見舞いには来なくなったパパとママ。一時期は「この人達は私のことなんかどうでもいいんだ」なんて思ったりもしたけれど、そのときも黒哉君に諭されたんだった。
黒哉君から見ると、私のパパとママもいい夫婦。それじゃ私達はどうなるのかな。いい夫婦に、なれるのかな。
「オレ達がいい夫婦とやらになれるかどうかは……そうなればいいんじゃねーの。オレが早く雪を支えられるくらいになれば」
「もう十分支えてくれてるよ。黒哉君がいつも来てくれるから、私は何が何でも生きようって思えるんだから。私のほうこそ、黒哉君にもらってばっかりで何も返せてない……
私が自分の不甲斐なさにうつむくと、黒哉君がそっと頭を撫でてくれた。大きい手。安心する手だ。
「オレがどれだけ雪に癒されてるか、お前、わかってないだろ」
「私が癒し?」
「雪に会うとホッとする。……だからさ、なれるんじゃね? いい夫婦」
プロポーズみたいだ、と思った。ううん、たぶん、黒哉君はそのつもりだ。真剣な表情で、でもどこか照れているようで。
「オレは夫婦に育てられたわけじゃねーから、勝手はわからないかもしれないけど」
「でも、お母さんに愛情いっぱいに育てられたんだよね。だったらそれでいいじゃない。……私達、いい夫婦になろう」
未来への希望があれば、私は明日も生きられる。いつか本当の「いい夫婦」になる日を夢見ながら、私は黒哉君に寄り添った。